「“AV女優の何が悪い!”という声のほうが気持ち悪かった」社会学者・鈴木涼美インタビュー(前編)

文芸・カルチャー

2014/12/27

鈴木涼美
鈴木涼美さん

ジャーナリズムも文学も、話題性が大事なことは言うまでもない。でも、世の中のメディアが一過性の話題性と損得でしか動かなくなったら、世界が今以上にチンケで安っぽく見えてしまう。そんな退屈な日常に、埋没なんてしたくない。

週刊文春10月9日号(文藝春秋)に、『元日本経済新聞記者はAV女優だった! 70本以上出演で父は有名哲学者』という記事が掲載された。しょうもない見出しから始まる、しょうもない駄文。かつての社会派風情はどこへやら、チープなゴシップ記事で、売り上げを伸ばすしかなくなりつつあるキング・オブ・ザ・週刊誌の、悲しい顛末がそこにあった。標的となった社会学者の鈴木涼美氏は、しばらくしてウェブサイトのリテラに寄稿。「“日経記者がAV女優”であることよりも、“鈴木涼美がAV女優”であることのほうが余程大きな問題を孕んでいる、と私は思う。」と綴った。

東大大学院卒で、元日経記者で、小熊英二や北田暁大から絶賛される社会学者。そのイメージで彼女の新作『身体を売ったらサヨウナラ~夜のオネエサンの愛と幸福論~』(幻冬舎)を開くと、あまりに記者離れ、学者離れした文体に驚かされる。長い文になると、句点へ行き着くまでに、ゆうに半ページは超える。その間や語感は、まさに夜の世界に生きる女性そのもの。と同時に、手ですくおうとしたら、すぐにこぼれてしまいそうな、そんな独特の空気感を漂わせる、武骨な文学者としての才能が感じられる。なのに、世間はいまだ、彼女に対してAVのことばかりを聞いている。それだけ今という時代、アクセス数や売り上げを伸ばすための話題性ばかりに気を取られ、本質を射抜こうとしない、つまらない記者やつまらない編集者だらけになっているということだろう。本当、クソ退屈。

12月某日、朝6時まで歌舞伎町で飲んでいたという彼女は、待ち合わせの時間に45分遅刻して登場。想像通りというか、想像以上に、まじめで、アバンギャルドで、チャーミング。そして、どことなく、けだるそうだった。そんな彼女に、文春の報道と、作品に描いた現代女性の生き様について赤裸々に語ってもらった。

>>後編「“カラダを売ると幸福になるのか”その答えを出すつもりはない」

――週刊文春の取材って、実際どんなだったんですか。

鈴木涼美(以下、鈴木):向こうは騙したつもりはないかもしれないけど、私は騙されたと感じています。以前、『文學界』で仕事をさせていただいたことがあって、最初に『文學界』の方から連絡がありました。月刊誌『文藝春秋』の編集部がコンタクトを取りたがっていると言うので、「連絡先を伝えていいですよ」と告げたんです。その直後に『週刊文春』から電話がかかってきて、「日経をお辞めになったそうで」と言われました。こちらはてっきり、『文藝春秋』からの連載依頼だと思っているから、取材されていると分からないまま答えました。そしたら、「今の話、記事にさせていただきます」と言われて、もう「汚ねぇ~!」って感じ。「新聞も汚ねぇけど、週刊誌、もっと汚ねぇ」みたいな。本当に迷惑。

――確かに汚いし、それはルール違反ですね。でも、そういう仕事をやっているほうも嫌でしょうね。そういう人たちも昔は文学少年だったはずで、崇高な記事を書こうとか、菊池寛みたいな作家を輩出させようとか、大志もあったでしょうに。今となっては騙し打ちみたいなかたちでゴシップを書いて、ご飯を食べていかなきゃいけない。世知辛いですね。

鈴木:実際、嫌だと思いますよ。彼らにも「絶対、こんなのを書いて、人生を終わらせたくない」みたいな、ルサンチマンがあるんじゃないかな。週刊誌なんて、しょっちゅう訴えられるし、恨まれもすれば、脅されもする。その苦労は察しますよ。でも、自分が標的になるのは、本当に迷惑! ただ、私もマスコミにいた人間なんで、「週刊誌、酷い!」と声を荒げるのは、ちょっと抵抗があって、周りが言ってくれるから、自分は黙っていようとは思っています。

『身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論』(幻冬舎)
『身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論』(幻冬舎)
――『身体を売ったらサヨウナラ~夜のオネエサンの愛と幸福論~』を読んだときに、すごく雰囲気のある文体で驚きました。そういった才能を、一過性の売り上げ目的で煽って、さほど強い意思もなく潰しにかかってしまう。芥川賞や直木賞を手がけてきた出版社がそんな汚れ仕事をやらずにはいられなくなっている現状が、出版業界全体の閉塞感を象徴しているようで残念ですね。

鈴木:ショックはショックでした。それに、私自身、いろんなところと関わりをもって生活をしていたので、ああいうかたちで、ほぼ強制的に出されたことで、親とか元会社とか、結構面倒くさいことがあったんです。AVに出たことは、数年前に元カレが親にばらして、すでに親は知っていました。でも、こうやって世間的に出てしまうことで、親は二度殺されたというか、二度打撃を受けました。娘がAVに出ていたこと自体が、まずショックで、出ていたということが世間に知られたということで、さらにショックを受けなくてはなりませんでした。実際はAVに出ていたことよりも、世間に知られてしまったということのほうが、打撃は大きかったんじゃないかな。この本も既に刊行が決まっていたのですが、ああいうダサい見出しでまとめられることで、すごく色がついちゃうじゃないですか。それだと本を出す際に、「乗っかったひと」みたいになるから、恥ずかしいと思った。あとは、ああいうことが、ギャグみたいに週刊誌の見出しになることに対して「今もこれ、需要あるんだ」という驚きです。これだけいろいろな人がAVに出演しているなかで、ニュースバリューとして、某新聞記者がAV女優だったという事実が、あんなワイドショーちっくにランキング1位になって読まれるほど、いまだ需要があるんだと。そういう感覚って、一昔前のものだと思っていたので。

鈴木涼美

――そういう意味では、1988年に山田詠美さんが『ひざまずいて足をお舐め』(新潮社)を出版された時の騒がれ方と、今の鈴木さんの騒がれ方って類似しているかもしれません。言い方を変えるなら、もうあれから四半世紀も過ぎているのに、日本のジャーナリズムは同じものを同じようにバッシングしている。古臭くて未熟なまま。しかも、その山田詠美さんは今、芥川賞の選考委員で、あの頃、マスコミや文壇で彼女を叩いていたオジサンたちは、まさにひざまずいて足を舐めている状態とも言えなくもない。このダブルスタンダードは、永遠に繰り返されるのかしら。

鈴木:週刊誌は、基本的に読者の、そのまま生の、下世話な欲望に答えていると思うので、こういうことに需要があると週刊誌の人が信じているということでしょう。週刊誌に載ったとき、実は私自身はさほど批判は受けなくて、「文春のオヤジの価値観キモイ」みたいな声のほうが多かった。で、私からすると、「昔ながらの価値観でくだらない記事を書いて、けしからん。AV女優の何が悪い」という声のほうが、むしろ気持ち悪かった。だって、私を援護したいというより、しょうもない見出しを打ってきた週刊誌に対して、「NO」という意見を突きつけることで、「自分はわりとクオリティー人間だ」と、その人たちは言いたいわけでしょう。だから、私は手放しで援護されるような人間ではないということを、どこかできちんと主張しておかなければと思いました。そうしないと、私のことを別に何とも思っていない人から守られ続けちゃう。それは嫌だなと思ったから、「リテラ」に寄稿したんです。

鈴木涼美

――鈴木さんの文春報道を含めて、日テレの女子アナウンサー内定取り消し問題とか、ろくでなし子さんの再逮捕とか、女性の性の問題はコンスタントに話題になる。声高らかに女性の権利を叫ぶ人たちもいるけれど、鈴木さんの場合は、集団で「ウォーッ!」と声をあげて活動に加担していくタイプとは違うように感じます。

鈴木:なんだろう。どっちの薄っぺらさに対しても、ある程度知っちゃっているからかな。例えば、ろくでなし子さんの逮捕が、本当に強いイデオロギーのもとに私たちを押しつぶそうとしているようにも感じないし、かといってろくでなし子さんを援護する側の人たちも、本当に自分の存在が危うくなるところまでは、やらないでしょう。私も含めて90年代に女子高生だった世代は、熱いこと自体にも、冷めていること自体にも、それほど価値を見出さないという、微妙なところにいる。戦うことはいいと思うし、「がんばれぇ」とはちょっと思うけど、そこに加担したいとは思わない。

>>後編「“カラダを売ると幸福になるのか”その答えを出すつもりはない」

取材・文=山葵夕子
撮影=ヒダキトモコ

鈴木涼美

鈴木涼美(すずき すずみ)

社会学者。1983年、東京生まれ。
2009年、東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。専攻は社会学。著書に『「AV女優」の社会学』(青土社)、『身体を売ったらサヨウナラ』(幻冬舎)。