車をぶつける、物忘れも激しい。老いた父を前に、40歳の息子になにができるのか――小野寺史宜の最新作『あなたが僕の父』【書評】

文芸・カルチャー

PR 公開日:2025/8/20

あなたが僕の父
あなたが僕の父小野寺史宜/双葉者)

 親というものはいつまでも親であり、常に自分よりも大きな存在だと思っていた。しかし、社会人になり、自分もそれなりに大人になってくると、気づいてしまう。親って、こんなに小さかったっけ――。久しぶりに会った両親の背中を見て、そう感じた瞬間のことはいまだに忘れられない。それはやがて来る別れの日を予感させる寂しさ、にも似ていた。

『ひと』(祥伝社)や『まち』(祥伝社)などの作品で知られる小野寺史宜氏の新作『あなたが僕の父』(双葉社)は、そんな「親の老い」をテーマにしたヒューマンドラマだ。

 主人公は都内で働く40歳の那須野富生。館山にある実家を離れ上京し、もう20年以上が経っている。母は亡くなり、実家に住むのは78歳の父・敏男がただひとり。しかし、最近、父の様子がおかしい。車をどこかにぶつけ、物忘れもする。料理をしていては指を深く切ってしまう。父が老いてしまったことを目の当たりにした富生は、会社でテレワークが認められていたこともあり、地元に帰り、父との同居をスタートさせるのだが……。

 富生が父の老いを実感するたびに、ページをめくる手が止まり、やるせない気持ちになった。ふたりの姿が決して他人事とは思えなかったから。きっと富生のなかにいる父は、まだ若くて元気な姿のままで時間が止まっていたのだろう。やがては親も歳を取ると理解はしていても、富生自身、「まだ大丈夫」と見てみぬふりをしてきた部分もあるのかもしれない。でも、一緒に過ごすようになり、「大丈夫じゃない」が少しずつ増えていく。

 また、ふたりの間にはややこしい問題もある。それは、これまでの人生で「気安く喋ってこなかった」ということ。富生がまだ10代の頃、父の浮気が発覚し、以来、富生は距離を置くようになっていたのだ。母を、そして自分を裏切った父を許せないという思いがあったのだろう。それでも、危なっかしい言動が増えた父を見捨てることもできない。富生の葛藤は相当のものだろう、と思う。

 それでも富生は、やがて「父を知りたい」と思うようになっていく。「知る」ことは、「相手と向き合う」ことだ。生半可な気持ちでできることではない。富生が一歩踏み出したのは、このままお別れをしたくない、後悔したくない、という気持ちの表れではないだろうか。

 わかる、と思った。すごくよくわかる。いずれさよならをする日が訪れるのであれば、親のことをちゃんと理解しておきたい。100%理解するなんて無理かもしれないけれど、できる限り。じゃなければ、永遠に会えなくなったときの寂しさを消化できないままになってしまうかもしれないから。

 富生の行動はそのまま、父と息子の関係を再構築していくことにつながる。それが最終的にどこへ行き着くのかは実際に読んで確かめてもらいたいのだが、ラストのエピソードを読んだとき、「すごく良い小説を読んだな」と柔らかい光のようなものを感じた。本作は決して派手な展開が描かれるわけでもないし、急転直下のドラマが待ち受けているわけでもない。ここにある物語は、きっとこの世界のどこかで実際に起っているようなことだろう。だからこそ、良い。だからこそ、こんなにもぼくら読者の心に響くのだと思う。

文=イガラシダイ

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