大人気「大水滸伝」シリーズ完結から2年。新たな長編シリーズ、1・2巻同時発売!『チンギス紀』北方謙三インタビュー

小説・エッセイ

更新日:2018/6/18

 待ちに待った新シリーズ、題材は帝国を築いた英雄、チンギス・カン! 小さな氏族に生まれた13歳のテムジン(のちのチンギス・カン)の波乱の生涯が幕を開ける。

著者 北方謙三さん

北方謙三
きたかた・けんぞう●1947年佐賀県生まれ。81年『弔鐘はるかなり』でデビュー。83年『眠りなき夜』で第4回吉川英治文学新人賞、2005年『水滸伝』で第9回司馬遼太郎賞、16年「大水滸伝」シリーズで第64回菊池寛賞など、多くの文学賞に輝く。13年には紫綬褒章を受章。著書に『楊令伝』『三国志』『史記 武帝紀』ほか多数。

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 2年前に完結したものの、いまも読者を増やし続け、累計1100万部を超える大ベストセラーとなっている「大水滸伝」シリーズ。いまや北方さんの代名詞ともなったこの作品に続く歴史大河小説がついに幕を開けた。タイトルは『チンギス紀』。主人公は誰もが知るモンゴル帝国初代皇帝、チンギス・カンだ。12世紀後半、大空が広がる雄大な風景に抱かれた草原に生まれ、やがてユーラシア大陸全土へと広がる大帝国の礎を築いたこの男の生涯を、北方さんはどのように描くのか。まずは新シリーズを構想したきっかけをうかがった。

「もしかしたらずっと昔からなんとなく考えていたのかもしれない。というのは、蒙古襲来という史実が視界に入っていたわけです。それで蒙古が頭にあったかもしれない。もう一つはチンギス・カンという歴史上の大人物への興味だね」

 北方さんはかつて『波王の秋』で、南北朝時代を背景に、3度目の元寇を阻止すべく立ち上がる水軍を描いている。ただしチンギス・カンの時代よりはだいぶ後だが。

「視界には入っていたけれど、筆を執ろうと思うのは何かきっかけが必要。『岳飛伝』を書いていたとき、この時代の後にチンギス・カンが動き始めるんだなと気づいた。『岳飛伝』で大水滸伝は完結するわけだけど、次はまったく違うシリーズを立ち上げようと思っていた。だからといって、ヨーロッパを舞台にアレキサンダー大王を書くわけにもいかない。そのとき、チンギス・カンはどうだろうと思ったんだ」

 読者としては、「大水滸伝」の最終章『岳飛伝』と『チンギス紀』との関連が気になるところだが、あくまでも「違うシリーズ」だと北方さんは断る。

「今回、同時発売される1・2巻を読んだ読者は『どこに水滸伝の登場人物が出てくるんだ?』と探すんだろうけど、これはまったく新しいシリーズ。ただ、大水滸伝が遠景にあったり、登場人物が関わってくる可能性はある。でも続編ではない」

 チンギス・カンといえばあまりにも有名な歴史上の人物。モンゴルでは英雄だが、侵攻を受けた国から見れば侵略者でもある。北方さんに執筆前の印象を聞くと「征服者」という答えだった。

「でもね、あの大帝国をチンギス・カンがつくったと思われがちだけれど、実際にやったのは土台をつくるところまで。モンゴル族を統一し周辺国と戦った。そこから後を継いだ息子たち、孫たちが版図を広げていったんだ。むしろ小説家として惹かれるのは、実は40歳くらいまでの人生がほとんどわかっていないこと。お墓がどこにあるかもまだわかっていないんだから。その部分はね、いってみれば作家のものなんですよ(笑)」
 

チンギス紀 イラスト
イラスト/遠田志帆

何か重いものを背負わせたかった

『チンギス紀』は「大地が揺れていた。/丘も草も、木立や岩も、陽炎の中にあった。」という描写から始まる。のちにチンギス・カンとなるテムジンはまだ13歳。砂漠の中をたった一人で馬とともに旅している。

「一人の人物の生涯を描こうと思ったとき、ここから物語を始めるべきだという場面がある。テムジンが弟殺しの罪を背負って南へ逃げていく。その場面から書こうと思った。テムジンはモンゴル族のキャト氏という一族の長の長男に生まれたのだが、父親が殺され、惨めな生活を強いられる。そして、これは『元朝秘史』というチンギス・カンの生涯を書いた歴史書にも書いてあるんだけど、弟を殺しているという。私もテムジンに弟を殺させようと思った。何か重いものを背負わせたかったから。長である父が亡くなって苦境に立ったキャト氏の跡継ぎというだけでなく、もっと重いものを」

 テムジンは砂漠でボオルチュという10歳の少年と出会う。馬泥棒に馬ごとさらわれ、奴隷のように引き回されていたところにテムジンと出会ったのだ。この2人の出会いもまた、互いの人生に大きな影響を与えることになる。

「ボオルチュは実在の人物。チンギス・カンを護衛する『四駿』の一人です。いわゆる功臣だね。言い伝えられているところでいえば、馬泥棒を捕まえるのを手助けしたことがきっかけでテムジンの仲間になったということなんだけど、それじゃああまり面白くない。それよりも2人に砂漠を渡らせ、困難を乗り越えさせたかった」

 ボオルチュはテムジンを信じ、ついていこうと決心する。向かったのは金国の大同府という大きな街だ。テムジンたちはそこで蕭源基という人物と出会う。妓楼を営むかたわら書店を経営している読書家である。

「蕭源基はちょっとヘンなやつだよね。本屋と妓楼をやっている。この組み合わせは、もしも俺があの時代に生きていて、金に余裕があったらやってみたい商売なんだよ。蕭源基はどんなに本を読んでも本の論理でガチガチに固まっているわけではない。妓楼を持っているくらいだから、現実に対しても柔軟に行動できる。だけど、その能力を生かせるチャンスがなくて知性を持て余している。そこへテムジンが現れるわけだ」

 草原の民であるテムジンはこれまで文字を必要としてこなかった。そのため、いくつかの文字を読める程度だった。蕭源基との出会いが、テムジンに書物という情報の束へのアクセスを可能にすることになる。

「テムジンは蕭源基の馬車の御者をやりながら、片方の眼で前を見て、もう片方で『史記本紀』を読んでいる。それも声を上げて朗読するんだ。蕭源基は『史記本紀』を暗記していて、朗読を聴いてそこは違うと指摘する。テムジンは2度同じ間違いはしない。そうやって本を読めるようになる」
 

チンギス紀 主要人物紹介

テムジンの戦い 勝利のキーワードは?

 弟を殺したテムジンが南へと逃亡している間、キャト氏をまとめていたのは母のホエルンだった。しかし、同じモンゴル族の別の氏族、、タイチウト氏の長、タルグダイとトドエン・ギルテがキャト氏を吸収しようと動いていた。いわば「敵役」のこの2人の大人がテムジンの前に立ちふさがり、1・2巻の味わいを濃いものにしている。

「タルグダイとトドエン・ギルテはいってみれば一族の口うるさいオヤジなんだよな。テムジンから見れば彼らは古い世代で、若い世代はあの野郎、いつか倒してやるぞ、と思っている。平和な時代だったら我慢すればいいけれど、殺しに来る時代だから大変なわけさ。しかも2人ともピンで立てないリーダー。できればタイチウト氏を一人でまとめて、キャト氏を自分たちの配下にしたいんだけど、敵がたくさんいるから単独でやる自信がない。なんとなく一緒にいてくれたらありがたい。でも、互いに隙あらば出し抜こうという野心は持っているという関係だね」

 彼らはまた、昔ながらの遊牧民の暮らしを象徴する長たちでもある。

「彼らタイチウト氏が本来あるべき伝統的な遊牧民の姿なんですよ。戦だ、来い、と声を掛けたら三々五々集まってくる。近代的な軍隊とはだいぶ違う。なにしろふだんは羊を飼っているわけだから。でも、モンゴルを統一しようと思ったらそのままではどうにもならない」

 ではテムジンが旧世代に対して戦いを挑み、勝利するには何が必要なのか。そのキーワードとなるのが「鉄」だ。

「戦に勝つには武器が必要。鉄を手に入れなければならない。ところが、調べに調べたんだけど、モンゴルに鉄はないんだよね。見つかったという説もあるんだけど。それで私はテムジンに大同府で『史記本紀』を読ませたわけ。そこに匈奴が鉄をつくっているという記述があるから。モンゴルのほかの氏族は『史記本紀』なんて読んでいないですよ。字を読むという文化がなかったから」

 鉄が必要なことはわかった。しかし、テムジンはどうやって鉄を手に入れるのか。

「鉄山を偶然見つけたんじゃマズいんだよ。やはり意志的に探して見つけないと、テムジンと鉄のつながりが書けないから。そこで山師を雇って……。あれ? 2巻に入ってたっけ? 次の巻か。書いたところはぜんぶしゃべっちゃうから(笑)。それはともかく、ウランバートルの近郊に大きな鉄工所があったということが最近の考古学でわかってきた。やっぱりね、草原では鉄を制したものが世界を制するんだよ」

 鉄の次に必要なものは、製鉄に使う石炭だ。

「石炭はモンゴルで採れる。木を燃やして火力を強めるのは難しいんですよ。それに一度木を切ってしまうと砂漠化してしまう。ミャンマーにバガンっていう遺跡があるけれど、煉瓦をつくるために木を切って燃やした。どうなったかというと、青々とした熱帯雨林の中に遺跡とその周辺だけ真っ茶色の荒野が広がっている。『チンギス紀』では燃える石、つまり石炭を探してきて、蒸し焼きをしてコークスをつくる。火力が強力になるからね。さらにふいごで酸素を送って火力を強める」

 北方さんは『水滸伝』でも、交易や兵站など、政府に戦いを挑む上で必要なシステムをこと細かに書くことでリアリティを高めていた。『チンギス紀』ではそれがまず「鉄」について行われているのだ。

「リアリティということでいえばね、読者がいちばんリアルに感じるのは食い物なんですよ。あとは出すところ。食ったら出るんだから。何万っていう軍勢がいたら出すものどうするんだって。だから、俺は、出すものは『水滸伝』でずいぶん書いたよ。『チンギス紀』でいえば食のほかに草原が重要。草の生え方が季節や地域によって違う。この時期のこの場所の草は羊にいいということを遊牧民は知っている。トドエン・ギルテがどこの草が羊にとっていいかわからないから、自分で食うという場面を書いたのはそれ。遊牧民が草を食べて味見をする、なんて書いてある文献は1個もないけど、現地に行って思いついたんだ」
 

取材旅行で得た気づき

 北方さんは『チンギス紀』を執筆するにあたり、2週間ほどモンゴルへ取材旅行に出かけたという。

「テムジンが生まれたキャト氏は小さい部族ですよ。でも、小さいといったって、行ってみるとモンゴルは広い。ずいぶん移動したなと思ってパッと景色を見ると、さっきとまったく変わらない(笑)。放牧している羊たちの上に雲の影がつーっと流れていったりするんだけど。あの何もないところで、テムジンは大地は一つだと思えた。取材のいいところはそういうことに気づく瞬間だよね」

 先ほど、「読者がいちばんリアルに感じるのは食い物」だと言っていたが、『チンギス紀』にも印象的な食べ物が登場する。たとえば「石酪」。「硬い酪であり、いつまでも保つ。遊牧の民は、これだけでひと冬過ごすこともあるのだ。」と文中にある。これも取材のたまものだろうか。

「石酪はね、私がつくった言葉なんですよ(笑)。きっと読者も欺されると思うけど。実際に硬いチーズはあるんだ。でっかいやつを石か何かで割って口に入るくらいにする。口の中に入れておくと、やがてやわらかくなる。でもこれを言い表す適当な日本語がなかった」

 干肉も忘れがたい。「拳ほどの干肉は、しばらく湯に浸けていると、子供の頭ほどになる。」とある。

「あれも実際にモンゴルにあるんです。兵糧ですね。冬に雪の中に肉を埋めておいて、カチンコチンに凍ったやつを叩き潰して、重ねて干す。モンゴルでいまも昔もよく食べられているのは羊肉。それも焼くのではなく煮る。岩塩でね。たくさん採れるから」

『チンギス紀』にはテムジンのほかにもう1人、ジャムカという同じ年齢の少年が登場する。モンゴル族ジャンダラン氏の長の息子で、父がメルキト族の横暴に従い続けることに我慢ならず、メルキト族を殺してしまう。父はジャムカを土牢に監禁し、15日間水も食事も与えなかった。その刑から生き延びたジャムカは旅に出る。

「2人ともやがてモンゴル族を統一しようという意志を持つようになり、その能力も持っている。それだけにどこかで対立する宿命にある。どこで対立するかは私のお腹の中にはあるんだけど、いまはまだ言えない。まだ書いていないから。テムジンは1年間、南へ旅したことがいろいろなことを身につけるきっかけになっただろうし、ジャムカも牢屋に入れられて飢えて死ぬ寸前まで行った。そういう経験が、この後に生きてくることになるだろうね」

 ジャムカがあわや死ぬという経験をしたことは、「大水滸伝」の読者であればなじみ深い言葉「死域」を連想させるエピソードだ。また、キャト氏の客分となった剣の達人、ジェルメはテムジンの弟たちに剣を教えるのだが、そこで「死域」という言葉を使っている。

「死ぬと思ってからもう1回立ち上がって動くと、ふっと身体が軽くなる状況を『死域』という。これも私がつくった言葉だけどね。ジェルメ自身がそうやって自分を鍛えたし、テムジンの弟たちにも死すれすれの世界を見せる。死域を超えているから、戦になっても100人隊くらいの指揮はできる。やがて、この兄弟の存在は大きくなりますよ」

 2巻では初陣を勝利で飾ったテムジン。しかしその後に試練が待ち受けていた。登場人物たちはまだみな若く、これからどう成長し、ぶつかり合っていくかが楽しみだ。

「いまのところモンゴル族の中で話が進んでいるけれど、テムジンが外にまなざしを向け始めると状況が一気に変わっていくでしょうね。これから彼らがどう動くのか、作者である私もわからなくなったときが最高だね。思った通りに動いたら彼らの輝きがなくなる。つまらないよ」

 ところで北方さんは『チンギス紀』の連載を続けるかたわら、文芸誌に原稿用紙15枚ほどの掌編小説を書いている。その理由は「文体」のためだという。

「長編だけを書いてると文体が緩んでつい余計なことばかり書いてしまうんだ。1つの描写で済むところを3つくらい書くとか。でも、掌編は枚数が限られているから余計な言葉を使えない。言葉を削る習慣を取り戻せるんだ。だから大長編を書くときは掌編を平行して書くようにしている」

 かつてそのようにして書いた掌編小説をまとめた1冊が『コースアゲイン』である。「進路を元に戻せ」という船舶用語だ。いま書いている掌編小説もやがて1冊にまとまるのだろう。長編を書きながら、自らの文体を鍛えるために掌編を書く。その厳しい姿勢が大長編を支えている。
 

取材・文:タカザワケンジ 写真:川口宗道 イラスト:遠田志帆

 

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