母と自分を捨てた父親と期間限定の同居生活…二人の不思議な関係はどうなる?【『真昼のポルボロン』糸井のぞ先生インタビュー】

マンガ

公開日:2017/10/17



 母親の胎内にいた頃の記憶をもつ9歳の少女・るつぼ。彼女が誰より嫌いなのが、父親だ。母を捨てたくせに、難産だった自分を助けてくれと医師に懇願し、この世に引っ張り出しておいて、またあっさり自分たちを捨てた父・縞と、初めてその父と暮らすことになった夏休みを描いたマンガ『真昼のポルボロン』(糸井のぞ/講談社 BE・LOVE連載中)。第2巻の発売を記念して、著者の糸井のぞ先生にインタビューを行った。

――生まれてすぐ母を亡くした9歳の娘と、二人を捨てて無関係を決め込んでいた38歳の父。二人の物語を描こうと思ったのはなぜですか。

糸井のぞ(以下、糸井) 父娘の関係に、もともと強く惹かれるものがあったんですよね。以前『宝物はぜんぶここにある』というBL作品で、「おまえの娘になりたい」というセリフを書いたことがあったんですが、恋愛とはちがう異性の距離感をもちながら、一方的にでも愛することが許される親密な関係というのにどこか憧れがあって。距離が離れていても、どんなに時が経っても、ずっと想っていてくれる、いつでも迎えに来てくれる人。自分以外の大切な人が相手にできても、幸せを祈って応援できる関係。そんな深い愛情が、父と娘にはあるような気がしているんです。

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――本作の父・縞は、みんなに優しいけれどどこか冷めたところのある男です。彼女からも「誰のことも愛せないし、誰からも愛されない」と平手打ちをくらうようなダメ男ですが、彼の設定はどこから?

糸井 本作を描きはじめるときにもう一つイメージしていたのが「モブ女がモテ男に恋する話」だったんです。2巻終盤から少しずつ明かされていく、るつぼの亡き母のエピソードにも重なってくるので、あまり詳しいことはいえませんが、とにかく縞はモテる男にしなくてはいけなかった。少女マンガのモテ男というと、経済力があるとか顔がいいとか、仕事ができるとか、そういうものが定型だと思うんですけど、現実にはいちばん大事なのって「誰にとっても生理的にいやじゃない」ってことだと思うんですよね。ある程度の清潔感があって、優しくて、距離のとりかたがうまくて、っていう。

――ずるいところがあっても、憎めない愛嬌があるというか。

糸井 そうです。だけどそういう人って、好きになってしまうけどずっとは一緒にいられない危うさというか、早めに撤退しなくちゃいけないと警鐘を鳴らされるところもある。そういう男として縞を魅力的に描けたら、新たなモテ男像を構築できるんじゃないかな、とは思いました。

――そんな男を、るつぼは父親として観察するわけですよね。ただでさえ嫌いなのに、彼女と別れるだしにされたり、しょっぱなからろくでもないところを見せつけられる。

糸井 だからといって、るつぼにとって本当に嫌な奴かというと、そうではない。むしろ自分には優しくしてくれるし、至らないなりに、一生懸命に面倒を見ようともしてくれる。母の胎内にいるときからるつぼは父が嫌いだったけど、実際に出会ってしまったあとは嫌う理由がないし、むしろ一緒にいるうちに好きになってしまうんじゃないかなあと。

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(C)糸井のぞ/講談社

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(C)糸井のぞ/講談社

――最初、るつぼが「口がきけない」ふりをしているのは彼女なりの戦う意志ですね。簡単には篭絡されないぞ、と。

糸井 そうですね。胎児の頃から彼女は「父を愛するために生まれてくるのだ」と母から言い聞かされていた。自分たちを捨てたはずの父を、です。そんなの聞かされ続けたら、私だったら生まれたくなくなるよなあと思うし、身勝手な父に対する嫌悪感がそなわっているのもしかたない。だけど恋人ではなく、父娘だから。男としてはどうでも、人として嫌じゃなければ、芽生える親しみもあるのではと思います。最初はぎこちない二人の関係が、親子の愛情に変わっていく過程を、共同生活を通じて描いていきたいですね。

――縞の「この子なら愛せるかもしれない」という独白も、とても切実ですね。前作『わたしは真夜中』も含め、糸井さんはずっと、愛情の示し方がわからない、どこか不器用な人たちを描き続けているような気がするのですが。

糸井 不器用な人たちが描きたいというよりも「もっと器用だったらいいのになあ」という想いを表現するのが好きなんだと思います。むしろ、器用な愛ってどういうことなのか教えてほしい(笑)。縞はたぶん、どこかに絶対的な愛の形があると信じているんですよ。それさえ手に入れることができれば、自分はもっとちゃんとした人間になれるはずだ、という幻想を。

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(C)糸井のぞ/講談社

――逆に、誰よりピュアな人なんですね。

糸井 これが愛である、なんて誰にも断言できないですし。読者の方々が「愛だなあ」と感じられるシチュエーションを、るつぼとの関係だけでなく、周辺の人々も含めて、描いていけたらなと思っています。9歳にして絶対的な愛への期待を背負わされるるつぼは、やや不憫だなと思いますが(笑)。

――大事な女性を奪われたことでひそかに縞への復讐を誓いつつも同居する若者・ショージや、隣で喫茶店を営む縞の幼なじみ・姫。るつぼのおそらく初めての友達・梅之助など、個性的なキャラクターが多く登場しますね。彼らをつなぐ食事のシーンも、とても魅力的です。

糸井 私が、食べることが好きなんですよね。といっても、美食マンガを描けといわれても描けないし、舌が特別肥えてるわけでもないんですけど。でも、一緒に料理をつくったり、喧嘩していても「とにかくおいしい」というだけで心がつながることができたり、コミュニケーションの場としてとても大事だよなという意識は強くある。みんなが不快にならないように、少しずつ気遣い合いながら、ゆるっと楽しい場をつくりあげていく。そういう場では人となりもすごく出ますし、食べ方がへただったり料理を失敗したりしても、それを含めて愛おしさを感じられるというか。許し合う関係、っていうのが私の中で理想なので、登場人物たちにおいしいものを食べさせながら、会話を描いていけたらいいなと思っています。

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(C)糸井のぞ/講談社

――許し合う、って大事ですよね。本作の魅力は、火花をちらすことがあっても、縞のダメなところも、るつぼの頑固なところも、全部否定せずにゆるやかに描かれているところだと思います。

糸井 不満はあってあたりまえだと思うし、わかり合うために想いをぶつけ合う場も必要だと思います。むしろ喧嘩してこそ、関係が次のステップに進めることもある。だけど、間違えてしまった誰かを断罪すれば確かに気持ちはすっきりするけど、自分が思っているほど相手が悪いわけではなかったと知って、ふりあげた拳をおろさなきゃいけなくなったとき、とても嫌な気分になりますよね。だったら、欠けたところがあったとしても、しょうがないなあと苦笑しながらお互いに不足を補い合っていく関係を築いていくほうがいいんじゃないかな、と。相手を許すことで、自分も受け入れてもらえる、ということもありますし。そうやってみんなが、一緒に幸せになっていけるのが一番いいですよね。

――るつぼの亡き母・英梨もまた、その補い合っていく輪のなかにいることが、2巻のラストでわかるわけですが……タイトルの意味とともにこれから母の真意も明かされていくのでしょうか。

糸井 そのつもりです。夏休みという期限があるなかで、るつぼが最終的にどういう決断をくだすのか――縞と暮らし続けるのかそれとも別れを選ぶのか。私自身、描きながら迷っているところがありますが、縞と「話す」ことを決めたるつぼが何を吸収していくのか、そして英梨の真意を知った縞がどんなリアクションをしていくのかで、変わっていくのかなと思います。個人的には、選択する自由というものが物語には常にあってほしいと思うので。何か一つの事件が結果に大きく作用する、というよりも、自分の目と耳で知っていくものすべてが自分の人生を導いていくための要素となっていく、という描き方をしていけたらいいなと思っています。

取材・文=立花もも