ヨシタケシンスケさんの新作は、超大人向けの“いやらしい話”!? 

文芸・カルチャー

2018/12/14

 10月21日に放送された『情熱大陸』にも出演し、デビュー5年にして押しも押されもせぬ大人気絵本作家となったヨシタケシンスケさん。人一倍常識に縛られていた自分だからこそ伝えられるものとは?

常識に縛られてきた自分だからこそ、他人と違っていい、という提案ができる

――大変な未来への不安(『それしか ないわけ ないでしょう』)とか、死んだらどうなるんだろう(『このあとどうしちゃおう?』)とか、大人も子供も根本的には悩んでいることって変わらないのかもしれないと、ヨシタケさんの絵本を読んでいると感じます。

ヨシタケ 大人は大人なりに「あちゃ~」ってなるし、子供は子供なりに「わかる~」ってなる。そういう絵本にできたら僕は一番嬉しいと思っていて。『情熱大陸』で「他人と違っていてもいいなって思えた」とおっしゃってくれているお母さんがいましたが、僕自身が「他人と違っちゃだめなんじゃないか」と日々不安に思っているからこそ、そういう感想が出てくるんだと思います。

「こういう考え方をすれば、他人と違っていても大丈夫だと思いません?」という提案ができるのは、そうすれば僕自身が安心できるというだけですから(笑)。正直、僕は自分を救うので精いっぱいなんだけど、それで一緒に喜んでくれる読者がいるなら、これ以上嬉しいことはないですね。

――雑誌『MOE』のインタビューでも、人一倍常識を気にする子供だったとおっしゃっていましたね。

ヨシタケ 突飛なことを考える人には2タイプいるんですよ。思いついたことすべてが常識外れな根っから規格外のタイプ、当たり前のことが全部わかっているから、そうじゃないものとして常識外のことを思いつくタイプ。僕は後者で、子どもの頃から想像力が豊かだったわけでも、自分の意見を強固にもっていたわけでもなかった。ただ、幼い頃から「出る杭にならない」ことを考え続けてきたから、どうすれば打たれてしまうのかがわかる(笑)。

――常識と常識外れを行ったり来たりすることができるから、一般読者に寄り添いながらの提案ができるわけですね。

ヨシタケ ずっと常識に縛られてきたからこそ、いま少しずつ常識外れなことをしても許されている部分があるし、絵本作家にもなれた。そういう、“普通”な僕の歩んできた道自体が誰かを救う可能性があるというのはすごくありがたいことだし、何より子どもの頃の自分に教えてあげたいんですよね。

「ずっとどうでもいいことにぐじぐじ言ってきたけど、それがあとあとお金になるんだぜ! すごくない!?」って(笑)。もちろんぐじぐじすればいいわけではないけれど、“それが仕事になる人もいる”というのは1つの希望になるはず。最新刊の『それしか ないわけないでしょう』も、僕が手に入れたものを「こんなものもありますよ~」という形でシェアしたい気持ちから描いています。

新作は、超大人向けの“いやらしい話”!?

――『MOE』では、超大人向けの作品も描きたいとおっしゃってましたが、子どもも読める絵本との違いってなんなのでしょう?

ヨシタケ まあ、とりあえず思い浮かぶのはいやらしい話ですよね。大人と子どもで一番違うのはからだの仕組みで、子どもにとって性にまつわる話は別世界すぎるんですよ。感情面ならどちらも面白がれる作品にできるけれど、いやらしい話は子どもの興味の範疇外。だけど大人にとってはものすごく大事なことだから、何かやりたいなあと思っているんですけど、いまのところノービジョンです(笑)。

――たしかに最近、セックスレスに関する本も多いですし、人には言えないけれどどうしよう、と思っていることをヨシタケさんの視点でひもといてもらえたら、ちょっと面白い気がします。

ヨシタケ アプローチがそれしかないわけないよね、って視点をまさに活用できるわけで。話題にするのはタブーみたいな雰囲気があるけれど、「へ~そんな人いるんだ、おもしろーい、へんなのー!」ってげらげら笑いながら面白がることができないかなと思うんです。深刻にならないで、着地点を探る道というか。もちろん「そんなふうに笑うな、当事者の気持ちを考えろ」って怒る方もいらっしゃると思うんですが、表現を工夫することで、5人怒るところを3人に減らせないかなあ、と。何をしても怒る人はいるだろうから、そういう人にはもう謝るしかないんですが、言葉尻を「~だ」から「~です」にするだけで相手の態度が変わることもあるじゃないですか。

――たしかに。言い方1つで、コミュニケーションはだいぶ変わりますよね。

ヨシタケ 世の中の争いごとの9割は、言い方が気に食わないっていうただそれだけが原因で起きていて。上司に企画を通すために、こういう言い方をすればOKだけど、こういう言い方するとNGみたいなことってたくさんあるでしょう。相手によって言い方を変える、そのレパートリーは1つでもたくさん持っていたほうが得だし、自分ひとりで見いだせなかったものも、そういえばあの本でこう言ってたなと知識として知っておくだけで変わってくる。怒る人はしょうがない、けれど怒らせることが本意ではないので、細かい表現にこだわりながら、できるだけみんなが笑って「そうかもね~」って納得してくれる道を探したいし、探す価値のある選択肢だと思うんです。いまはまだどうすればいいかわからないけど、だからこそ逆に希望がもてる気がしています。

どうすれば相手の言葉に近づけるのか、アプローチし続けること

――同じ日本語だと思うから勘違いしがちですけど、それぞれの生きてきた背景によって、言葉のもつ意味って変わってきますからね。それに気づかないと「どうしてわかってくれないの!」と怒りが爆発してしまう。

ヨシタケ その人に一番届く言葉は何だろう、どう翻訳すれば彼の言葉に近づけるんだろう、と考えることが大事だと思います。どの絵本を描いているときも、僕にとってのテーマは「けっきょく人のことってよくわからないよね」というのが根本にある。とはいえ、似たような構造のからだを使って生きているからには、感じることや考えることにはそれほど極端な違いはないはずなんです。ということは、言葉なり文章なりにアウトプットされたときに差異が出てくるわけで。

 絵本では、大人の伝えたいことを子どもの言葉に翻訳して描くように、大人同士でもそれができないかなと思います。わかりあえないからこそ争いが生まれる反面、わからないことを面白がれる余裕がお互いに生まれたらとても素敵なことで、その方法を丁寧に探る人がいてもいいんじゃないかなと。結果、争いが減れば一番いいんですけど、まあ減りゃしないよねってことも含めて描いていきたい(笑)。

――減らないですよね(笑)。『それしか ないわけ ないでしょう』でも、「嫌いなあの子があしたUFOにさらわれるかもしれない」「大好きな人ができてどうでもよくなるかもしれない」とはありましたけど「好きになるかもしれない」と描かないところがいいなと思いました。

ヨシタケ 嫌いな人って、何をしてもどうせ好きになれないので(笑)。好きになれないことに苦しんだり、理解しようとしてできないことに苦しんだりするんじゃなくて、「いや無理な人は無理だよね~」って言えることが大事なんじゃないでしょうか。そのうえで、どうしても付き合わなきゃいけない相手にどう譲歩するのか、考えていくことが。違う言葉をぶつけあって喧嘩したところで誰も幸せにはならないですからね。「でもみんな仲良くするのが大事」「親身になればわかりあえるはず」と信じている人もいますから、そういう人に対しても、どうすれば納得してくれるのか、言い方を探していきたいですね。

――アプローチを探してとりいれていくのに、読書も有効な手段だと思うのですが、平成が終わろうとしているいま、なにか“次世代に伝えたい1冊”みたいなものはありますか?

ヨシタケ いまの話の流れで思いつくのは、『断片的なものの社会学』(岸政彦)。字ばかりの本ってめったに読まないんですけど、あの本を読んだときはすごく腑に落ちたんですよね。みんな違って当たり前というけれど、人と違うことって結構つらいしなかなか難しいことも多いじゃないですか。自分がもやもやと考えていたことが、僕にもよくわかる平易な言葉で説明されていて、思考を具体化してもらえたような驚きと面白さがありました。解決しないけどアプローチし続けることの大切さとか、僕が絵本で伝えようとしていることにも近い気がしたんですよね。勝手に、ですけれど。発見に満ちた一冊でした。新しいことを見つけるというよりも、自分の中にあったものを再発見したというような。

――すでにあるものから再発見することが、これからの時代は大切になってくる気がしますね。

ヨシタケ 大きな正解なんて千年二千年が経過したところで、そうそう変わるはずがないですからね。こんな面白がり方があるんだ、ってにやにやできれば、それで十分なんじゃないかなと思いますし、そういうものを描いていきたいですね。

●インタビュー前編はこちら
『情熱大陸』出演後の反響は? ヨシタケシンスケさんの口癖から生まれた『それしか ないわけ ないでしょう』

取材・文=立花もも 撮影=花村謙太朗