小説紹介クリエイター・けんごが今もっとも魅了されるファンタジー小説。「ファンタジーが苦手」でも抜け出せない長編大作『レーエンデ国物語』の魅力とは?

文芸・カルチャー

PR更新日:2024/2/26

 累計発行部数13万部突破、「2024年本屋大賞」にノミネートされ、話題沸騰中の『レーエンデ国物語』(多崎礼/講談社)。全5巻(既刊3巻)のこのファンタジー巨編を「最も苦手なジャンルの大好きな物語」と紹介するのが、10~20代を中心に絶大な支持を集める小説紹介クリエイター・けんごさんだ。「ファンタジーは苦手」なはずのけんごさんは、どうして『レーエンデ国物語』には惹きつけられたのだろうか。ダ・ヴィンチWebでは、『レーエンデ国物語』著者・多崎礼さんと、けんごさんによる対談を実施。『レーエンデ国物語』と他のファンタジーとの違いや、小説紹介の動画作りの舞台裏についてお話を伺った。

多崎礼さん、けんごさん

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●「最も苦手なジャンルの大好きな物語」

——けんごさんはSNSで「最も苦手なジャンルの大好きな物語」として『レーエンデ国物語』を紹介されていました。

けんごさん(以下、けんご):僕、実はファンタジーが苦手で。ファンタジーって、その世界を想像できないことが多いんですよね。たとえば、その象徴としてあるのが『ハリーポッター』で、映画は大好きなんですけど、小説だと想像できなくて、ついていけなかったんです。でも、『レーエンデ国物語』には、想像力を掻き立てられました。「どうしてだろう」って考えた時に、ファンタジーでありながら、ヒューマンドラマの要素が強いところに惹かれたのかなって思います。恋だったり、友情だったり、家族愛だったり。最後の最後までワクワクが止まりませんでした。

多崎礼さん(以下、多崎):ありがとうございます。たくさんの本を読まれている方、なおかつ「ファンタジーを苦手」とおっしゃっている方にそう言ってもらえるのは本当に嬉しいですね。「ファンタジー読まない人」って結構いると思うんですよ。私の肌感覚だと読書好きでも1割以上はいるんじゃないかなって。私も、今でこそ、ファンタジーを書いていますけど、実は昔はファンタジーが苦手だったんです。ファンタジーって、基本的に、物理法則に反することが多いじゃないですか。たとえば、「どうしてドラゴンは空を飛べるのか」とか、「ファイヤーボールは何もないところから熱エネルギーが出るけど、そのエネルギーはどこからきているのか」とか。私は結構真面目に考えちゃう方だし、そこにちゃんとした理由がほしいんです。だから、自分が書く時は、この世にある法則を超えて一部の人が持っている能力を描くっていうのよりは、努力して勝ち得るとか、そういうのを書きたいなと思っていて。『レーエンデ国物語』は、私たちと同じ人間が暮らしていて、同じような心を持っている人が同じように葛藤して、戦っているんだよっていうお話なんで、そこを楽しんでいただけたらなって思いますね。

けんご:お話を聞いていて、すごく腑に落ちました。『レーエンデ国物語』っていわゆるファンタジーなのに、魔法がなくて、武力で戦っていく。そこに良さがあると思ってます。

——『レーエンデ国物語』は、「レーエンデ」という国が誕生するまでの革命史を描いた物語です。第1巻の主人公は、家に縛られてきた貴族の娘・ユリア。英雄である父・ヘクトルと旅に出た彼女は、呪われた地「レーエンデ」で寡黙な射手・トリスタンと出会います。空を舞う泡虫、乳白色に天へ伸びる古代樹、湖に建つ孤島城……。幻想的な世界の中で、ユリアは、はじめての友達を作り、はじめての仕事をし、はじめての恋を経験します。そんなユリアの姿はもちろんのこと、彼女を静かに愛する射手・トリスタンや、2人を見守る父・ヘクトルの姿も魅力的です。素敵なキャラクターばかりの本作ですが、けんごさんの一番の「推し」はどの人物でしょうか。

けんご:やっぱりトリスタンかなと思います。僕が男だからなのか、大切な人をどこまでも守ろうとする勇敢さっていうのには憧れます。いろんな作家さんにお話をお聞きしていると、男性作家さんであれば、女性キャラクターに、女性作家さんであれば、男性キャラクターに自分の理想像を投影するとおっしゃる作家さんが多い印象なんですが、多崎さんにとってトリスタンは理想の存在なのでしょうか。

多崎:私、すごくドライなところがあって、キャラクターは一種、物語を進行させるための駒みたいな扱いで考えるんですね。まずお話があって、キャラクターはA・B・Cみたいな感じで立ち位置を決めていきます。たとえば、ユリアは外からやってくる人間だから、彼女の目線でレーエンデを見れば、読者にレーエンデを理解してもらいやすくなる。でも、それを説明するにはレーエンデを説明する人がいなくちゃならないから、じゃあもうひとりの主人公・トリスタンはレーエンデにずっと住んでいる人間にしよう、って決める。なので、特別、理想というよりはそこに配置しやすいから配置している感じですね。ちょっと夢がない話なんですが…。

けんご:でも、どのキャラクターも本当に魅力的ですよね。僕はトリスタンが一番好きなんですけど、家族愛にフォーカスして読んでいたので、ユリアの父親・ヘクトルにも惹かれました。ヘクトルがなぜユリアをそこまで思い、危険な目に遭わせてでもレーエンデに連れてきたかったのかを考えながら、読み進めたので。僕にはまだ子どもはいないんですが、子どもができたら、ヘクトルへの見方が変わるんじゃないかなって思います。だって「ユリアを泣かせたら殺す」とか、ここまで言い切れる親ってすごくカッコいい(笑)。自分が親になったら、それを言えるかなって。

多崎:あれはあれで問題がありますよ(笑)。

けんご:でも、あそこまで娘のために強い言葉を言ったり、勇敢に立ち向かうところだったり、同じ男として惚れ惚れしました。

多崎礼さん

●「自由」とは、自分と愛する人が、安全に幸せに暮らせる世界のこと

けんご:『レーエンデ国物語』を読んでいて、思ったのは、この作品はみんな「自由」を求めて戦っているけれども、その「自由」って、自分ひとりの「自由」じゃないんだなってことです。自分が「自由」になりたいからではなく、自分と誰かの「自由」を手にするために頑張ってるんですよね。恋とか、友情とか、家族愛とか、誰かを思う気持ちが人を強く動かしているんだなって。その気持ちって改めて素敵だなと思わされました。誰かを思う気持ちがあるからこそ、自分の身を犠牲にしても、危険に立ち向かおうとするんですよね。

多崎:「自由」って、自分だけが身勝手に振る舞ってそれが許される世界ではなく、自分が愛する人が安全で豊かで幸せに暮らせる世界のことだと思うんですよ。ユリアとか、自分の「自由」だけを突き詰めたら、とっくに逃げ出していたはずじゃないですか。選択できたはずなんですよ。だけど、「自分が愛する人を置いていくのは自分の自由ではない」ってわかっていたから、できないんですよね。「自分が望む自分でいる」ことを選んでいるんですよね。

——この物語に描かれた「自由」を求める戦いは決して容易いものではありません。この世界には「銀呪病」という恐ろしい病もあれば、惨たらしい戦争もあります。不条理な場面、厳しい場面も少なくありませんが、けんごさんはその点についてはどう読まれましたか。

けんご:不条理だからこそ現実味があるというか。僕はそこがこの物語のあるべき姿なんじゃないかなって思いながら読みました。歴史が大きく変わる時には、大きな厄災が起きるものだと思うんです。近年で言うと、コロナウイルスだったり、リーマンショックだったり。でも、何か大きなことが起きつつも、誰かがそれを立て直そうとするから、世界が変わっていく。これって『レーエンデ国物語』も、同じことがいえるなって思っていて。

多崎:やっぱりこういう性格の話なので、主人公たちだけが幸せになってしまうと、それは嘘だなって思っちゃうんですよね。レーエンデがまだまだこんなに苦しいのに、主人公たちが簡単に幸せになったら、共感できますかって話なんで。よく「幸せにしてよ」とか、散々言われるんですけど、「ならん!」って思ってます(笑)。

 ただ、現実と重なる部分については、葛藤はありましたね。この物語を書いたのは、ロシアがウクライナに侵攻したりだとか、イスラエルがガザ地区を封鎖したりだとか、そういうのが、まだ行われていない時期だったんで、物語の中に、現実を彷彿とさせられるシーンがあって、「これは出していいのかな」って悩みました。それを担当の編集さんに相談したら、「現実を直視するのは残酷だからできないって思う人でも、ファンタジーというフィルターをかければ、それについて考えることができる。だからこそ、今、これを描く意味があると思いますよ」って言ってくださって、ようやく覚悟が決まった感じです。でも、未だに戦争のシーンは、これをエンタメ化してしまっていいのかって悩むんですけど、何も教育しない方が怖いんですよね。たとえば、今までずっと虐げられてきた人が、武器を手にしたところで、それを使って人を脅して金を巻き上げたり、人を殺して財産を奪ったりとか、それはずっと自分がそうやって自分たちがやられてきたから、それしか使い方を知らないんですよ。小説の中だとしても「これは悲惨だよね」って思ってもらえたら、実際に現実でそういう場面に直面した時にも、「じゃあ人を殴れるか」っていったら、ちょっと躊躇するんじゃないかなって思うんです。仮想現実ではあるんですが、自分の中に芯が入るというか、考え方の選択肢が生まれたらいいなって思いますね。それが「物語の力」ですよね。

けんごさん

●作り直しは当たり前……小説と、紹介動画の共通点

——けんごさんはそんな「物語の力」を若い世代に広める役割を担っていらっしゃるかと思います。多崎さんは、けんごさんのご活躍をどうご覧になっていますか。

多崎:TikTokというのをけんごさんの存在を知ってからはじめてダウンロードしたんですけど、けんごさんの動画を見てると、読みたい本がどんどん増えて困ります。何もかも面白そうで「読む時間がないのに…」って苦しかった(笑)。

けんご:そう言っていただけて嬉しいです。

多崎:書店に足を運ばない人が増えてしまったので、人気のある人が、本を動画でわかりやすく情熱的に紹介してくれると、本屋に行くキッカケになるし、小説家としても、本当にありがたいです。短い動画で本の紹介をするに当たって、何か意識されていることはあるんでしょうか。

けんご:読書に興味ない人に目線を合わせるっていうのは意識してますね。本に興味がない人でも目につきやすいように、オススメ動画が五月雨式で出てくる縦型ショート動画、いわゆるTikTokやYouTubeショートを主戦場にしたりとか。しゃべる言葉にももちろん気をつけていて、本を読まない人にとっては、文学賞受賞とか著者さんの名前とかは興味がない情報か、もしくは知らない情報だったりするので、そこは省いて、とにかく物語の魅力だけを伝えるようにしています。大体、僕は3秒から5秒程度で動画を切り分けて、「次の5秒を見てもらえるためには前の5秒でどんなことを言わなきゃいけないのか」っていう、その繰り返しで最終的に1分くらいの動画になるように考えているんです。実際に作ってみたけど、「これは、こことここを入れ替えた方がいいよね」とか、小説家の方とは比べ物にならないと思うんですが、僕の1分の動画っていうのも、僕なりの物語の組み立て方があって、それを限りなく正解に近づけるためにはどうしたらいいだろうっていうのを試行錯誤しています。

多崎:なるほど。結構、小説と作りは同じだと思いますよ。

けんご:ありがとうございます。1分の動画だと、文字数でいうと、500~600文字以内であれば収まるので、その少ない文字数で1冊の本を紹介する、そのベストな紹介方法って何だろうっていうのを模索しています。短い動画なのに、その脚本を考えるのに、ときに2時間とか3時間とか時間が掛かる時もあって。

多崎礼さん、けんごさん

多崎:やっぱり途中で「これじゃない」って思うこともあります?

けんご:もちろんあります! 動画を作っちゃって、「これは違う」って思って、イチからやり直すっていうのは、ありますね。

多崎:なんか嬉しい。小説を書くのと似てるんですね。私、プロットをきっちり立てるんですけど、書いていると結構行き詰まるんですよ。結局、作者のご都合主義でキャラクターを動かしている場面があると、上手くいかないんです。下手したら100ページ200ページ書き直すこともあります。たとえば、最初ユリアは何か説得力がない気がしていて、「彼女の芯は何なんだろう」と色々考えた時に、「空っぽ」というところなんだって後から気づいたんです。「貴族の娘として他人から期待されてきて、その肩書きがなくなったら、もうなんの魅力もないと思っている人間なんだ」っていうことに気づいたのが、締切の2日前で。「ダメだダメだ書き直しだ」「思いついちゃったから書かねば」って全部書き直して、本当につらかったですね。なぜ最初からこれが書けないのだって思います。

けんご:2日前……ただただ尊敬しかないですね。やっぱり読み手である僕にこういう物語を与えてくれる作家さんっていうのはすごいなって改めて思います。命をすり減らしながら書かれたような物語を読ませてもらうというのは本当にすごくありがたいことですし、大切に読んで、大切に紹介しなくちゃなと改めて思いました。

 1巻に続いて、2巻、3巻と読んだんですが、ヒューマンドラマの強さというのはずっと変わらなくて。「2巻は前の巻の100年後から始まるんだ」「3巻はそれからまた120年後から始まるんだ」って、こんなに長期間を描いた物語だっていうのは全く想像していなかったんで、驚かされたんですが……。

多崎:よく驚かれます(笑)。

けんご:でも、時間が経過しても、ユリアたちの物語から始まった「自由」を求めて戦うっていうそういう意志は、100年たっても、220年たっても、ずっと受け継がれていっているなっていうのをすごく感じました。これから4巻・5巻と刊行されていくと思うんですけど、今、現時点では全く結末が想像できていないので、どんな世界が広がっていくのか、すごく楽しみにしています。

取材・文=アサトーミナミ 撮影=金澤正平

多崎礼さん、けんごさん