【2025年本屋大賞ノミネート作レビュー】恋人が性犯罪で捕まった――。それを許すことはできるのだろうか。一穂ミチ『恋とか愛とかやさしさなら』

文芸・カルチャー

公開日:2025/4/8

恋とか愛とかやさしさなら一穂ミチ/小学館

 もしも自分のパートナーが、ある日、犯罪者になってしまったらどうする?

 すぐに関係を断つ。事情次第では許す。どんなことがあっても味方をする。さまざまな選択肢が考えられるが、いずれにせよ、即答できる人は少ないのではないだろうか。それはきっと、誰もが「まさか、そんなことが起こるはずない」と思っているから。ぼく自身もそうだ。だから、一穂ミチさんの本屋大賞ノミネート作『恋とか愛とかやさしさなら』(小学館)を読んでいる最中、ずっと、暗闇のなかを手探りで歩まされている感覚に陥っていた。

 主人公の新夏はフリーランスのカメラマンとして働く女性だ。恋人である啓久との関係も良好で、ついにはプロポーズをされる。「何があっても人生を楽しめる気がする」とまで感じている啓久との結婚を、新夏は喜んで承諾する。

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 しかし、翌朝、新夏の幸福は瞬く間に崩れていくことになる。朝の電車のなかで、啓久が女子高生を盗撮し、捕まってしまったのだ。突然の事態に混乱する新夏。それも当然だろう。自分のパートナーが犯罪者に、しかも性暴力の加害者になるだなんて、一体誰が想像するだろうか。この瞬間、新夏と同時に、ぼくら読者も「さあ、どうする?」という重い問いを突きつけられることになる。

 ところが、新夏の周辺人物は次々に答えを出していく。初犯ということもあり、大事にはならないらしいという状況から、啓久の両親は「これまで通りの関係」を望もうとする。まるで「なかったこと」にするような態度だ。一方、啓久の姉は、性犯罪者になった弟を許すことができず、新夏には「別れること」を勧める。友人の葵は、「弱みを握ったと思って、結婚すればいい」と言う。

 そして、肝心の啓久が口にした動機は、「見たかったから」。

 そんな身勝手な動機で一線を越えてしまった人を、他者の尊厳を軽々しく踏みにじってしまった人を、どうやって受け入れればいいのだろう。よりによってプロポーズの翌日に性犯罪をおかす人を、どう許せばいいのだろう。正直、啓久という男性のことが理解できなかった。

 新夏も同様に、すぐには答えが出せない。啓久のことが好きだから許せないし、好きだから許したい。相反する思いのどちら側へも振り切ることができない。そうして新夏は、長い思考の旅に出る。やがて、最後に新夏が辿り着いた景色は、迷いの果てに見えたものだったのだと思う。答えの出せない問いと向き合い続け、自身の心に決着をつけた新夏の生き方は、誰よりも誠実だ。そんな新夏の幸福を願わずにはいられなかった。

 本作には表題作の他にもうひとつ、啓久を主人公にした一編も収録されている。そのストーリーの鍵を握るのは、盗撮事件の被害者になった女子高生だ。再会してはいけなかったふたりが邂逅したとき、「加害とはなにか」を深く考えさせられる物語が展開していく。

 センセーショナルな幕開けから、徐々に人間の業をあぶり出していく本作。ここに描かれていることは決して他人事ではない。誰もが当事者になり得る可能性を秘めている。だって、人間は弱く、醜い生き物だから。それでいて、ある瞬間、とてもやさしく尊い存在にもなれるのだ。一穂ミチさんの新作は、そんな風に、人間の多面性を教えてくれる。

文=イガラシダイ

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