今年の『このミス』大賞に輝いたのは驚異の古代エジプトミステリー!『ファラオの密室』白川尚史インタビュー

文芸・カルチャー

PR更新日:2024/1/19

 ※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2024年2月号からの転載です。

白川尚史さん

 とんでもない設定の作品が第22回『このミステリーがすごい!』大賞を獲った。
 時代は約3400年前の古代エジプト新王国時代、主人公にして探偵役は死から蘇った被害者本人。
 特殊設定ミステリー流行りの昨今とはいえ、ここまで来たら究極である。新人賞にこの設定で挑んだ著者の度胸には、ただただ脱帽するばかりなのだが……。

取材・文=門賀美央子 写真=山口宏之

「実は、第21回の『このミス』大賞にも応募していたんです。作品はかなりガチガチの本格クローズドサークルものでしたが、残念ながら1次すら通過できませんでした。がっかりしたものの、講評では『本格のセンスには光るものを感じます』というような評をいただけたので、その言葉を受けて考えたんですね。落選の理由はトリックそのものではなく、ドラマやキャラクター作りに問題があったのだろう、と。ですので、課題として、舞台設定も含めて“魅力的”と感じてもらえるなにかを配置しなければいけないと考えたのが、本作のスタートになりました。次に、戦略として、本格色は少し薄めようと思いまして。本当は2つも3つもトリックを重ねるのが好きなのですけど、あえて抑えて1つにし、逆にキャラクターやドラマを深掘りするようなリソース配分にした上で、読者が魅力を感じるのはどの部分なのか、そこを探っていきました」

 なんだかすごい。新人とは思えぬ冷静かつ的確な自己分析だ。これはただ者ではないと思いきや、案の定異色の経歴の持ち主だった。

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バリバリ理系の起業家現役取締役がミステリー作家に

 白川さんは現在34歳。年齢的に社会人経験はあるだろうと思っていたが、その経験が破格だった。なんと東大工学部卒で起業家、その上現在は某社の取締役も務めているというのだ。そんな人がまたなぜミステリーを書こうと思ったのだろうか。

「小説家への憧れは幼い頃からありました。本がたくさんある家だったので自然と読むようになったのですが、当時はミステリーよりSFやファンタジーを読むことの方が多かった気がします。また、安能務さん訳『封神演義』が大好きで、本当にカバーが擦り切れるほど読みました。いくつものすばらしい作品に出会っていく中で『こんな世界を生み出せる作家ってかっこいいな』と思いながら生きてきた、という感じです」

 少し遅れて読み始めたミステリーは定番を着実に押さえていった。

「当初、特に好きだったのはアガサ・クリスティでした。とりわけ『オリエント急行の殺人』のポアロのあの最後の選択には人間ドラマとしての魅力が溢れているように思います。本格ミステリーに関しては、エラリー・クイーンが入り口になりました。でも、読む作家の幅が広がったのは社会人になってからのことです。一緒に働いていた大学の先輩にミステリーに詳しい人がいて、その人が『東西ミステリーベスト100』に選ばれている作品から読んでいくのが一番いいと教えてくれたので、片っ端から読んでいきました」

『東西ミステリーベスト100』とは1986年に出版されたミステリーの読書ガイドで、2012年には改訂版も出されている。

「名があがっている作品はどれを読んでも面白く、それに刺激されて漠然とした作家への憧れが少しずつ大きくなっていったんです。そんな中、起業した会社の取締役を退任して自由な時間ができたので『よし自分でも書いてみるか』と。本格的に取り組み始めたのは2020年末頃でした」

 それからたった2年強で栄冠を掴んだわけである。

奔放な想像力と力強い創造力を支える緻密な計算

 改めて受賞作『ファラオの密室』の内容を紹介しよう。

 主人公のセティはアクエンアテン王の治世に上級神官書記を務めていたが、半年前に新造中の王墓内で仕事をしていたところ崩落事故に巻き込まれ、命を落とした。一度は冥界に旅立ったものの、死者の罪を計る女神マアトに「心臓が欠けている上、生命力がわずかに残っている」と告げられ、現世に戻り心臓の欠片を探してくるよう提案されたのだ。

 与えられた時間は3日間。期限までに自分の棺に戻れなければ、永劫の時を彷徨い続ける存在になる。こうして、セティの己を救うための冒険が始まった。

「先ほど申し上げたような理由でドラマに重点を置くことにしたのですが、どうせならロマンを強く感じられるような物語にしたいと思うようになりました。そこで模索していくうち古代オリエントにたどりつき、さらにミステリーとして使える時代と地域を取捨選択していった結果、今回の設定が出来上がりました」

 とはいえ、元々古代オリエント史に通じていたわけではなく、猛勉強が必要だったという。

「でも、調べ始めるとすごく面白くて。同じ古代でも、ギリシャに比べるとエジプトのことはまだほとんどわかっていないようなんです。古代ギリシャ語は、西洋では広く知られていてルネサンスから近代までは標準的な教育科目にもなっていたほどですが、ヒエログリフが解読されたのは19世紀になってから。つまり200年ほどしか経っていません。そのため、まだまだ未解明の部分が多いのですが、その事実自体に魅力を感じました。これってフロンティアだな、と思ったんです。研究され尽くしてそのまま使える世界より想像の余地が大いにある、と。そこで、せっかくなら歴史的な余白を十分活かせるような大胆な設定を用いて、一度は死んだ人が生き返り、死の真相を探しながら自分の人生と向き合っていく物語にしました」

 その結果、世界そのものが新しく立ち上がってくるような強靭さが小説に加わったのだ。

「これは僕の個人的な思いなのですが、近年、コンテンツのインスタント化が進んでいることに危機感があるんです。今はネット動画を見るのが趣味、という人も増えています。しかし、好きなYouTube動画を50個あげろと言われても絶対無理だと思うんですよね。映画50個ならいくらでも言えるのに。単純に見ている数だけなら動画の方が圧倒的に多いはずですが、いつまでも心に残るのはやっぱり映画や小説。つまり、長い時間をかけて作品と深く関わらないと何も残らないのではないでしょうか。とはいえ、世間受けするのはやはり短時間で読める話かなと思って、応募作も最初は連作短編の形式で書いていました。しかし、それではいいものにならず、やっぱりしっかりとした世界観を作った上で勝負しないと駄目なのだと悟りました。その時点で4分の3は書き上がっていたのですが一度捨て、大幅に改稿して出来上がったのが本作です。改稿開始時点で応募締め切りまであと1カ月ほどしかなかったんですけど(笑)。でも、結果的にそれがよかったのでしょうね」

 試行錯誤をしながらも独りよがりには陥らず、世界史に疎い、あるいは歴史物が苦手な読者でも読みやすいよう、随所に工夫がある。そして、最後には静かな感動が広がる。

「古代エジプトと現代日本では、たしかに社会状況や文化はかけ離れています。しかし、通底するテーマは『いかに自分らしく生きるか』という普遍的なところですので、そこはご安心ください。僕としては、読者に喜びと驚きを与えられるような作品を書いていきたいんです。その上でなにか一つでも勇気づけられるような要素を入れていければいいかなと思っています」

 大きな構想を作品に落とし込む定石をすでに知っている、新人離れした作家の誕生。次回作も楽しみだ。

白川尚史
しらかわ・なおふみ●1989年、神奈川県生まれ。弁理士。2012年、AIベンチャーの共同創業者として起業。取締役退任後は21年からオンライン証券会社取締役に就任。23年、「ミイラの仮面(マスク)と欠けのある心臓(イヴ)」で宝島社が主催する第22回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞、24年『ファラオの密室』と改題した作品でデビュー。

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