本当はエロい川端康成!「美少女と添い寝できる宿」に足繁く通う老人を描く純文学が、あなたの心の闇を愛撫する
更新日:2017/11/11

高校生の頃、英語の先生がいわゆる“パイプカット”手術をした。先生は授業中にもかかわらず下ネタをバンバン飛ばす陽気な人で、生徒からとても人気があった。療養から復帰した後の最初の授業で彼は「俺ぁ、もう男じゃなくなっちまったからさぁ……」と僕らに向かってぼやいた。哀愁漂う表情がスーパーマーケットの前で飼い主を待つコッカースパニエル(抜け毛の激しい洋犬)そっくりだったことを覚えている。
先生の詳しい個人的な事情(健康面、金銭面、あるいは夫婦生活)は知らないが、そこにいた男子生徒たち(あるいは女子生徒)はみなその晩、自らのままならない思春期のソレをいつものように持て余しながら「男じゃなくなるって、どんな気分なんだろう」「男じゃないとしたら、先生は一体なんなんだ」「コレもいつか、うんともすんともいわなくなる日が来るのか」と、思いを巡らせたはずだ。少なくとも、僕はそうだった。
性欲はマジで厄介な代物だと思う。大概のトラブルは性欲がらみで起きることが多い。ただ「ヤりてぇな」ぐらいに単純な欲望ならまだしも、そこにエゴやコンプレックスの問題が関わってくると厄介なことになる。性欲の対象に自分自身の人格上の欠損した“何か”を癒してもらいたい、補完してもらいたいという感情を持った時点で、粘膜同士の摩擦以上の関わりを相手に求めることになるからだ。そして、大概の場合、それはうまくいかない。
そう考えると、川端康成の小説『眠れる美女』はロリコン趣味のジジイの妄想ではなく、歪んだ自己を癒してくれる究極の存在を渇望するマザコン小説であると思った。

あらすじはこうだ。友人から「美少女と添い寝できる宿がある」と教えてもらった江口老人こと江口由夫。この宿は「いたずら厳禁、お客は男じゃなくなった老人たちのみ」という不思議な娼館だ。「俺はまだこの宿に来る老人たちと違って現役だ」と嘯きながらも、なんだかんだハマってしまったらしく足繁く宿に通う江口老人。睡眠薬で眠らされた裸の美少女たちと添い寝しながら、江口老人は自らの人生そして女性遍歴に思いを馳せる。しかし「破綻」はある日突然訪れて……という内容である。
老人が、物言わぬ眠らされた美少女を慰みものにしている時点で「うわぁ……」というテーマやプロットだけを考えると現代においてはポリティカル・コレクトネス的に完全にアウトな作品なのだが、やはり、そこは日本を代表する大作家・川端康成の作品。娼館の内部と江口老人の回想のみという極めて限定された場面展開にもかかわらず、流麗な筆運びが老人たちの行き場のない欲望が破滅をおびき寄せる様を美しく退廃的に描き出す。「お願いだから、ここから出してくれぇ~」と思わず叫び出したくなるほどに、息苦しい。
江口老人が物言わぬ美少女に求めるものはなんだろうか。江口老人は「俺は男だ」というプライドでもって、一度は少女を犯そうと試みる。しかし、彼女が処女であるとわかって思いとどまる——作品が進むにつれ、もはや江口老人は「性」を少女たちに求めなくなる。そして、江口老人は自らの「最初の女は、母だ。」という結論に思い至る。結核で死んだ母の今際の姿を美少女たちの乳房に触れながら蘇らせる。
そう、高校生時代の自分が抱いた疑問にこの『眠れる美女』で答えようとすると、性的に不能となり、欲望の残滓を抱えたまま自らの人生に死を目前にして向かい合う「男でなくなった老人たち」は「母」こそが最初にして至高の「女性」であったということに気づくのだ。フロイトの心理性的発達理論やエディプス・コンプレックスをわざわざ持ち出すに及ばず、生きるための原動力である性欲と精神的な充足感を両方与えてくれるのは「母」しかいない。
本当に恐ろしく哀しいのは、自らの人生の終わりに「母」がいるということはほとんどの場合ないということである。死ぬときは誰もが一人だ。美少女の若い肌も、人いきれもごまかしにはなるが、根本的な癒しにはならない。死が眼前に浮かび上がってくる作中のあまりにも衝撃的なラストは、おそらく我々が恐れと怯えの中で「欺瞞」を頼りにして生きて死んでいくしかないという救いのない人生哲学の暗示に違いない。
果たして、あの日、パイプカットをした先生は今、どうしているのか。何に慰めを見出しているのか。まさか美少女と添い寝をしているはずはないと思うが、どうか平穏無事なこころ穏やかな老後を送っていてほしいと、そう思う。「救いは、ありますか?」と話しを聞いてみたい。自宅近くの公園でメス犬の尻の穴の匂いを必死に嗅ぐコッカースパニエルの姿を見かけて、あの日のことを切なく思い出したのであった。
文=小田部 仁
イラスト=吾嬬竜孝
●吾嬬竜孝(あずま・りゅうこう)
漫画家。現在『ジャンプ+』にて『鉄腕アダム』を連載中。
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