ピュリツァー賞&全米図書賞をW受賞!全世界で話題の小説『ジェイムズ』、邦訳がついに発売。気になる内容は?【書評】
公開日:2025/9/21

今年もっとも衝撃を受けた小説、そう断言できる。
パーシヴァル・エヴェレット『ジェイムズ』(木原善彦:訳/河出書房新社)は読者の観念を突き崩し、世界へ向けた読者の眼差しをくつがえす、圧倒的な小説だった。
舞台は19世紀のアメリカ。二人の白人少年が寝ている黒人にイタズラをするところから始まる。少年たちの名前はトムとハック、そして黒人の名はジム。奴隷であったジムは自分が売られることを知り、妻と娘との別れを恐れ逃亡するが、暴力をふるう父から逃げたハックと出会い、二人の逃避行が始まる。
そう、本書は『トム・ソーヤーの冒険』などで知られるマーク・トウェインの小説『ハックルベリー・フィンの冒険』に登場する黒人奴隷ジムを主人公にした小説なのである。
しかし本書のジムはオリジナルのように「へえ、ちゃんと伝えておくだ」といった物語で表現される奴隷固有の言葉は白人の前でしか使わない。実は白人が思い描く黒人奴隷をジムは演じているだけなのだ。
白人は奴隷が「考えてる」などと思っていない。ましてや感情を持っているとも思っていない。白人たちは自分たちより劣った存在であることを奴隷たちに期待しているのであり、ジムや周囲の黒人たちはそうした“黒人奴隷的な言葉”を使い、白人たちの期待に応えているだけなのであった。
本書では少年ハックの一人称で語られた物語『ハックルベリー・フィンの冒険』ではあまり言葉を持たされなかったジムが豊饒な言葉を持って語り出す。こうしてジムによって再構築されたアメリカ文学史上最も重要な作品は、えんぴつ一本を盗んだだけで鞭に打たれ、殺され、売買される奴隷制度下のアメリカ南部の地獄を巡るジムたち奴隷の物語へと主客転倒していくのである。
「“不安”という贅沢な感情は奴隷には許されていない。しかしあの瞬間の私は不安を感じた。“白人に対する怒り”という贅沢な感情も奴隷には許されていない。しかし私は怒りを感じた。」
1865年に廃止されるまで約250年ものあいだ続いたアメリカ南部の奴隷制度は、行動だけでなく、意志や感情といったあらゆる自由を奴隷が持つことを許さなかった。その“地獄”の世界が、オリジナルでは多くの言葉を“持たされなかった”ジムの言葉によって語られていくのである。
なかでもジムが売られた先のミンストレル・ショー(白人が顔を黒く塗り黒人を演じるショー)の一団とのくだりは感情を大きく揺さぶる。制度化された差別はけして人びとの善悪や良心、道義によって是正されることはない。だからこそこの時代に白人が語る「奴隷制反対」という言葉は茶番でしかない。奴隷制度下の白人たちの偽善的で歪な価値観を痛烈に射抜くエピソードだ。
『ジェイムズ』は、単に100年以上前の小説をアップデートした作品ではない。
『ハックルベリー・フィンの冒険』という白人の少年の話と同じ物語を黒人奴隷の視点で描くことで、読者は自らに原著で「何を知り、何を見て、何を感じていたのか?」と問い続ける。もうハックやトム・ソーヤーの姿を無邪気に読むことはできなくなってしまうが、読み継がれてきた作品への読者の眼差しを大きく変えてしまうほどの圧倒的な力を持った一冊、それが『ジェイムズ』なのだ。
文=すずきたけし