第32回松本清張賞は『白鷺立つ』! 比叡山延暦寺を舞台にした歴史小説。憎しみ合う僧侶の師弟、その結末は――【書評】

文芸・カルチャー

PR 公開日:2025/9/10

白鷺立つ
白鷺立つ(住田祐/文藝春秋)

 第32回松本清張賞を受賞した『白鷺立つ』(住田祐/文藝春秋)は、ただの歴史小説ではない。己の“存在”を証明するため、命をも懸けた師弟の生き様に圧倒される、至極の人間ドラマである。

 江戸後期。比叡山延暦寺の僧侶、恃照(じしょう)は悲願を達成する寸前であった。命を落とす者もいる仏教修行≪千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)≫に挑み、最も過酷な「堂入り」——9日間断食、断水、不眠、不臥で真言を唱え続けるという最後の難関を成し遂げたのだ。

 後は狭い堂内を3周するのみ。ゆっくりただ歩き切れば、彼は「当行満阿闍梨(とうぎょうまんあじゃり)」という称号を得て、大行満大阿闍梨として歴史に名を残すという悲願の成就に近づくことができた。

 しかし残り数歩のところで、恃照は倒れ、失敗してしまう。

 それだけでも悲劇なのだが、本来失敗した者は自ら命を絶つ先例の中、彼は「特殊な生い立ち」のため死ぬことを許されず、一方で自分に付き従っていた若き従者らは責任を取り、自ら命を絶ってしまう。

 かくして恃照は、“半”行満(はんぎょうまん)阿闍梨——「もう少しでしたね」という肩書を与えられ、恥をさらして生きることになってしまった。

 さらに恃照の苦しみは続く。

 弟子としてやって来た戒閻(かいえん)は、自らと同じ「特殊な生い立ち」である上、≪千日回峰行≫を完遂すると豪語し、取り繕うことなく“半”行満の恃照を蔑む不遜な青年であった。

 月日が経つにつれ、二人の確執は激しくなり——。

 本作は登場人物の関係性が非常に巧妙で、魅力的だと感じた。

 恃照と戒閻は師弟関係でありながら、お互いを最も憎い存在として認識している。しかし実はこの二人、先々帝、先帝の隠し子という共通点がある。尊き血を受け継いだものの、その存在を明るみに出せない二人は、僧侶として正体を隠し生きるしかない。だからこそ、歴史に名を残す大阿闍梨にならんと、激しい執念を燃やしていた。

 この点に限って言えば、二人は唯一の理解者になれる——はずだったのだが、憎しみ合うことになってしまったのは、運命の皮肉でもあった。

 自害せず生き恥をさらす師匠をあからさまに蔑む戒閻は、恃照にとってひどく煩わしい存在であった(死ねなかったのは帝の子どもを死なすわけにはいかないという、比叡山側の自己保身のためだ)。

 また戒閻にとって≪千日回峰行≫という悲願を、自分が果たせなかったからといって妨害する(と、戒閻は思っている。恃照には事情があるのだが)師匠は、憎んでも憎み切れない存在である。

 本作を読む前は正直なところ、江戸時代の延暦寺を舞台にした歴史小説ということで、やや「渋い」と感じていた。だが勝手に危惧していた「地味さ」など全くなかった。本作は重厚な人間ドラマに没入できる一作だ。恃照の気持ちも、戒閻の気持ちも分かる。二人の境遇には同情を禁じ得ないし、この状況で出会ったら憎しみ合うのも分かる。

 一方で二人の関係性には美しさも感じた。

 ドロドロとした憎しみ合いではなく、懸命に生きる人間同士のまっすぐな「ぶつかり合い」だからだろうか。また私怨というよりも、周囲の思惑やどうしようもできない状況に翻弄された二人に、共感と同情と、胸を締め付けられるような切なさを感じるからかもしれない。

 運命に抗い続けた師弟の上質な人間ドラマは、きっと読者の心を激しく打つだろう。

文=雨野裾

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