岸本佐知子 Interview long Version 2008年6月号

インタビューロングバージョン

更新日:2013/8/19

●『五月』アリ・スミス

アンソロジーって、どの作品を一番最初に持ってくるかで
読者の第一印象が決まってしまうところがありますよね。
だからどの作品にしようかずいぶん悩んだんですが、やっぱり自分が一番気に入ったこれにしました。
ある人が、ちゃんとした恋人がありながら、一本の木に熱烈に恋をしてしまうという話で、設定はかなり変わっていますが、恋愛の対象が普通でないということを除けば、とても切ない三つ巴のラブストーリーだし、何しろ
言葉がとても美しい。そこを味わって読んでいただけるといいなと思います。
終わり方も切なくて温かくて、すごくいいんですよ。

●『僕らが天王星に着くころ』レイ・ヴクサヴィッチ
●『セーター』レイ・ヴクサヴィッチ

彼女から手編みのセーターをもらった時の気まずい感じって、
男の人なら覚えがあるんじゃないでしょうか。
セーターって着る時に一瞬だけど、暗闇に入りますよね。
その一瞬の暗闇に男女の不可解さ、恋愛の溝を見てしまった
作家の想像力が素晴らしいと思います。
この作家だけはたまたま2編入っているんですが、とんでもない奇想から出発して、そこはかとない切なさを引き出してみせる、不思議な書き手です。

●『まる呑み』ジュリア・スラヴィン

男の人には母体回帰願望って多分にあると思うんです。
いっぽう女の人が息子を溺愛するのだって、それがある意味、理想の男女関係だからで、
そういう男女の思惑が一致すると、こういう話になる(笑)。
ジュリア・スラヴィンは風変わりなものを書く作家で、
去年出た新しい長編が、平和な郊外の中流家庭の裏庭にグエムルみたいな怪物が出現して人間を喰らうという、これもまた風変わりな話で、興味をそそられます。

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●『最後の夜』ジェームズ・ソルター

ちょっと突拍子もない話が続いたので、ここらで地に足の着いたものをと思って
選びました。ジェームズ・ソルターは日本ではまだあまり知られていませんが、アメリカでは作家から尊敬される、いわゆる“玄人受けする作家”の一人です。
これでもかというくらい削ぎ落とした、余分なものの何一つない文章を書く人で、
それゆえに一行一行がものすごく濃くて、訳していて緊張しました。
人間のむき出しの姿をえぐり出すように描く、恐ろしく意地悪な作家で、読むとなんとも苦い気持ちになるんですが、私は好きな作家です。
この作品も、結末がわかってからもう一度読むと、
ひとつひとつのなにげない言葉がものすごく意味深に思えてきて、2度怖いですよ。

●『お母さん攻略法』イアン・フレイジャー

これは、よくある若者向け恋愛指南書の文体パロディ。
女性との出会いが難しい昨今、目の前に素晴らしい女性がいるじゃないか、
それは母親だ! というわけで、シチュエーション別お母さんのナンパのしかたからお父さんの撃退法まで、初心者にもわかりやすく丁寧に指導してくれます(笑)

●『リアル・ドール』A・M・ホームズ

私、子供の頃、人形遊びができなかったんですよ。
もちろん自分では持っていなくて、家ではダンプカーの玩具とかで遊んでいたんですが、
友達の家に行くとお人形遊びをやらなくちゃいけない。
お互いに人形、その頃だからバービーちゃんとかタミーちゃんを手に持って、変な裏声で「ナントカちゃん、ナントカしましょ」とか言い合わなくちゃいけなくて、もう本当に楽しくなかったんですが、幼な心に「楽しくない」って口に出して言うことは
非常に危険なことに違いないとわかった。
まだ幼稚園なのに自分の本心を隠してお人形遊びをする、あの後ろめたさは何か強烈な原体験として残っています。
この作品にも、人形遊びが本質的に持っているグロテスクさが表れていると思います。
お兄さんがバービー人形と深い仲になるにつれ、妹のバービーに対する虐待がだんだんエスカレートしていくところに、無意識の嫉妬というか近親相姦的な匂いも感じますね。

●『獣』モーリーン・F・マクヒュー

この話がいったい何なのか、正直うまく説明できません。12歳の少女がお父さんと日曜のミサに行く、その帰りに講堂の暗がりで不気味な怪物に遭遇する。ただそれだけの話で、非常に短い作品なんですが、それだけにいろいろ妖しい深読みを誘われる。たとえば彼女がこっそり盗んだ父親の革手袋のなまめかしい感触だとか、お父さんが彼女を昔は“Muscles”と呼んでいたこと、謎の怪物の背丈が「ちょうど父と同じくらい」であることや、春の雨上がりの湿った感じまで……。
性愛めいたことは一切出てこないにもかかわらず、このアンソロジー中もっともエロチックで美しい一篇ではないかと思います。

●『ブルー・ヨーデル』スコット・スナイダー

これは、飛行船に乗って去っていってしまった恋人を若者が車でただひたすら追いかけていく、という話なんですが、
面白いのは、主人公の彼にとって、しょっちゅう女の子と命のない人形とが
等価になっているんですよね。恋人クレアとの出会いにしても、蝋人形館で働いていた彼女が人形のふりをして、死んだものみたいになってるのを見て一目ぼれするんだし、ナイアガラの滝で監視員をしている彼が、滝に落ちた人形を女の子と見間違えたために同僚が命を落しそうになる事件も起こる。
この作家のほかの作品を読んでみても、男子が女子を好きになるんだけれど、結局生身の彼女を理解できないまま、ただ心を傷つけて終わる、という話が多くて、そういう意味で、飛行船も人形も、すれ違いの象徴のような感じがします。
ただ、描かれている思いはとても切実で、追い求めて追い求めて、そこはとても純情。
まっすぐな恋心だと思うんですよ。
ただこの作家、本気なのか冗談なのか、本筋とぜんぜん関係ない変なディテールを書き込む癖があって、そこがじつは一番魅力的だったりするんです。この話に出てくる、穴の中にお爺さんが一人ずつ入っている謎の温泉なんか、ぜひ行ってみたい。

●『柿右衛門の器』ニコルソン・ベイカー

翻訳家としてまだ駆け出しの頃にベイカーを訳したことで、その後の私の方向性が
決まったことを思うと、大変重要な出会いだったわけですが、
最初にベイカーの『中二階』を訳すことになったのは、本当に偶然でした。
その日、私と打ち合わせをすることになっていた編集者が
たまたま立ち寄った本屋さんで買って、「これ、面白そうだから、読んでみて」
と渡されたのが『中二階』だったんです。その日その編集者が会うのが別の翻訳家
だったら、私はベイカーなんて知らないままだったかもしれない。
いろんな作家を訳してきましたが、ベイカーは自分と性分が似ていると
思うし、彼のものを訳すことによってその性分がますます強化されたような気がします。
初めてのエッセイ『気になる部分』を書いた時、「普通のいい大人はそんなこと考えないし書かない」というようなことを書いている自分がいたのも、もしかしたらベイカーの「ストッパーのなさ」がうつっていたのかもしれません(笑)。
ベイカーは以前、スティーヴン・キングに「貧血ぎみの、ちまちましたことしか書かない作家」と悪口を書かれて、キングの向こうを張って正統派ゴシック・ホラーの短篇を書いてみせたんですが、それがなぜかジャガイモについての話(笑)。
この作品もホラー風味ですが、柿右衛門の器や陶器の製法についての緻密な描写が、やっぱりベイカーだなと思います。

●『母たちの島』ジュディ・バドニッツ

バドニッツとの出会いは、実はかなり古くて、20年くらい前に、たまたま向こうの雑誌で
“アメリカに彗星のごとく現れた新人”みたいな書評を見たのが最初でした。
それからずいぶん時間がかかってしまったけれど、去年彼女の短篇集『空中スキップ』を訳せたのは本当によかったと思います。
普通の話は絶対に書かない人で、この作品も、どことも知れない孤島に母たちとその子だけが暮らすという、どこか神話の匂いのする物語です。
島という閉鎖的な場所を舞台に、男女の性というテーマが凝縮された形で描かれていて、息苦しいほどなんですが、最後にひとすじの希望の光がさす、その感じがこのアンソロジーの最後をしめくくるのにふさわしい気がしました。
バドニッツは、これからも訳していきたい作家ですね。