まっとうに罪と向き合う男・佐方貞人が6年ぶりにカムバック!『検事の信義』柚月裕子インタビュー

小説・エッセイ

公開日:2019/5/8

 上川隆也さん主演のドラマでも知られる「佐方貞人」シリーズ。その6年ぶりとなる待望の新作『検事の信義』がついに発売された。著者である柚月裕子さんにとっても、特別な意味をもつシリーズだという。

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著者 柚月裕子さん

柚月裕子
ゆづき・ゆうこ●1968年岩手県生まれ。2008年『臨床真理』で第7回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞してデビュー。13年『検事の本懐』で第15回大藪春彦賞を受賞。16年『孤狼の血』で第69回日本推理作家協会賞を受賞する。同作は映画化され、ベストセラーとなった。ほかの著作に『盤上の向日葵』『凶犬の眼』など。

 

「自分なりの正義をまっとうする人の姿を、ストレートに書くことができるシリーズ。わたしの作品には、現実にいたら困ってしまうようなキャラクターがよく出てきますが(笑)、佐方貞人はむしろ正反対ですね。正義に邁進する姿に、書いていて背筋がすっと伸びるような気がします」

 今日まで3冊が刊行されているシリーズ。1作目の『最後の証人』では弁護士時代を、2作目の『検事の本懐』と3作目の『検事の死命』では、その前日譚にあたる検事時代の佐方を描いている。今回の新作もまた、米崎地検に籍を置く青年時代の佐方を描いたものだ。

「『最後の証人』を書いた当時はシリーズ化を想定していなかったので、『短編で続きを』という話をいただいて、嬉しい反面戸惑いました。弁護士が主人公の法廷ミステリーは、事件が大がかりになって、短くまとめるのが難しいんです。それで思いついたのが、検事時代を描くというアイデア。最初から佐方は〝ヤメ検〟という設定だったので、ちょうどよかったんです」

 検事編を書き始めた当初、検事の業務に関する知識はほぼゼロ。シリーズの魅力である米崎地検のリアルな日常は、丹念な取材のたまものだ。

「フィクションによく登場する弁護士と違って、検事のお仕事はあまり表に出てこない。でも目に見えないところで、きっと自分なりの正義のために闘っているはずです。そのお仕事には強い関心がありました」

大切にしているのは事件が起こった「理由」

 4つのエピソードを収めた『検事の信義』。冒頭の「裁きを望む」では、死亡した資産家宅に侵入し、500万円相当の腕時計を盗んだ男・芳賀の事件を担当する。資産家の非嫡出子でもあった彼は、一貫して無罪を主張。その一方で、自ら起訴されるような行動を取っていた。その複雑な心理に、佐方は鋭く迫ってゆく。

「たとえ新聞の片隅にしか載らないような事件であっても、当事者にとっては大きな出来事です。検事が下す起訴・不起訴の判断によって、人生が左右されてしまう。だから検事にはすべての事件を丁寧に、深いところまで見つめてほしい。佐方にはそんな理想を託しているところがありますね」

 佐方を象徴するのが、くり返し登場する「罪はまっとうに裁かれなければならない」というフレーズ。先入観に目を曇らされることも、人情に流されることもなく、佐方はまっすぐ事件に向き合う。

「事実は誰の目にも映りますが、その奥底にある真実は見ようとする人にしか見えません。このシリーズで大切にしているのは、犯人や犯行方法ではなく、なぜ事件が起こったのかという理由の部分。佐方はそこに光を当てることができるんです」

 些細な手がかりから、思わぬ真相が浮かびあがるのが本シリーズの醍醐味。2話目の「恨みを刻む」では、スナックに勤める美貴という女性の通報により、男が覚せい剤取締法違反の罪で逮捕される。しかし美貴の証言には気になる点があった。佐方は旧知の警察官・南場と協力し、あらためて捜査を始める。立場を超えたチームプレイも読みどころだ。

「見た目や仕事がどんなに違っても、人生で一番大切にしている部分さえ共通していたら、よきパートナーになれるはず。馴れ合いではない、こうした潔い関係に憧れがあって、つい書きたくなってしまいますね」

 そんな佐方たちの行動は、ときに組織と激しく対立することもある。

「自分らしく生きようとすれば、組織とは必ずぶつかることになります。会社であったり、家族であったり、スケールはさまざまですが、佐方のような思いは多くの人が味わっているのでは。疑問を抱かずに生きられれば幸せですが、人間である限り、それは難しいと思います」

『孤狼の血』の日岡がゲスト出演する「正義を質す」

 3話目の「正義を質す」は、佐方の郷里・広島が舞台。司法修習生時代の同期・木浦と再会した佐方は、担当している暴力団幹部の保釈を、暗に求められる。保釈を許さなければ、暴力団同士の抗争に発展する可能性がある、と木浦は言うのだが……。検事にとっての正義とは何か、あらためて問いかける作品だ。

「正義は決してひとつではありません。誰もが自分なりの正義を抱いて生きています。でもそれを貫こうとするなら、物事の本質をまず見極める必要がある。そこにいたるまでのドラマや葛藤は、佐方シリーズに限らず、丁寧に書いていきたいと思っているところですね」

「正義を質す」には嬉しいファンサービスもある。柚月さんのもうひとつの代表作『孤狼の血』の日岡秀一が、ゲスト出演しているのだ。

「二人ともたまたま広島に縁があるので、リンクする場面を作ってみました。日岡を出さなくても成り立つ話ではあるんですが、『孤狼の血』をお読みの方には喜んでいただけるんじゃないかなと。分かる方はくすっと笑ってください」

 最終話「信義を守る」は、現時点でのシリーズ最新作。認知症の母親を、介護疲れから手にかけてしまった男・道塚。その犯行直後の行動には「空白の2時間」があった。誰にも語られることのなかった道塚の思いが、佐方によって明らかにされてゆく。高齢者介護という現代的なテーマを含んだ力作である。

「作中時間の平成12年に合わせた描写になっていますが、今日の高齢化社会を反映させた作品です。介護によって引き起こされる尊属殺人は、誰にとっても他人事ではない事件。〝情〟と〝事情〟のはざまで生きる人間の姿が浮き彫りになる問題です。介護については、どうしたらこのような哀しい事件が起きなくなるか、それを考えながら、これからも書きたいです」

 誰もが見過ごしてしまいがちな、ほんの小さな手がかり。そこから事件の真相をたぐり寄せる佐方貞人は、現代の名探偵だ。その知性的で人間味のあるキャラクターには、柚月さんが愛してやまないシャーロック・ホームズの影響がある。

「ホームズの魅力は、何と言ってもミステリアスなところ。ほとんどの作品が助手のワトソンの視点から描かれるので、ホームズ自身が何を考えているのかは、はっきりとは分からない。そこを想像する楽しさが、ホームズものにはあるんです。佐方を書くうえでも、あまり具体的な外見描写はしないようにしています。皆さんひとりひとりが、自分だけの佐方をイメージしていただけたらと思います」

 全4編、ミステリーとしての完成度の高さはもちろん、法律を前に苦悩する人びとの滋味深い人間ドラマにも唸らされる。佐方シリーズの魅力を、久しぶりに堪能できる一冊に仕上がった。デビュー10周年を飾るにふさわしい、重厚な作品だ。

「佐方シリーズはまだですか、と言ってくださった皆さんに、やっと新作をお届けすることができました。作家は孤独な仕事なので、こうした読者の励ましが、本当に力になるんです。6年ぶりに佐方シリーズを書いてみて、あらためて『佐方の抱える正義って何だろう』と考える機会にもなりました。青臭く、まっすぐな佐方貞人の活躍を、多くの方に楽しんでもらえたらと思います」

取材・文:朝宮運河 写真:山口宏之