「みんな大変な時期が10年、20年続くとは思っていない」 阿川佐和子が、リアルな介護体験を詰め込んだ『ことことこーこ』

エンタメ

2018/10/6

 「がんばってやっちゃいましょう!」
 この日のインタビュー開始は夜の9時。阿川佐和子さんは、テレビのレギュラー番組の収録の後、スタジオに駆けつけてくれた。疲れた顔も見せず、テレビで見る通りの明るい声や雰囲気に、場が和む。
 テレビや雑誌のインタビュアーとして無二の存在感を放ち、エッセイの名手としても人気。小説家としてもデビューからもうすぐ20年を数える。2008年には、恋愛や結婚をモチーフに7人の女性心理に迫った『婚約のあとで』(新潮文庫)で島清恋愛文学賞を受賞。下町の豆腐屋育ちの新米検事・凛々子が持ち前の正義感で難事件に挑む『正義のセ』シリーズは、ドラマ化もされた。
 そんな阿川さんの最新刊『ことことこーこ』は、自身初の新聞連載をまとめたもの。

著者 阿川佐和子さん

阿川佐和子
あがわ・さわこ●1953年、東京都生まれ。99年『ウメ子』で坪田譲治文学賞を受賞。2012年、人の話を聞くコツ、引き出すコツをまとめた『聞く力 心をひらく35のヒント』、14年、『叱られる力 聞く力 2』が、ともにベストセラーに。父で作家の阿川弘之氏との思い出を綴った『強父論』や、医師・大塚宣夫氏との対談集『看る力 アガワ流介護入門』も話題。

 

「『新聞小説なんてムリムリ。途中で落としたら怖い』と言いながら、結局は引き受けてしまうのが私なんですね……。ただ、前作の『正義のセ』の場合は、毎回かなりの取材が必要だったし、取材したものをどう消化して作品に入れていくかに頭を悩ませていました。素では書けないあの大変さに比べると、『ことことこーこ』は、日々起こった出来事や自分が感じたこと、あるいは自分の経験などを取り込みながら登場人物を回していくような感覚で書けたので、想像していたよりは楽だったというか。いえ、言うほど楽じゃなかったけれど(笑)」

 主人公は、老父母が暮らす家に出戻ってきた佐藤香子。フードコーディネーターとして自立を目指しているアラフォー長女の人生に、仕事の転機と親の介護とが一度に押し寄せてきて右往左往。それでも自分らしくがんばる香子を見ていると、不思議と元気が湧いてくる。

「介護の問題は深刻に捉えられがちですよね。わが家の場合、母が明るいせいもあるけれど、笑える時間もたくさんあって。そんな介護の日々を明るくユーモラスに書けないものかなと思ったんです」
 

自分や友人たちのリアルな介護体験を詰め込んで

 ご存じの読者もいると思うが、阿川さんは数年にわたり、父で作家の阿川弘之氏を介護し、看取った経験がある。現在は、ご兄弟と協力し合いながら、母の介護が進行中だ。

 そんな実際の経験が、本書にも活かされている。たとえば、阿川さん自身も抱えたという、仕事と介護の両立の難しさ。本書では、香子はフードコーディネーターの仕事を続けていいものか、認知症が進行してきた母・琴子の介護に専念すべきかに悩む。そんなときに適切な助言をくれたのが、香子の学生時代からの友人たちだ。ライブハウスのオーナーをしているヒナ子さんは、〈しばらく踏ん張ってみます!〉と介護意欲に燃える香子をこういさめる。

〈コーコ、今、数年踏ん張れば解決するって思ってるでしょ?〉〈数年じゃないかもしれないのよ。もしかしたら十年続くかもしれないの〉

「いろんなところで書いたり話したりしていますけれど、みんな『この1〜2年は介護をがんばろう』みたいなことを考えるんですよね。別に1年で親が死ぬと思っているわけではないのだけれど、大変な時期が10年、20年続くとは思っていない。私も、そのことを友達に見事に指摘されて、『阿川、甘いからね』と。うちはそれはないと思うけど……と言いながら、気がついたら10年経っていますからね。先に経験している人がいると頼もしいし、こんなことが起こるよとか、認知症の薬の情報などいろいろ教えられてありがたいです。男性の場合はわからないけれど、女性にとっては、情報交換や気の置けない話ができる場があることが、とても大事だなと実感しました」

 他にも、本書で目を啓かされるのは、香子の語りの合間に数回出てくる琴子の語りのパート。介護される側の感覚がとてもよくわかるのだ。

「『徘徊するのにも理由がある』と言った人がいたんです。自由に脳も筋肉もなめらかに動く私たちから見ると、まどろっこしいから、こうでしょ、ああでしょと決めつけてパパパッとやってしまったほうが早いと思ってしまうけれど、そうじゃないと。物忘れの人も徘徊の人も、少なくなった記憶力で懸命にやってるんだと。80年、90年人生を積み重ねてきた人への尊敬は、介護する側が忘れてはいけないことですよね。一見辻褄の合わない行動も、理由がちゃんとあるのだったら、そちら側の気持ちをなんとか書けないかと思って、琴子の語りも入れたかったんです」

 ちなみに、香子は作中では38歳。その年齢設定が介護小説を書く上で少し厄介だったとも語る。

「香子はだいぶ遅れて生まれた子どもで、30代なのに介護を背負うということにして物語を始めたわけですけれど、一般的には、介護が始まる年齢って40代後半から50代ですよね。本当なら、更年期障害が始まる年齢と重なるでしょう。介護に更年期というWパンチを浴びながら、日常生活を送る女性の大変さも、書きたかったけれど、香子がまだ30代という設定なので書けませんでした。また、妻が認知症になってしまった夫の、あるいは、母親がそうなってしまった息子の、男性の気持ちにも深く触れることができませんでした。ここで書ききれなかったことがずいぶんありますね」
 

登場する料理の数々は、母の料理ノートから拝借

 本書の主たるテーマは、介護をめぐる母娘の関係や家族の奮闘だが、お仕事小説としての楽しさもある。

「フードコーディネーターの方々には何人か取材させていただきました。テレビ番組や雑誌の現場で働く人や、料理教室をやってる人にも。テレビの生放送の様子や緊張感は私も知っているところがあるので、香子の現場でのドタバタはリアリティーをもって書けたと思います。一方、香子が引き受けた、白ワインに合うレシピを300種作るという仕事は、私の創作です。実際にいくつかのレシピは作中で出さなくてはいけないと思ったので、真剣に考えました。イタリアンレストランに行くたびシェフやソムリエを質問攻め。『白ワインに合う料理ってどんなのがあります?』『焼き野菜とか案外合うんですよ』『なるほど』『あと、鶏肉もおすすめです』『なるほど』と、小さな取材は繰り返しやりました。餃子の皮を使ったピザのレシピは私のオリジナルなんですが、プロの料理人から『ああいうふうにはなりません』と言われたらどうしようかと(笑)」

 香子が母・琴子の料理ノートを思い出し、レシピを増やすヒントにしようと考える場面がある。

「私の母も料理ノート作っていて、レモンライスやレバーのベーコン巻きなど、登場する料理のいくつかは本当に母の料理ノートにあったものです。簡単トマトスープは、私が料理教室で習ったレシピです」

 書きながら、介護中の母との関係に思いを馳せることも多かったという阿川さん。

「仕事で忙しくしてるさなかに母から電話がかかってきて『あと一時間ぐらいで、これもあれも終わらせなくては』と思っている私は上の空。『機嫌悪そうだから切るわねぇ』なんて、よくあったんです。話が噛み合わなかったりしたことも耳が遠いせいにしてたけど、たぶんそうじゃなかったんですね。『もうちょっと親身になればよかったなぁ。優しくして早く気づけばよかった』など、後悔することがいっぱいあります。けれど、いまなら母はボケながらでも会話が成立し、自分を認識している。それもわからなくなる日が来るんですよね。だからこそ、いま母と笑い合える時間を大切にしたい。この小説にはそんな思いも込めました」

取材・文:三浦天紗子 写真:ホンゴユウジ