お金儲けをしてモノがあふれてもちっとも幸福を感じられない理由―内田樹インタビュー

新刊著者インタビュー

公開日:2014/6/6

勉強しない子どもが賢い消費者だという
奇妙なパラドクス

 本書の中で最も恐ろしいのは教育に関する部分かもしれない。いつのまにか学校は、教育というサービスを売買する市場になってしまった。親も子どもも消費者として学校に行き、賢い消費者としてふるまおうとする。賢い消費者とは、最小の投資で最高の商品を得る者である。より少なく勉強して、より高い評価を得ようとする。学ばない者こそエラいというパラドクス。

「学校教育というものの本質がまったく理解されていない。子どもだけでなく、親もメディアも理解していない、行政も理解していない。現場の先生たちに聞くと、80年代から大きく変わっていったというんですね。最初にヒントをくれたのは諏訪哲二さんの『オレ様化する子どもたち』(中公新書ラクレ、2005年)でした。学校に市場原理を導入したことによって、子どもが消費者という感覚で学校現場に登場してきたと諏訪さんは指摘しています」

 変化は戦後の高度経済成長期から徐々に蓄積していった結果だ。内田さんは、コップの中に水がたまっていくように、という。たまった水が、バブル期の一滴で、とうとうあふれ出してしまったのだ。

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「僕が驚いたのは、中学生や高校生がお互いの学習努力を熱心に妨害し合っている風景です。いかにして足を引っぱるか。集団をなるべく均質化して、特殊な関心を持つ人間をたたき出していく。みんな同じような価値観で、能力も均質化していく。それも社会的な圧力によってではなくて、子どもたち自身が自己規制していく。その様子を見て愕然としました」

 原理は競争における相対優位。優位者には高い報償を、下位の者には罰を。相対的な優劣だから、自分の能力を上げるよりもまわりの能力を下げる方が簡単だと子どもたちは悟る。だからお互いの足を引っ張り合う。競争が激烈になればなるほど集団全体の学力が下がっていくという逆説的状況はこのようにして進行する。

「それでも日本の教育行政の人たちは、アメとムチがいちばんいいと信じ込んでいる」

危機の時代には
集団内の競争よりもネットワークが救う

 共生のためのノウハウの根幹は、成果や業績を集団単位でカウントする発想だと内田さんはいう。個人の業績や能力ではなくて、その個人が所属する集団のパフォーマンスを基準にして、社会活動を計量するのだ。

「危機的な状況の中で生きのびるためには、集団のパフォーマンスを高めるしかない。すべてのメンバーがそれぞれ持っている能力を最大限発揮する。そうなると集団内での競争や奪い合いにはなるはずがありません。いかにして各メンバーの能力を高めていくかを考えるほうが、生存のためには有利なんですから。集団内で競争して他人を蹴落とすというのは、安全で安定していてゲーム感覚で生きていくことが許される特殊な環境だけで成立することです」

 だが、その安全で安定した特殊な時代も終わりつつある。共同体の解体と個人主義化は、そろそろ限界に来ていると内田さんはいう。

「いま40歳ぐらいの人たちが最後の個人主義者です。競争で勝つことが成功への唯一の道だと信じている。20代以下の賢い子たちは、経済成長モデルはもう限界なんだと気づいている。そういう萌芽があちこちで見られます。これからの日本は非常時モデルで対応するしかないだろうと感じている。非常時に最良の安全保障はネットワーク形成です。立場が違う人間とつながることでリスクヘッジするわけです」

 もっとも、メディアのなかでは、いまだに経済成長を求める経済学者やエコノミストの声のほうが大きいのだけど。

 共同体の崩壊を食い止め、再興するにはどうすればいいだろうか。なにか特効薬的な施策はあるだろうか。

「急には変わりません。大きな船が方向を変えるようなもので、じわーっとしか変わりません。家族・親族制度や学校制度は惰性の強い制度ですから、急には変えないほうがいいんです。即効性のある対処を求めるのはいちばん危ない。迂遠ではありますが、まず学校の教員たちが働きやすい環境を作る。創意工夫の余地のある、先生たちが自尊感情を持って働ける環境を作る。優秀な人たち、やる気のある人たちがそこに集まるくふうをするしかありません」

 拙速は禁物だと内田さんはいう。時間のスパンを広くとってものごとの適否を判断する習慣を持とう、というのが内田さんの提案だ。

取材・文=永江 朗 写真=川隅知明

紙『街場の共同体論』

内田 樹 潮出版社 1200円(税別)

家族論、地域共同体論、コミュニケーション論、師弟論など、人と人との結びつきについて論じたインタビュー&評論集。浮き足だって頭に血が上った人びとに「まずは落ち着きましょう」と声をかけ、幼児化してしまった人びとに、「大人になりましょう」と語りかける。近年の内田樹のエッセンスが詰まった、格好の内田樹入門でもある。

内田樹の研究室
http://blog.tatsuru.com/