いつもそばには本があった。 (講談社選書メチエ)
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【ひとめ惚れ大賞】 哲学を求める時代は不幸なのかもしれません『いつもそばには本があった。』國分功一郎インタビュー
『いつもそばには本があった。』 國分功一郎、互 盛央 装丁:奥定泰之 編集:互 盛央 編集:篠田里香 講談社 900円
本書は僕が新聞連載していた「半歩遅れの読書術」に編集者の互さんが興味をもってくれたことから始まりました。一つの本を巡っていろんなものが浮かび上がってくる感覚が面白い、これを一緒にやってみないかと。互さんとは長い付き合いで、僕のデビュー作、ジャック・デリダ『マルクスと息子たち』の翻訳書から一緒に仕事をしています。特に『ドゥルーズの哲学原理』は互さんが「絶対に書くべき」と背を押してくれたから書けた本。「これが面白くなかったらもう國分君と付き合わない」とも言われましたが、幸い今も付き合いは続いています(笑)。
僕と互さんは読書の姿勢がけっこう違って、互さんはとにかくたくさん読むんです。でも僕は楽しみのために読むというより、目的のために読むタイプ。『暇と退屈の倫理学』という本も書きましたが、すぐ退屈しちゃうんです。だから常に面白いと思えるテーマを探している。もはや病気みたいなものかもしれません。それでテーマ/目的が見つかると、一気に集中…
2019/8/11
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いつもそばには本があった。 (講談社選書メチエ) / 感想・レビュー
KAZOO
互さんと國分さんの学生時代に読んだ本を中心としてのやり取りを本にしたものです。私はもう少し内容が専門的でないものを期待したのですが、このお二人が当時読んでおられた本はかなり難しいと感じました。さらっと読むには私の理解をはるかに超えています。松岡さんの本では難しいものでもかなりエッセンスなどをわかりやすく説明されていますが、この本は再読してその中にある本を少し読まないとついていけない気がしました。
2019/09/09
tamami
何年か前に購入し、積ん読本になっていたのを著者名に惹かれて文字列を追う。人文学専攻の二人の著者による既読の人文書を巡る文章による対話集、といったところだろうか。学者商売というのは、これほどの読書体験がないと勤まらないものなのだろうかと、ソシュール、バルト、フーコー、アレント・・・そして現代日本の幾多の思想家を巡る読書修行の記述に舌を巻く思いがする。本書のはじめの方で、著者の一人互さんが、鈴木孝夫さんの『ことばと文化』が出発点というような告白をされている。道は遠いけれども自分の道を歩いて行こうと改めて思う。
2023/06/21
ころこ
著者のひとりに國分の名があったので読んでみました。ふたりの学生時代に格闘した問題と、そのとき読んだ人文書が紹介されています。当時の試行錯誤の様子、「よく分からなかった」「よく覚えていない」など、学者として率直にいうのが憚られる楽屋裏を覗かせてくれます。一番注目したのは、國分が「読まなかった本」を取り上げているところです。こういう問題意識の持ち主に共感します。まわり道をしていない人なんていない。それでも多くの問題を考え、多くの本を読むことが大切だと、もっと早く教えてくれれば良かったのにと思えました。
2019/03/14
trazom
國分さんと互さんの往復書簡のようなリレーエッセイ。私からは一世代下の二人だが、実存主義から構造主義・ポスト構造主義と現代思想が変遷する中で、本との関わりに共通点は多い。「死ぬほどがんばればデリダにはなれるかもしれないけれど、どんなにがんばってもドゥルーズにはなれない」という國分さんの言葉に、思わず膝を叩く。「精神のリレー」という埴谷雄高さんの言葉もいい。デカルトからスピノザに精神のリレーがあり、それが現代に繋がって、ドゥルーズ、フーコー、デリダの間でのリレーとなる。本を題材にした会話は、本当に楽しい。
2019/10/02
ネムル
70年代生まれの二人による気ままな読書リレー。國分は政治思想、互は言語をスタートに様々な本が俎上に上がり、連関されていく。「精神のリレー」は時代のリレーであり、友人との連帯であり、自分へ再帰する読書体験である。とても楽しく、羨ましくもなる本だ。また、この25年で思想の対象がいかに変わっていったか、人文書と社会の変遷がよくわかる(80年代を席巻したというリブロ今泉棚なんてちゃらい話題は全く出てこないが、中野幹隆の功績など出てくる。叢書エパーヴは初めて知ったが、古書店で探したくもなる)
2019/12/11
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