お金儲けをしてモノがあふれてもちっとも幸福を感じられない理由―内田樹インタビュー

新刊著者インタビュー

公開日:2014/6/6

 家族、地域、さらには国民国家。共同体がどんどん壊されている。市場主義経済が共同体を破壊していくのだ。
 そのトレンドが究極のところまで来てしまった、と内田樹さんは話す。

内田 樹

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うちだ・たつる●1950年東京都生まれ。日本で最も忙しい武道家にして思想家、フランス文学者。東京大学文学部卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。神戸女学院大学名誉教授。著書は多く、ほぼ月刊内田樹状態であるにもかかわらず、合気道の道場、凱風館館長として150人の門弟の指導にあたる。
 

「資本主義はその本性からして共同体を解体してしまう。これまでそれを指摘する人はあまりいませんでした。さすがに昨今、グローバリズムによって国民国家が解体されると意識されはじめているけれども。TPPなんか典型的ですね。自由貿易になってきて、世界中で通貨も共有、言語も共有、度量衡も共有というフラット化が進行していくなかで、資本主義は本性として境界線を嫌うのだと実感されるようになりました」

 ところが事態は国家間だけではすまなかった。国内でも同じことがすすんでいた。国境が溶けるように、さまざまな共同体が壊れ、裸の個人が荒野に放り出される。

 どうして資本主義が共同体を壊してしまうのだろう。その論理は明快だ。たとえば大家族がひとつの家に住んでいると、住居も家電もひとつですむ。ところが祖父母と両親が別々に住み、子どもたちも独立して住むとどうなるか。住居や家電製品はそれぞれ必要になる。家族を解体させることで、さまざまなモノやサービスが商品として売れる。共同体が壊れるとGDPが上がるのである。

 GDPが上がるとリッチになったような気分になるけど、じつはその数字の裏でさまざまなことが進行していた。

「1980年代のバブル前期に起きたことは、家族の解体とリンクしています。家族が解体してしまうと、われわれはゼロからモノを買わなければいけないのですから」

 実家を出てひとり暮らしをするときのことを考えればよく分かる。家具や家電製品を買いそろえるのは楽しいけれど、でもそれは家族と住んでいれば必要のないものだった。

経済成長のために共同体を破壊して
その後に来たものは

 たしかに共同体は桎梏だらけだ。個人の自由を制限して、共同体のルールに縛りつけ、息苦しいものでもある。だから共同体から脱出したり、共同体が破壊されることで、自由と解放を感じる人も多い。しかし解体されてしまうと、世の中は殺伐として、生きづらくなった。やりすぎてしまったのだ。

「個人化して、共同体から分断されて、一人ひとりになった。自由の代償です。ひとりぼっちで生きていくのって、リスクが高いんです。われわれには不要不急のものっていっぱいありますよね。しょっちゅう使うものだけ個人の私有物にして、頻繁には使わない資産は共有すれば、そんなにたくさんの資金がなくても優雅な生活ができるんです。ところが共同体が破壊されてしまい、資源を共有して使い回していくという知恵が根こそぎ奪われた。めったに使わないものまで全部自分で買わなければいけなくなったんです」

 たとえば窓を修理するのに脚立が必要になったとしよう。お隣の家は脚立を持っている。普段からつきあいがあれば「ちょっと貸してね」といって借りればすむ。しかし、ろくに挨拶も交わしたことがない仲では、そうもいかない。だから脚立を買う。ご近所づきあいがなくなると、脚立がたくさん売れる。こうしてわたしたちの身のまわりはモノであふれるようになった。ところが、いくらたくさんのモノに囲まれても、あまりハッピーな気はしない。満たされないからまた買う。すぐに飽きてまた買う。この繰り返し。

「必要なのはほんのわずかなノウハウです。モノを分け合ったり、贈与したりされたり、迷惑をかけたりかけられたり。シンプルなノウハウですが、このノウハウがあると生きる上でのリスクは劇的に軽減します」

 現代社会はこのノウハウを教えようとしない。学校でも教えないし、家族も教えない。

「他人との資源の共有や助け合い、相互扶助は経済成長にとって妨害要因なんです。だから徹底的に壊しにかかってきている。もっとも隠微かつ効果的なのは、子どもたちに共生していくためのノウハウを植えつけないこと。それがいちばん危険な、怖いことだと思います」