KADOKAWA Group

Facebook Twitter LINE はてブ Instagram Pinterest

こども風土記・母の手鞠歌 (岩波文庫 青 138-4)

こども風土記・母の手鞠歌 (岩波文庫 青 138-4)

こども風土記・母の手鞠歌 (岩波文庫 青 138-4)

作家
柳田国男
出版社
岩波書店
発売日
1976-12-16
ISBN
9784003313848
amazonで購入する

こども風土記・母の手鞠歌 (岩波文庫 青 138-4) / 感想・レビュー

powerd by 読書メーター

壱萬弐仟縁

「公認の悪戯」(61頁~)。「味をしめるということが、よく子どもについてはいられる」(同頁)。要はいい気になる、というやつだ。しかし、子ども遊び:「自分たちの遊戯を改良し、また発達させる能力を具えているということが、ままごと鬼ごとの二つの遊びにおいてはことによく見られる」(73頁)。この能力は、ゲーム機など部屋遊びで得難くなってきた。沖縄の島には、金ハブ銀ハブがおそろしいのに、神さまのように思って矛盾している感じ(143頁)。姨捨の話も出る(176頁~)。日本人の特徴は眼鏡と風呂敷の時代も(262頁)。

2013/10/17

itokake

国立国会図書館「戦時下の推薦図書」で紹介。名エッセイ。「こども風土記」(1941年)は、親子が共に読めるようにと、遊びの地域差や由来を書き、「母の手毬唄」(1945年)は、疎開児童向けに新しい土地で目にする生活の違いを考えるきっかけになるよう、食事の回数や荷運びの変化など身近な例で書く。おままごとは少女達で煮炊きをする各地の行事が由来。「お茶の子」という塩味すらない団子を食べながら起き抜けから作業に出た人たち。この素朴なお茶の子は今はもうない。残るものと消えるもの。この名著はずっと残っていくだろう。

2021/02/24

OjohmbonX

衣食住や子供の遊び等の形態や呼び名が、地域で違ったり離れた場所で同じだったりするのは、地層っぽい感じで、起源に近いものと、その上に時代が被さって変質したものの差だから、地域的なグラデーションを見ないと歴史は見えないし、そして何が積層して今の自分を規定してるかも見えない。明言されないけど、そんな視点みたい。だから、その差を隠蔽するような解釈(呼び名に与えられた漢字から意味を推量するとか)は否定するし、祈祷の個人化を「信心じゃない」と珍しく怒るのも、それが人を規定するもの(信心)を隠蔽する方向に働くからかも。

2014/01/29

ひめだるま

何気なく使っている道具が、遠い昔に使っていた道具の少しずつ変化したものであり、その時代や使う人々の使い勝手がいいように改良せられていったものである。それは現在進行形で、人の知恵というのは果てしない物なんだなあと思う。昔は物を運ぶ時は縄で背中に括りつけたり、頭に載せて運んだりしていた。徒歩で。それが現在はトラックや航空便や船便など多様になっている。これが今からどう変わるのだろうか。

2014/07/09

LOHASPO

たしか・・この本にうちのばあちゃんが歌っていた『西郷隆盛たましいがふわりふわりと飛んでくる』という手まり歌のことも載っていて、昔の記憶が一気に甦った体験をしたようなしないような

2010/05/06

感想・レビューをもっと見る