「人が褒められると自分もうれしい!」スピリットが幸せを呼ぶコミックエッセイ『たまに取り出せる褒め』 室木おすしさんインタビュー

マンガ

公開日:2024/3/6

 中学時代、友人宅で開かれるお菓子パーティーに、発売したての「ピザポテト」を持って行ったら「お前まじセンスあるわ」と褒められた――この経験を20年以上たった今もたまに取り出してはニヤニヤしている、という室木おすしさんのコミックエッセイ『たまに取り出せる褒め』(KADOKAWA)。自身のエピソード「ピザポテト」のほか、応募で集まった人々の「思い出してはニヤニヤしてしまう褒め」を漫画化し2024年2月に刊行したところ、「幸せな気分になれる」「ほっこりできる」とじわじわ反響を呼んでいる。やはり日本人は褒めに飢えているのか? 心に残る褒めの極意とは? 室木さんに話を聞いた。

たまに取り出せる褒め
たまに取り出せる褒め』(室木おすし/KADOKAWA)

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――たまに思い出してはニヤリとしてしまう、心の支えになるような「褒められエピソード」をテーマに連載をしよう、と思いついたきっかけは何だったんでしょうか?

室木おすしさん(以下、室木):何年か前に、自分のうれしかった褒めエピソードを描いてツイッター(現:X)に上げたんですけど、ささいなことなのに褒められたうれしさが何十年もずっと残っているということがちょっと面白いな、他にもあったら書きたいなと思っていました。でも自分の経験だけだとすぐネタ切れになるので、だったら他人が褒められた話も入れればずっと続けられる、と連載用に「オモコロ」さんに応募をかけてもらったのが始まりです。

室木おすしさん

――応募で寄せられたエピソードに手応えがあったんですね?

室木:読みながら自分に置き換えて「いい話だな」とか「それ言われたらうれしいだろうな」とか思ったりして、文章だけで成り立つぐらいいい話がけっこうあったんで、僕自身もいい話が聞けてラッキーだなと思いました。褒め言葉を聞いてうれしくなるのには、「他の人の褒めでもいいんだ」っていうことに気づくわけです。

――3ページしかないけどかわいらしくて笑ってしまう褒めや、長い時間軸が褒められた時の感動の前振りになっているものまで、さまざまですね。

室木:「長年何度も思い出している褒め」がテーマなので、いろいろと美化されてる部分もあるかもしれませんが、特に幼少時に褒められたものは純粋にうれしさが強いようですね。大人になると褒められてうれしいけど、なんかその裏を読んだり、いやいやそんなわけない、何か下心あるんじゃないか、みたいに思っちゃったりするから。大人でも響くぐらいの褒めをもらえることってそんなにないし、その経験がある人はとても幸せな人なのかもしれないって思いました。あと、褒めた側が込めた熱意とかテンションもさまざまで、結局は受け取る側の気持ち次第、みたいなところがあるのも興味深かったです。褒めた側はあまり覚えていなくても、褒められた側はけっこう覚えていて、その経験はみんなあるはずなんだけど、基本的に他人にそれを言うのは恥ずかしい。でも敢えて聞いたらこれだけあるんだな、と。これはけっこうな発見で、すごい金脈だぞっていう感じもありました。

たまに取り出せる褒め

たまに取り出せる褒め

――実際に寄せられたメッセージを漫画にする際に苦労されたことはありますか?

室木:初期の頃は年齢や性別が不明のものも多くて、想像で描かせてもらったら、やっぱり一部間違ってたらしくて。「本当は男なんですけど、でも漫画にされて良かったです」ってXで言われて、申し訳なかったなぁと。褒めのうれしさをちゃんと伝えるためには、やっぱり性別も忠実にしたほうがいいと思って、反省しました。今はエピソードを投稿してもらう時に性別なども聞くようにしました。

――描き下ろしのヨシタケシンスケさん、佐久間宣行さん以外は一般の人々ですが、その人がその言葉をなぜ「褒め」と感じたのかも共感できる流れになっていますね。

室木:その辺の漫画的な演出は考えましたね。メールでは褒められた事実だけがさらっと書かれていても、これをうれしがるには、そこに至る前の不安や葛藤を描かないと、とか。どうやったら最後ちょっと感動的にうれしくなれるだろうみたいな、ちょっといやらしいところなんですが。

たまに取り出せる褒め

たまに取り出せる褒め

――採用された投稿者さんの反応はいかがでしたか?

室木:「漫画にします」って送ったらすごいみんなびっくりして。漫画になること自体にけっこう感動してくれました。でもちょっと心配しているのは、その人の中の褒めの思い出を勝手に改竄しちゃわないかなと。これを読んだことによって、この先10年、20年経ったあとに「どっちが正確な自分の思い出だったっけ?」みたいにならないか。思い出に不純物を与えてしまってないか、ちょっと不安がありますね。みなさんにとっては宝物だと思うので、それを壊さないようにと気をつけています。

――先ほど、大人になってから心に響く褒めをもらえることが少ないというお話しでしたが、世の中、特に日本には褒めが足りない!みたいに思われますか?

室木:足りないとは思わなかったんですけど、純粋に褒められてる人を見るとうれしくなるから、それだけで描きたいっていう気持ちになったっていう感じですね。道端とかで全然知らない人が褒められるのを見ても、あぁいいなってちょっと救われる。こっちもうれしくなるから、褒めには悪いことがあんまないなっていう感覚がありました。ただ、怒られてる人はよく見るけど、褒められてるのってあまり見ないな、貴重なことなんだなとは思いましたね。

――それだけ、人を上手に褒めるのって難しいことなのかもしれませんね。

室木:慣れていないとちょっと恥ずかしいですしね。あと「何様だよ」って思われるんじゃないか、上から目線って思われるんじゃないか、とか。そんなことはないんですけどね。

――でもたとえば結婚式や送別会など、場によっては褒めの集中砲火を浴びる場もありますよね?

室木:あれは褒めざるを得ない場だからですよね。僕も結婚式のときは褒められましたけど、本当はそういうのも苦手なタイプで、嫌でしょうがなかった。「この場だからそういうことを言ってるんだ」って感覚で聞いてました。たぶんみんな祝福の気持ちも持ってくれてたと分かっているんですが、素直に受け止めきれないというか。ありがとうっていう気持ちは もちろんあるんですけどね。

――そういう感覚の方も多いと思います。褒められても、それが信じられないと素直に喜べない。

室木:むやみに喜んで「あいつ調子に乗ってる」って思われたくないとか、傷つけられたくないって思いがあるのかもしれないです。たぶん、社交辞令やお世辞がはびこりすぎて、その差がわからなくなっちゃってるんですよね。僕も、お世辞って言われるのが苦手なくせに、言ったりしますから。だいたい言いながらちょっとガクガクして、「なんか俺、嘘ついてる?」みたいに自問しちゃうけど。でも本当にいいと思ったときはそれを伝えたいから、ちょっと熱を入れて言うようにしていますね。だから、お世辞なのか本音なのかが曖昧な部分を、ハッキリわかるようにみんなで変えていったらいいなとは思いますね。本音の褒めをわかりやすくする。お世辞はお世辞っぽく言う、とか。

――あ、「お世辞はやめたほうがいい」の方向ではなく、ですね。

室木:お世辞は言ったほうがいいです(断言)。なんだかんだ嬉しいので。

――漫画では、ご自身が褒められた経験から、いま3人の娘さんたちを「やみくもに褒めている」と描かれていましたね。うれしさを伝播させたい思いからでしょうか。

室木:褒められるところはなるべく褒めてあげたいっていう気持ちがありますね。褒めたときに、みるみる喜んでいく顔を見ると、純粋にこっちまでうれしくなるんですよ。最近は大きくなってきているからちゃんと響く褒めをしないと、向こうも満たされてない感じがあるんですよね。そこを見抜いてピンポイントで突いたときは、うれしそうなんです。
小学校1年生で双子のひとりである三女は絵がうまく、誰かに「天才だ」と褒められていた、なんて話をしていたとき、同じ双子の次女は三女ばかりが褒められると言っていたので、僕は次女に「君も天才だと思うよ」って言ったら「どこが」って反論してきたんです。だから「お父さんがいつも夜寝る前に作り話をするとき、お父さんの話を途中から『それってもしかしてこうなるんじゃない?』と、自分で想像して違う話を考えていったでしょ。作り話ができるってすごいことなんだよ」ってどんどん褒めていったら、次女もだんだん顔が明るくなって、うんうんって頷きが激しくなってきて、「あ、きたきた」と自分でも喜んでしまいました。将来のことはまだ全然わかりませんが、子どもにとっては自分が何に向いているかなんてもっとわからないから、とにかくいろんなことをやらせて褒めて、自己肯定感を上げてもらいたいという思いはありますね。

たまに取り出せる褒め

たまに取り出せる褒め

――積極的に褒める親御さん、いいですね。ひと昔前は、謙遜のつもりなのか、親は子どもを他人の前でけなしたり悪く言ったりすることが多かったですよね。

室木:僕もそれ、小さい頃に目の前でやられて、絶対嫌だと思ってましたね。でも自分だって一度、大学時代に友達と話しているときに、つき合ってる彼女のことを本人の目の前で「それほどでもないよ」みたいに腐してしまって、その子に怒られたことがあります。それはたぶん、なんだか自分のもののように扱ってしまったってことだけど、そんなわけないもんな、確かにこれはダメだなと思って、以来やらないようにしています。

――腐すのではなく褒めることで、うれしい気持ちがみんなに拡散できればいいですね。

室木:褒められることのうれしさを知ると、相手が嫌なことも言わなくなるだろうし、人が褒められるのを見聞きする機会が増えて、それが蓄積されてみんなに共有されていくと、褒めるときのハードルが下がる気がするんですよね。気軽に褒め合うようになって、もう少しだけ生きやすくなったらいいなっていう感じで……そんな大げさなことは思ってないですけど、そうなれたらいいかもなと。

――本書のような褒め体験のシェアも、リアルでできるといいですね。自分が褒められた体験談は、自らは話しづらいかもしれませんが……。

室木:自分がこんな風に褒められたって報告し合う会みたいなのを作ったらいいんじゃないかなと思いますね。気のおけない友達同士で飲んで、今週うれしかったことを言う、みたいな飲み会。記憶に残る褒めっていうのとはまた別なのかもしれませんけど、日常的にも仕事関係でも、フランクな定型文の褒めは、軽い気持ちでどんどんやっちゃっていいと思いますよ。

――「たまに取り出せる褒め」というフレーズはユニークですが、室木さんはどんな時に褒めの思い出を取り出していますか?

室木:本当になんでもないときにふと思い出して、あのときうれしかったなとか、別にそれぐらいなんです。特に落ち込んだときに思い出して気分を上げるわけじゃなく、ただフラットにい続けるために思い出してるのか、気づかないうちにちょっとだけ気分が上がっているのかもしれないですけど。でもふと思い出すってことは、無意識に自分で取り出してるのかなっていう感覚もありますね。

たまに取り出せる褒め

たまに取り出せる褒め

――先ほど金脈とおっしゃっていたので、以下続刊を期待してもいいでしょうか?

室木:もちろん出したいですが、この売り上げにもよると思います。僕としては、前作『貴重な棒を持つネコ』(KADOKAWA)が中途半端なところで終わっているので、第2巻も出してくださいってよく周囲に言われるので、そちらも実現したいです。

――主人に託された貴重な棒を肌身離さず持つ、けなげなネコを描いた「棒ネコ」ですね! あのシュールな作風に比べると、今回の「たまに取り出せる褒め」はだいぶ万人受けするテーマですね。

室木:前作はエッセイではなく完全に創作なので。でもあれも、もっと大衆に受けるようにと考えた結果のネコだったんですよね。最初の単行本『悲しみゴリラ川柳』(朝日新聞出版)はそれこそ誰が食いつくんだっていう作風でしたから。本にしてくれるって言われた瞬間、「大丈夫ですか? 売れます?」って聞いたぐらい、自分でもニッチだと思いました。そのあと『君たちが子供であるのと同じく』(双葉社)で、自分の体験をエッセイ漫画にしたんですが、誰だか知らないやつのエッセイ漫画じゃ間口が狭いなと思って、創作の棒ネコをやって、と徐々に一般に受けたいという感覚が大きくなっているんです。

――そこで「褒め」にたどり着いたんですね。読むと本当に幸せな気分をおすそ分けされるので、本書を読んで、みんなが気軽に褒め合える世の中になれたらいいですね。

室木:褒められたら大部分の人が嬉しいですもんね。褒められた思い出は体にも体に良い気がします。

取材・文=magbug


 

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