自分のセクシュアリティがバレて、夜逃げする人も……。『夜逃げ屋日記』宮野シンイチ×『ゲイ風俗のもちぎさん』もちぎ対談

マンガ

公開日:2023/11/4

夜逃げ屋日記
夜逃げ屋日記』(宮野シンイチ/KADOKAWA)

 どこか遠くへ逃げ出したい、と願っていても、それを叶えることは決して容易ではない。住む場所はどうする? 仕事は? 周囲の人たちにはなんて説明する? それ以前に、逃げ出すことを“阻む人”がいたら……。そう、すぐにでも逃げ出したいと思っているのに、どうしても現在いる場所に縛り付けられ、雁字搦めになっている人たちも少なくないのだ。

 しかし、そんな人たちに手を差し伸べ、逃亡の手助けをする存在がいる。それが「夜逃げ屋」だ。パートナーにDVを振るわれている、家族から虐待を受けている、正体不明のストーカーに狙われている……。さまざまな事情を抱える人たちが、“最後の望み”として夜逃げ屋のトビラをノックする。

 そんな夜逃げ屋で実際に働きながら、その実態を伝えているのがマンガ家の宮野シンイチさんだ。元々はマンガ原作者志望であり、大手版元で連載を勝ち取るために試行錯誤していたという宮野さんは、ひょんなことから夜逃げ屋の世界へ足を踏み入れることに。そこで目にした衝撃的な出来事をSNSにアップしていたら、あっという間に注目を集めるようになってしまったという。そしてこのたび、デビュー作となる『夜逃げ屋日記』(KADOKAWA)を刊行するに至った。

 それを記念して、対談を開催することに。相手を務めるのは、同じくSNS発の人気作家であるもちぎさんだ。

 実はもちぎさん自身も、実家から逃げ出した経験の持ち主。そんなもちぎさんは『夜逃げ屋日記』をどう読んだのか。逃げ出すことの是非や、実体験を作品にすることへの葛藤など、縦横無尽に語ってもらった。

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夜逃げ屋日記

夜逃げ屋日記

■セクシュアリティが周囲にバレて、逃げ出したいと願う人も

――宮野さんのデビュー作である『夜逃げ屋日記』を読んでみて、もちぎさんはどんな感想を持たれましたか?

もちぎさん(以下、もちぎ):あたいは重たいテーマを扱ったノンフィクションなども好きなんですが、それって読むときに体力が必要なんです。それに比べると『夜逃げ屋日記』は社会性を含みつつ“コミックエッセイ”の形式で描かれていたのがよかった。誰かのもとから逃げ出すという重たいテーマを扱いつつも、とても読みやすかったんですよ。それぞれの事情を考えると「面白い」と表現するのは違うかもしれないけど……、それでも読めてよかったと感じました。

宮野シンイチさん(以下、宮野):ありがとうございます! ぼくだけじゃなく、ぼくの母親も勤めている夜逃げ屋の社長も、みんなもちぎさんの大ファンなんです。だからそんな方に感想を言っていただけるだけで感激しています……。

――『夜逃げ屋日記』に出てくる人たちのように、もちぎさんも過去に実家から逃げ出したことがある、と著書で書かれています。あらためて、その当時のことをお話しいただけますか?

もちぎ:高校生の頃からカラダを売って、ずっとお金を貯めていました。ただ、そのエピソードを話すと「家を出るためにしっかり計画していて、行動力と決断力があったんだ」と誤解されがちなんですが、そうではなくて。将来のことを考えていたわけではなくて、お金を貯めるということは目に見えて結果が出るひとつの方法であっただけなんです。一万円もらえば、一万円貯金が増える、みたいな。だからカラダを売って、お金を貯めていただけなんです。その後、家出をしたのは衝動的なものでした。親にバレて、どこにも居場所がなくなって、家を出るしか選択肢がなかったという……。

宮野:実は夜逃げ屋の依頼者のなかには、一定数、セクシュアルマイノリティの人たちがいるんです。職場や学校、親にバレてしまって、ここで生きていくのはつらい、違う場所で生きていきたい、といった理由で依頼されます。

もちぎ:その人たちの気持ちはめちゃくちゃわかります。たとえば職場でバレてしまったら、顔も本名も出身大学も知られているし、その瞬間すべてが終わりみたいな感覚に陥る気がします。ゲイの世界でも、どれだけ仲良くなっても勤め先や本名は打ち明けないことがある。それはみんな、ゲイってことがバレたら実生活での死が待っているとうっすら感じているからなんです。

 あたいもゲイだということがバレたとき、精神的に病んでしまいました。誰も知らない土地に行きたい、環境を変えたいけど、そんなの無理だから死ぬしかないんだろうな、って。ただ、「死にたい」って思うのは安直な発想だとも思います。実際にそういう選択をした人たちには申し訳ないんですけど、やはり死ぬ前に一歩立ち止まるべき。だから、そこで夜逃げ屋さんを頼った人たちは凄いと思いますよ。死ぬんじゃなくてプロの力を借りて、他の場所で生きようって考えられる人たちには地力がありますし。

――『夜逃げ屋日記』に出てくる人たちも、みんな追い詰められているなかでどうにか逃げ出そうと決意しますよね。それを宮野さんや社長さんが救う。そのなかには、文字通り「命を救われた」人も少なくないと思います。

宮野:そうですね。生き続けるきっかけを作ってあげられたことに対しては、ぼくも社長も誇りを持っているんです。ただ、社長は「助けてあげたんじゃなくて、助けさせてもらったんだ」とよく言っていて。社長は、必要とされることが自分の力になっているみたいなんです。だから、夜逃げが上手くいった後もずっと依頼者と連絡を取り合っていて、なかには10年来の付き合いの人もいるくらい。もちろん、すべての人の人生を追いかけ続けることなんてできないんですけど、可能な範囲で関わっていきたいですよね。そして、逃げた先でちゃんと生きている人たちのことを知ると、この仕事をやっていてよかった、と思います。

夜逃げ屋日記

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■「生きるために逃げる」ことは悪いことではない

――そもそもお二人は「逃げる」ことをどう捉えていますか? 「逃げるなんて負けだ」と言う人がいる一方で、「たとえ逃げてでも生き延びろ」という言説もあります。

宮野:ぼくは「生きるために逃げる」のはアリだと思っています。今の『夜逃げ屋日記』を描く前、大手の版元で連載をしたくてずっと持ち込みをしていた時期があるんです。「これじゃ駄目だから、もう一度描き直して」って言われて、言われた通りに描いても連載会議で落とされて……。そんなことを何度も繰り返していくうちにノイローゼみたいになってしまって、なかなか夜も眠れなくて、夜逃げの仕事をしているときに急に眠くなる、みたいな日々だったんです。その頃はもう、マンガを描くこと自体がまったく楽しくなかった。

 でも、たまたまツイッター(現X)に夜逃げのマンガをアップしてみたら、周囲の人たちから「いいじゃん!」って言われて。振り返ってみれば、『夜逃げ屋日記』の1話目のネームを描いていたとき、爆笑していたんです。「こんなことあったな」「社長に電話するとき、こんな感じだったな」って思い出しながら、笑いが止まらなくて楽しかった。同時に涙も出てきました。マンガを描くことを楽しめるようになった、戻ってこられたって思ったら、安心したんですよね。

 周りから見れば、ぼくは大手版元から逃げ出したマンガ家、ということになるのかもしれませんが、でもこうしてマンガを描いていますし、本当によかった。だから、生きるために逃げることをぼくは肯定したいんです。

もちぎ:逃げて、でも描くことで救われたんですね。あたいも描くからわかるんですけど、コミックエッセイってやはり作者が救われることが多いと思います。描きながら涙が出てきて、筆が乗るという感覚はあたいもめちゃくちゃわかります。

宮野:もちぎさんも描いているときに泣いてしまうことはあるんですか?

もちぎ:あたいは元々、マンガを描くことが好きだった人間ではなかったんです。ただ、ツイッターで発信するうえでテキストよりもマンガのほうがインプレッションが上がるかな、という目論見があって。つまり凄く打算的にマンガを描きはじめた人間なんです。だからマンガを描く喜びみたいなものはなくて、むしろ苦痛ばかり。1ページのために何時間もかかって、世の中のマンガ家さんって本当に凄いな……って驚きましたし。

 でも、そうやって発表した作品に対して、「描いてくれてありがとう」「凄くよかった」と言われたとき、涙ちょろりしましたよ。描いてよかったな、って。

夜逃げ屋日記

■誰かにとっての“逃げ場”になるような作品を描きたい

――創作物というのは、ときに「逃げ場」になるとも思います。つらい現実を一時忘れるために、映画や小説、マンガの世界に逃避する。クリエイターであるお二人は、いわば「逃げ場」を生み出す人たちでもあるわけですが、それはどう捉えていますか?

宮野:父親からの虐待を受けていた依頼者さんの夜逃げを手伝っていたとき、その人の部屋には物凄い数のマンガがあったんです。でも「これも詰めますね」と言ったら、「それはもう持っていきません」と拒否されてしまった。どうしてだろうと思いますよね。ただ、その依頼者さんからすると、つらいときに支えてくれたのがマンガで、でもこれから新天地に行くにあたって、もうそのマンガは必要ないということだったんです。この場所から逃げ出せたら、マンガに頼るくらいつらいことは起きないはず、と。それを目の当たりにしたとき、誰かのつらいときを支えることができたなら、その作品には価値があるんじゃないかと思いました。

 よく、「100年後も読まれる名作」という表現がされますよね。小説でも映画でも言われることですし、ぼくもそういった名作に触れることがあります。だから、100年後でも読まれるものが名作で、とても良い作品なんだと思っていました。

 でも、その依頼者さんとの出来事があってから、仮に100年後に読まれることはなかったとしても、その人が一番苦しいときに寄り添える作品だって名作と言えるのではないか、と考えるようになったんです。だからぼくは、そういう作品を描きたいと思います。

もちぎ:わかります。映画でも小説でもマンガでも、あのときに自分のことを救ってくれたけど、だからこそ、救われた今はもう見たくない、というものがあります。申し訳ないんだけど、当時の苦しさが蘇ってしまうから。でも、救われたことは事実であって、それが作品の意義なのかな、と。そういう作品を生み出せたら良いですよね。

 先日、古本屋さんに寄ったとき、もちぎの本が全部一冊ずつ置いてあったんです。これは想像でしかないんですけど、それを見たとき、もしかしたら、もちぎの本に救われていた人が一冊ずつ集めてくれていて、ようやく要らない状況になって手放したのかなって思ったんですよ。いや、もしかしたら、最近のもちぎは無理ってなって売った可能性もあるけど(笑)。ただ、その人のことを考えると、凄く嬉しくて。本って手元に残るものでもあるけど、売ったとしても心に残るものでもありますよね。だから、宮野さんが仰っていることに共感します。

 版元さんからすれば一冊でも多く売れてほしいと思うんだろうけど、作家としては古本屋さんでも買ったとしても、図書館で出会ったとしても、そうやって読まれることに価値があるし、その時間は全部無駄じゃないんだよと言いたいですね。

■「人の不幸をネタにしているだけ」と言われて

――そうやって「誰かの逃げ場」になるような作品を生み出す一方で、作品を描くことの悩みはありますか?

もちぎ:やっぱり描くことの弊害もあるんです。あたいが描いているゲイ風俗も宮野さんの夜逃げ屋さんも、社会的には陽の光が当たるような仕事ではないと思うんですよね。ちょっとアンダーグラウンドにあるというか……。それなのに、あたいたちはそこに注目を集めるような作品を描いている。たとえばあたいが描いているゲイ風俗の世界も、描いたことによって物見遊山的に調べる人が増えたりして、すると現役の子からは「もちぎのせいで注目を浴びて、ちょっかいかけてくる人が増えた」となるわけです。

 夜逃げ屋って仕事も宮野さんが描いたことで、もしかするとDVを振るう側が「夜逃げ屋なんてあるのか。俺のパートナーもそれに頼ろうとしているんじゃないか」と考えるかもしれない。だから発信することが良いのか悪いのか、凄く考えます。ただ、発信しなければ届いてほしい人たちに届かない。そんな葛藤があるんです。

宮野:描く前にとても怖くなったのは、「人の不幸をネタにしてるだけじゃん」と言われてしまうことです。そう言われてしまったら、否定できないんです。DVやストーカーなど、本当に苦しんでいる人のことを描いて、ぼくは注目を集めてしまっている。だけど、ある人から、「それでも、夜逃げ屋の存在を知らない人に届けられているんだし、白黒つけずに描き続けたほうがいい」と言われて。良い面も悪い面もあるかもしれないけれど、必要としている人に届くかもしれないということを信じて、描き続けるしかないと思っています。

もちぎ:ゲイ風俗も夜逃げ屋もグレーゾーンにある仕事ですよね。正直に言うと、社会の隙間を埋める仕事だとすら思っています。もしも社会福祉が完全に成立していたら、絶対に必要のない仕事じゃないですか。風俗なんて「セックスワーク イズ ワーク」っていう運動もありますけど、そうやって公認させようとしないといけないくらいグレーゾーンに位置しているわけで、夜逃げ屋だって、本来は弁護士などに頼って解決すべきと思われがち。つまりあたいたちの仕事は必要悪みたいなものです。ただ、すべてを国や自治体が管理できるのかというとやはり完璧ではないし、あまり干渉しすぎると、管理社会になってしまう。で、余白を作ると闇が生まれる。ぼくらはその闇を埋めてきたわけで、発信者としてはそこへの批判をある程度は覚悟しなければいけないとも思います。

宮野:社長がよく、「夜逃げの仕事がなくなるんだったら、そのほうがいい」って言うんです。それを受けてなお、ぼくは夜逃げについて描いていていいのかと悩むんですけど、その答えはぱっと出ない。描き終わるまで悩むだろうし、描き終えてからもきっと悩み続けるはず。

もちぎ:でも、その明確な答えを持っていないところ、どちらかの立場に偏ることなく、考え続けながら発信しているという姿勢が一番良いと思います。もしかするとそれは事勿れ主義と捉えられるかもしれないけれど、考えながら描くのが現時点での正解だと思うんです。

宮野:答えは一生出ないかもしれないですよね。宗教2世として生まれて苦しんでいる依頼者さんのエピソードを描いていたときも、宗教で救われている人がいるのも事実だし、一方で不必要に苦しんでいることもたしかだった。それをどう描けばいいのかめちゃくちゃ悩みながらも、ぼくなりに描いたんです。だから、答えはありません、というのが正直なところですね……。

■すべてを失う覚悟で逃げた人は、凄い決断をしたと思う

――答えはすぐに出ないけれど、それでも届けたい人のために描き続ける。お二人の真摯な姿勢が伝わってきます。ではここで、宮野さんからもちぎさんに訊きたいことを訊いてみましょうか。

宮野:そうですね……。これから「夜逃げをしよう」と考えている人がいたとして、彼らは物凄く葛藤していると思うんです。自分がやろうとしていることは正しいことなのかどうかって。だから、そんな人に対して、メッセージをいただけますか?

もちぎ:あたい自身も母ちゃんから逃げた立場として、ときには夜逃げの成功者だとか、サバイバーだとか言われることがあるんです。でも決してそんなことはなくて。たまたま運や環境が重なってなんとか逃げられましたけど、まだ母親は生きていますし、これからなにかが起こるかもしれない。だから、まだどうなるかわからないんです。

 そのうえで言うとしたら、お金を貯めて夜逃げ屋さんの力を借りるという選択を取れた人は、とにかく凄いということ。生き延びるためにあらゆるものを天秤にかけて、すべてを失っても構わないから逃げるという道を選べたのは勇気だと思います。だから本当に、夜逃げに対して後ろめたさを感じる必要なんてないし、とにかく凄いことだよと伝えたいですね。

宮野:ありがとうございます。もちぎさんファンの社長も喜ぶと思います!

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――では最後に、コミックエッセイを描く先輩と後輩として、お互いへのメッセージを交換して対談の終わりにしましょうか。

もちぎ:作家という生き物は世間でも少ないですし、ましてやコミックエッセイで自分の人生や体験を描く人なんてもっと少ない。しかも、それが表に出しづらい仕事だったらなおさらです。だから今回、宮野さんとお話しできて、似たような作家がいるということに勇気をもらいました。

 同時に、宮野さんが描いているみたいに、どんなものにもスポットライトが当たるということを知って、ひとりのマイノリティとしても励まされました。大袈裟だと思われるかもしれませんけど、生きていても良いんだなって感じたんです。それくらい嬉しかった。ありがとうございます。

宮野:実を言うと、ツイッターにマンガをアップしようかなと思ったきっかけのひとつが、もちぎさんの存在だったんです。自分はあまり絵が得意ではなくて、そんなときに見かけたのがもちぎさんの投稿で。当時のもちぎさんは、あまり絵を描いたことがない人なのかなという印象でしたが、それでも注目されていたし、その後、上手くなっていった。だからぼくも絵の勉強をし直しつつ、臆せず投稿してみようと思ったんです。

 今回、編集さんから「対談したい人はいますか?」と訊かれて、真っ先にもちぎさんの名前を挙げました。そうしたらOKをいただけて、こうやっていろんなお話ができて。何年越しかわかりませんけど、ぼくの思いが届いて、感無量です。本当にありがとうございました。

取材・文=イガラシダイ

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