プロレス専門chキャスター・三田佐代子推薦 レスラーたちの生き様に痺れる3冊【プロレス特集番外編】

エンタメ

公開日:2018/8/10

 プロレス観戦の醍醐味は、リング上での強さと強さのぶつかり合い――だけでなく、選手同士の関係性から生まれる様々な物語。選手の数だけ歴史を知れば、プロレスはもっともっとおもしろくなる! 『ダ・ヴィンチ』2018年9月号のプロレス特集では、プロレス専門チャンネル開局から携わるキャスター・三田佐代子さんに、いまプロレスを観るうえで外せない選手たちの物語を訊いた。そのなかで紹介されたおすすめの3冊を、誌面には載せきれなかったお話を含めて、ここでご紹介する。

タイガーマスクだった男の衝撃的な死。あの日何が起きたのか――。

『2009年6月13日からの三沢光晴』
(長谷川晶一/主婦の友社)

 2代目タイガーマスクとして脚光を浴び、プロレス四天王の一人として称えられた三沢光晴。だが、2009年6月13日、広島県立総合体育館での試合中に倒れ、病院に搬送されるも頸髄離断により46歳の若さで死去。あの日、いったい何があったのか――。関係者20人にインタビューしてまとめられたルポルタージュ。

「三沢さんの死は、プロレス業界に関わるすべての人に衝撃を与えました。ベテラン中のベテランで、誰よりも受け身をとるのが上手だった人が、リング上で受けた技が原因で命を落としてしまった――。もちろん、長年にわたる怪我の蓄積もあったのだろうけれど、信じられなかった。誰も信じたくなかった出来事です。誰が悪かったわけでもない。対戦相手だった齋藤彰俊選手も、もちろん悪くない。あの場にいた全員がベストを尽くして、どれだけ三沢さんにもう一度生きてほしいと願ったか。そのすべてに正面から向き合ってこの本を書き上げたことに震えました。きっと、あの場にいた人たちが次に進むために、必要なことだったんだろうなと思います。彰俊選手は、その死を受けて自分のプロレスをやめるのではなく、リングに上がり続ける覚悟をして、今でも最前線で戦い続けている。その重みも改めて感じましたね。プロレスは、どんなにユニークな試合だったとしても、選手はみんな命を懸けてリングに立っている。そのことに改めて向き合わされました。この本が刊行されたことは価値のあることだけど、こういったことは2度と起きてほしくない。そういう意味でも、唯一無二の一冊ですね。ふたたび同じ悲劇が起きないよう、祈るばかりです」

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人気絶頂期に新日本プロレスを脱退、今、世界で称賛を浴びている男

『SHINSUKE NAKAMURA USA DAYS』
(中邑真輔/イースト・プレス)

 2016年、人気絶頂期に新日本プロレスを脱退しアメリカの団体WWEに参入した中邑真輔。なぜ彼は戦いの場を移す決意をしたのか。アメリカでも称賛やまぬ中邑真輔のプロレスラーとしての魅力とは。みずから書き下ろした500日の記録から、その生き様が浮かび上がる。

「私たちが熱狂した美しい中邑真輔が、アメリカの、世界中のプロレスファンに称賛とともに迎えられている――こんなに感動することはありませんよね。私たちの信じてきた中邑真輔は間違っていなかったのだと、彼は全身で証明してくれている。世界中をタイトなスケジュールでまわるWWEの巡業は、アメリカ人であってもキツくて脱落してしまうことも多いのに、移籍してわずか2年で、レッスルマニア(WWEの年間最大の興行)のメインイベントを組まれるまで、スターダム街道を駆け上がり続けている。本当にすごいことだと思います。プロレスって、もちろん相手からスリーカウントをとって勝つことが何より求められるんですが、観客に対して、いかに自分自身を“魅せていくか”も大事な要素。とはいえパフォーマンスが先走ると、勝利からは遠のいてしまうことも時々あって。それはそれは面白いんですが、中邑選手のプロレスは、両方のベクトルをちゃんと一致させている。美しく、かっこいよく、なおかつ強い。紆余曲折を経てきた自分の歴史と身体能力、そのすべてを武器にして観客を魅了しているんです。棚橋(弘至)選手が新日本プロレスの太陽だとすれば、中邑選手は月。スタイリッシュで、誰にもまねできない存在感を放っている。もちろんそれは、棚橋選手が新日本プロレスの長男坊として支え続けているからできることなんですが、棚橋選手がいてくれるから、彼は人気絶頂期だったにも関わらず安心して旅立てたのだと思います。中邑真輔という才能が、ワールドワイドに伝わっていることが嬉しいですね」

波乱万丈の人生を経て、
女子プロレス界の星となった元女子高生レスラー

『覚悟 「天空の逸女」紫雷イオ自伝』
(紫雷イオ/彩図社)

 6月30日、WWEへの入団を正式発表した紫雷イオ。姉とともにデビューしたものの、なんの覚悟もなかった女子高生時代。なりたくてなったわけじゃない。だが、メキシコ修業、姉とのタッグ解消、大麻密輸の冤罪をかけられる衝撃の事件を経て、彼女が得た覚悟とは。

「本人が打ち明けていますが、紫雷イオはデビュー当時はプロレスに自分の全てを捧げるとは思ってもいなかったでしょうし、私たちもそこまで求めてはいなかった。だけどやっぱり、あの冤罪事件は大きかった。この本にも書いてありますが、20日間の留置所生活のなかでプロレスだけが彼女の心の支えとなった。あれ以来、変わったなというのは観ていても感じます。本当に、文字どおり生活のすべてをプロレスに捧げている。20代の女の子がそうするというのが、どれだけ大変なことか。身体面はもちろんのこと、女子プロレスは男子以上に見た目も重視されます。あらゆる面で、“見られる”ことを意識し続けなくてはいけないんです。覚悟がなくてはやっていけないなかで彼女は、誰にも代わりのきかない地位を築き上げた。どんな選手と試合を組まれても、彼女は観客を満足させられる。相手が若手だろうがベテランだろうが、名前を聞いたこともないような外国人選手だろうが、華やかな技で私たちを楽しませてくれたうえで、勝つ。入場の瞬間からうっとりさせてくれるんです。最近は、彼女に憧れる女の子の歓声も増えてきていますよ。だから彼女がWWEに行ってしまうのは、喜ばしいことだけど、女子プロレス界にとっては大きな痛手。とはいえ、突出した誰かがいなくなると、覚悟を引き継ぐ選手が現れるというのもプロレス界のならわしではあるので。今後の女子プロ界に期待しています。中邑選手もそうですが、アメリカで活躍する彼女たちが安心して羽ばたけるように、戻ってくる場所がないくらいプロレス界を盛り上げるのが、日本にいる選手の役目だと思いますからね」

取材・文=立花もも