「すべてがぶっ壊れればいいのに」とにかく生きづらかった10代――『愛と呪い』ふみふみこインタビュー【後編】

マンガ

更新日:2018/8/27


『ぼくらのへんたい』(徳間書店)で、女装する男の子たちの内面を鮮やかに描き切ったマンガ家・ふみふみこさん。このたび上梓した新作『愛と呪い』(新潮社)では、「宗教」をテーマに、孤独に押しつぶされそうなひとりの少女の闘いを描いている。

 父親からの性的虐待、それを見て笑う家族たち、そんな異常な状況を変えてはくれない宗教というもの……。信仰心は決して救いになどならず、呪いを植え付けるだけ。そこにあるのはふみふみこさんの痛烈なメッセージだ。本作はふみふみこさんの「半自伝的クロニクル」とされている。自身の半生を赤裸々に描く。その覚悟は相当なものだっただろう。

 そして、本作の主人公・愛子は、やがて「すべてを破壊してほしい」と実在するひとりの犯罪者への想いを募らせていく。その犯罪者の名前は、「酒鬼薔薇聖斗」。少年Aで知られる人物だ。

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 ふみふみこさんは、なぜ本作で酒鬼薔薇聖斗に言及しているのか。その意図とはなにか。インタビュー後編では、その想いの深淵に迫っていく。

■「10代の頃は、すべてがぶっ壊れればいいのにって思っていました」

 SNSの台頭により、簡単に他者とつながれる時代が到来した。「SNSいじめ」などという新しい社会問題も出てきたが、その一方、インターネット上で気の合う仲間を見つけられる場所というのは、10代にとっては貴重ではないだろうか。苦しいとき、つらいとき、悲しいときに弱音を吐ける。それだけで生きることができる。

 しかし、本作の愛子は違う。彼女が生きるのは90年代の地方都市。まだインターネットが発達しておらず、閉塞感の強い時代だ。そこで学校にも自宅にも居場所を見つけられない愛子は、次第に追い詰められていく。やがて芽生えるのは、「破滅願望」。すべてが壊れてもいい。みんな死んでもいい。それは、ふみふみこさん自身も思っていたことだったという。

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(C)ふみふみこ/新潮社

「10代の頃はよく『空からなにか降ってこないかな』って思っていました。特に終末論を信じていたわけではなかったんですけど、すべてがぶっ壊れればいいのにって。それくらい生きづらかったんです。その当時の気持ちを愛子にも投影しました」(ふみふみこさん、以下同)

 全部殺して――。そのように呟く愛子に寄り添う人物が、松本さんだ。愛子と同様に宗教を信じない松本さんは、ナイフを隠し持ち、「教祖も信者も殺す」と宣言する。それは宗教の無力さを証明するために他ならない。そんな松本さんに、愛子は少しずつ心酔していく。

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(C)ふみふみこ/新潮社

 しかし、その想いは途端に打ち砕かれてしまう。あれだけ宗教を憎んでいた松本さんも、ある日を境に、信仰心を高めていくのだ。それにより、裏切られたと感じる愛子。

 そして同時に現れるのが、酒鬼薔薇聖斗の存在だ。愛子は身近な救世主を失ったことで、世間を騒がせる酒鬼薔薇聖斗へと想いを重ねていくようになる。

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(C)ふみふみこ/新潮社

「本作は酒鬼薔薇聖斗を全く肯定しているわけではありません。大人の愛子が登場するシーンで、彼が書いた『絶歌』を『アホやな』って否定もしていますし。ただ、当時、クラスの端っこにいたような子たちって、酒鬼薔薇聖斗の犯行声明文と似たような想いを抱えていたのも事実だとも思うんです。〈透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない〉とか。それくらいしんどかったんですよね……」

 本作に酒鬼薔薇聖斗が登場することによって、愛子がいかに追い詰められているのかが際立つ。

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(C)ふみふみこ/新潮社

「愛子と酒鬼薔薇聖斗との違いは、外に暴力を向けないこと。『世間に認められたい』という想いは共通しているかもしれませんが、それを愛子は“売春する”というカタチで埋めようとします。第三者から見ればそれは明らかに間違っていて、彼女自身をもっと深く傷つけてゆくわけですが、第二の酒鬼薔薇聖斗にもならなかった愛子には他の方法が見つからないんです」

■「全力で描き切ったら、次は読者が喜ぶものを生み出したい」

 信仰することだけでは、幸せになんてなれない……。そう気づいてしまったらもう後戻りはできない。疑念を持った状態では信仰することなどできないのだ。それが、本作で描かれている愛子の姿である。彼女を見ていて願うことはただひとつ。どうか、人並みの幸せを得てもらいたいということ。

「幸せにはいろんなカタチがありますけど、とにかく幸せにはしたいなと思っています。でも、正直まだわかりません。どん底まで突き落とすかもしれない。ずっと破滅願望を持っているキャラクターですし(苦笑)。ただ、どん底まで落ちることで見えてくる幸せもあると思うんですよね」

 そう語るふみふみこさんの言葉には、非常に重みがある。きっと、自身もどん底を見たからこそ、作中の愛子をどうするのか迷っているのだろう。しかし、目の前のふみふみこさんを見ていると、過去の呪いと闘いながらも幸せそうだ。それはなによりも、マンガ家として成功しているからだろう。

「本作は3巻で完結させるというのは決まっているんです。それまで後2年。まずはそこまで描き切るのが目標です。自分のなかにあるものを全部出し切る勢いで描いて、今後のマンガ家人生についてはそこから考えたい。全力でやり切ったら、次はみんなを喜ばせるものを描いていきたいですね」

 自身の半生をモチーフに、これまでにない衝撃作へと挑んだふみふみこさん。読む人によっては、本作は「劇薬」にもなるだろう。ぼくもそうだった。宗教に苦しめられた幼少期を思い出しては、愛子と自分を重ね、息苦しさを覚えた。その読書体験は、まるでリストカットのようにも思えた。しかし、それでも繰り返し読んでしまうのは、「生」を渇望しているから。もがきながら生きる愛子を見ては、自分の過去を反芻し、なんとか昇華させようとしてしまうのである。

 最後に「読者も登場人物も苦しめようと思って描いてきたんです」と、これまでのマンガ家人生を振り返ってくれたふみふみこさん。しかし、それでも彼女の作品が支持されるのは、痛みの共有が自浄作用の活性化を促すからだ。過去のトラウマや傷跡を見つめることで、その因果から解き放たれる。本作は、そんなふみふみこ作品の集大成と言えるだろう。

取材・文=五十嵐 大