多層的な構造で“物語”を生きる青春群像を描く『物語はいつも僕たちの隣に。』 著者・丸山浮草インタビュー

文芸・カルチャー

2017/12/8

2015年『ゴージャスなナポリタン』で第2回暮らしの小説大賞を受賞してデビューした丸山浮草さん。その小説第2作『物語はいつも僕たちの隣に。』は、大学の文芸部員3人の夏の1日を描く青春群像小説。
本作のもっとも際立った特徴は、作中の文芸部員たちが書いた多様な“物語”を本筋と交互に挟み込む多層的な構造だ。それぞれがリンクしていくことで、ひとつの小説としての世界観が実に広く、奥深いものになっている。丸山さんはこの“物語”を通して何を描きたかったのか。

――大学の文芸部3人の夏の一日を描きつつ、その合間に1軒の家をめぐる家族の物語、伝奇時代小説、意外な語り手の初恋話、日記小説などが次々と登場します。このとてもユニークな小説の着想はどのようなところから得たのでしょうか。

丸山 自分の場合、だいたい最初は「こんなふうに書いてみたら、どんな感じになるかな」という手法への興味から書き始めます。本作も同様で「部屋の間取りって、小説になるんじゃないか?」「クリストファー・ノーランが『バットマン』をリブートしたように、日本昔話をリブートしたらどうなるのか?」「日記って、客観を廃した過激なメソッドじゃないの?」みたいなアイディアが、まず最初にあって、それを“全部乗せ”でやろうと思ったときにあの構造が浮かんできたんです。

そこから“物語”という全体的なテーマと、そのテーマに向き合う文芸部員の姿が出てきました。なんというか、枝葉を考えているうちに幹や根っ子が見えてきたというイメージです。「構造を考えているうちに描くべき物語が見えてきて、それにふさわしい文章などの追求を始める」みたいな感じでしょうか。それは文芸部員の彼らがその1日で読んだり、作ったりした物語ですので、それぞれ文体を変えました。友人から「この本は本当にひとりで書いたの?」と聞かれた時はうれしかったですね。

――本作は「私たちの誰もが常に何らかの物語を生きているんだな」ということを改めて感じさせられる作品でした。丸山さんご自身は本作のタイトルにもなっている“物語”という言葉にどのような意味や思いを込められているのでしょうか。

丸山 校正の最中に思い出していたのは、W・S・バロウズの「言語は宇宙から来たウイルスである」という言葉と、岸田秀さんが『ものぐさ精神分析』などで言っている「人間は本能の壊れた動物である」という言葉です。壊れた本能の代わりに家庭や文化、常識という幻想によって補完しているという説です(だと思いますが……)。

文字を持たない部族にも口伝の物語があるようですし、人間は壊れた“本能”の代わりに自らの経験や物事のノウハウ、そして掟などの“生き方”を言葉で共有して、“共同体の知識”とすることで補ってきたのではないでしょうか。それが“物語”なのだと思います。そして、人間は多かれ少なかれ、物語を生きる動物なのだと思います。その物語とは、時に人生に可能性をもたらし、時に人生を制約する足かせとなるようなものです。

人が物語を知らず知らずのうちに血肉とし、自分の人生という新たな物語を生きるために役立てているとしたら、もしかすると“小説”は、そのことについて「それでいいの?」と問いかけたり「こういうものの見方もあるよ」というように、その物語に対して「異化作用」を生じさせたりするものではないかとも思います。

若い頃は“物語”と聞くと「脱・物語」とか「物語の解体」といったことをぼんやりと思い浮かべたりしていたものですが、今は“更新”という言葉を思い浮かべます。物語とともに生きるざるをえない命なら、そこに制約や不自由や停滞や抑圧や常識の限界があるのなら、それは更新し続けることで対抗できるのかもしれません。

――本作では、なぜ人は小説を読むのか、その根源的な欲求と喜びが描かれているようにも感じました。

丸山 人が小説を読むのは、「まだ知らない何か」「感じたことのない何か」に出会いたいという好奇心があり、そのようなものに出会うことで自分の内なる何か(その日の気分からその先の人生まで?)を更新したいという欲求があるのかなという気がします。

でも、例えば『ヒーローが活躍して地球を救う』という構造が同じでも、ずいぶん違ったように見える作品はゴマンとあります。本作の中で、花園先輩という登場人物が「後輩が書いた小説はみんな似たようなものだけど“手ざわり”が違う」みたいなことを言ってますが、その手ざわりは個性であり、もっと言うと、人柄なんじゃないかと思います。どんな小説にも作者の個性や人柄がにじみでるもので、それは文章を読んで人間を感じるということです。僕たちは時空を超えて作者と出会うことで励まされたり、明日への力をもらったりしているんじゃないでしょうか。

――作家として、そのような“物語”を創り上げていくことにどのよう意義を見出されているのでしょうか。また、小説を書くという楽しみや面白さはどんなところに感じますか。

丸山 『ゴージャスなナポリタン』を書いた時は、割と冷静に「人生失敗しちゃったな」みたいな感覚がありました(笑)。「なんでこうなったか書いて整理したい」という気持ちと同時に、普通は冷静で客観的な存在である三人称神視点の“話者”が、憑りつかれたように「しゃべくりたおす」とどうなるのか、という興味も明確にありました。その好奇心と自分に対する反省や分析みたいな感覚があったのかもしれません。

小説を書く面白さは、先の読めないところにある――というと大喜利っぽいですが、この先どうなるんだろうと思いながら書いてることが多いです。事前におおかたの構成やオチが決まっていても、そういう感覚になります。とりあえず、書いている最中、次の一行は常に「まだ存在していない」わけなので……。たぶん、それは子どもの頃に、初めて見つけた空き地や広場を「冒険しようぜ」と言ってうろうろしていた感覚に近いと思います。

――今後小説を書いていくにあたって、目標や指針のようなものがあれば教えてください。

丸山 「センス・オブ・ワンダー」ですかね……。ちょっと不思議な感覚というか。それが今の指針です。なんというか、非常に大きな世界も、非常に身近で些細なことにリンクしているような気がします。そういうものが書けたらなあと思います。そして、100人の読者がいたら、100人の人生それぞれにどんなかたちでもいいから役に立ちたい。そんな小説を書くことが理想です。