光浦靖子、50歳でカナダ留学! ワーキングビザを目指し、プロのシェフを育成する専門学校へ。挑戦の日々を綴ったエッセイ最新刊【書評】
公開日:2025/10/29

「留学してみたかったなぁ……」。歳を重ねるごとにそんな思いが胸を疼かせる。だが、「してみたかった」と過去形で捉える必要などないのかもしれない。留学に興味があるならば、一歩ふみだして、何歳からでも挑戦すればいい。
そう実感させられるのが、『ようやくカレッジに行きまして』(光浦靖子/文藝春秋)。50歳で単身カナダへ移住した光浦靖子さんのエッセイ集だ。移住から1年後、光浦さんは2022年から2024年にかけて、カレッジ(日本でいう専門学校)のプロのシェフを育成するコースで学んだ。ページをめくればそこはカレッジ。国も年齢も違う生徒たちと時にぶつかり合い時に助け合う、50代の学生”ヤスコ”の奮闘劇にワクワクが止まらない。
せっかくカナダに留学するならば、英語だけでなく、他にも何かひとつ身につけたい。それにカナダで働く経験もしてみたい。そんな光浦さんが見つけたこのカレッジは、カナダ出身のドメスティックの学生のほか、光浦さんのような海外からの留学生も通う。特に留学生向けのクラスは2年コースを卒業すると、3年のワーキングビザをもらうことができるのだ。だが、光浦さんの選んだプロの料理人を育成する2年コースは実にハード。最初の授業では「ハーイ、エブリワン」以降、シェフの英語が全く聞き取れないし、座学ではパソコンの使い方が分からず、課題の提出方法が分からない。実技が始まれば、朝の7時から午後2時まで月曜日から木曜日の週4日ほぼ立ちっぱなしで、とてつもない肉体的疲労だ。
そして、そこに人間関係のトラブルも重なる。光浦さんのクラスは、落第生も含め16人。30代〜50代が過半数を占め、ほぼ全員がアジア系だが、皆「譲り合い」の精神はなく、とにかく誰もが「我先に、我先に」。例えばボウル一つ用意するのに、みんな自分の分しか取らず、ひとり一つで済むところを何個も確保して「シェフ、もうボウルがありません」「誰か余分に取った人いない?」なんてやりとりは日常茶飯事。食材が人数分以上用意してあってもいつも足りず、シェフのお手本を見るときも後ろの人は見えない。そんな状況に光浦さんはカルチャーショックを受けつつも、曲がったことが許せず、ひとり「人に譲るキャンペーン」を続ける。
光浦さんと同じ日本人かつ同い年のヨウイチ。大らかな韓国人ギバン。日本好きの最年長、フィリピン系カナダ人チャーリー。優等生のイラン人ネル。結束力が強く、どんな情報も知っている香港ガールズ……。大人たちの気遣いに気づかないティーンエイジャーたちの行動や、キッチン内でたびたび起こる濡れ衣騒動に苛立ちを感じつつも、光浦さんは仲間たちとともにどうにか毎日を過ごしていく。そんな日々はどうしてこんなにも輝いて見えるのだろう。私たちも光浦さんと一緒にクラスの一員になったような気分。大変な毎日なのに、自然と心が弾む。
カナダで暮らす光浦さんは、どこか肩の力が抜けていて、のびのびとしている。英語はまだまだ話せないし、聞き取れない。だから、日本にいた頃のように言葉を慎重に選ぶこともできないし、本人いわく「使う言葉も雑」だ。だが、その“雑さ”が心をラクにするらしい。小さな言葉の行き違いで傷ついたり、余計なことを気にして落ち込んだり――そんな繊細な自分から、光浦さんは抜け出すことができた。大雑把に英語が理解できただけで嬉しい。会話が一往復できただけで、もっと嬉しい。そんな光浦さんの成長の日々に、私たちもつい頰が緩む。「新しいことに挑戦するのってなんて素晴らしいことなんだろう」と、改めてそう感じる。
「大変な学校だとはうっすら聞いてましたが、まさか、こんなに怒られ、泣かされるとは。私もう、50超えてますよ。年齢も国も違うクラスメイトと揉めたり、助け合ったり。青春てのは一度ではないんですね」
そんな光浦さんの言葉の通り、この本に収められているのは光浦さんの新たな青春の日々だ。カナダでのさまざまな出会いや雄大な自然の中で、毎日をいきいきと過ごす光浦さん。カレッジを無事卒業し、ワーキングビザを獲得した現在では、カナダで手芸のワークショップを始めたり、エキストラをしたり、ナイトマーケットやクリスマスマーケットで売り子をしたりと、本当にいろんなことに挑戦しているという。「ああ、やっぱり海外で暮らすのって憧れるなぁ……」。光浦さんの挑戦に何だか勇気づけられ、「私も何かを始めたい」「私もいつかは海外に」と、気づけばそっと背中を押される1冊だ。
文=アサトーミナミ
