この漂流の時代に陸地をつくること。それが作家の仕事だと思いました『愛情漂流』辻 仁成インタビュー

小説・エッセイ

公開日:2019/5/24

 きっと今日はピクニック日和なのだろう。「ちょうど今、息子を学校に送り出したところなんですよ」。電話の向こうの辻さんの声も弾んでいる。スピーカーは、開け放した窓から流れ込む、朝のパリの音も拾ってくれる。石畳の街に響く、まるで楽器の音のようなクラクション、人々が交わす挨拶と笑い声。ここから作家の言葉は生まれている。数多の物語も、22万人もの人々がフォローする、“息子よ”と発信するツイートも、自分を大切にしようよ、と説くエッセイ、そして「人間は感情で漂流する生き物だ」という言葉から始まっていったという新たな恋愛小説も。

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著者 辻 仁成さん

辻 仁成
つじ・ひとなり●東京生まれ。1989年『ピアニシモ』でデビュー。『海峡の光』で芥川賞、『白仏』のフランス語翻訳版『Le Bouddha blanc』で仏フェミナ賞・外国小説賞を日本人として初めて受賞。著書に『クロエとエンゾー』『立ち直る力』『真夜中の子供』『人生の十か条』など多数。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野でも幅広く活動。10/12、生誕祭ライブをオーチャードホールにて開催!

 

「全世界に共通することだと思うけれど、日本に帰るたび、“あ、漂流の時代だな”と感じるんです。人々は皆迷い、まるで溺れかけているように見える。筏に乗って漂いながら、どこに行けばいいのかわからない、そんな時代に今、入っているなって。殊に恋愛に関してね。僕はいろんな人たちに会い、話を聞いているのですが、たとえば、“セックスにはもう興味がない”という若い人がいたり、“自分のセクシャリティがわからないんです”という人に会ったり、“愛ってなんだろう”“夫婦って何?”“自分のジェンダーがわからない”と皆、愛の海で溺れかけている。この恋愛感情の漂流感みたいなものを、小説に書いてみたいなと思ったんです」

“娘を幼稚園に送り届けた後、もう一人の自分がいけないことをする”。2組の30代の夫婦、4人の視点で代わる代わる奏でられてゆく物語は、不穏なひと言からスリリングに始まる。自分を女として扱ってくれない夫・芽依汰に絶望を覚え、理沙は不倫をしている。娘・二希が幼稚園で一番仲良しのミミのパパ、純志と。

「理沙は自身のセクシャリティ過多に悩む女性。日本では数年前から芸能界などの不倫の話題に溢れ、人々の関心を集めている。なぜ不倫をするのか、そしてなぜ、そのニュースに憤りを覚える人が多いのか。そこにはやっぱり各々の背景があると思うんです。語り手となる4人の主人公たちには、男女観や性愛、愛情の在り方など、“この人はこういうタイプ”と、鋳型に入れることが難しくなってきた今、そこで生きる人々が分かつ背景を描いていきました」

“一番悪い奴はやっぱりあたしなのかもしれない”と思いつつ、“ならばあたしの夫は無罪かと言えばそうじゃない”と吐露する理沙。そこから連なる夫・芽依汰が語る章では、“君を抱かないからと言って僕に愛がないわけじゃないんだ。むしろ、愛だけはある”と、肉欲を持つことのできない彼の苦悩と彼の愛が綴られていく。

「みんなが心の拠りどころを探している切実な淋しさをくみ取っていくために、本作では“今いる場所”で起こっていることに深いメスを入れてみようと思ったんです。『冷静と情熱のあいだ』や『サヨナライツカ』のように、読者をドラマチックな場所へ連れていくのではなく、どこにもあるような東京の小さな住宅地で」

 そこで辻さんが仕掛けたこと。それはいったんページを開いたら、ページを繰る手を止めることのできなくなる“描写”。100冊以上もの本を書いてきた小説家の豊かな技巧は、読む人をこれまで得たことのない感覚に引きずり込み、そしてダイレクトに心をかき回していく。

心理描写で綴られる物語が読者の“今”と直結していく

「この作品で手法として取り入れたのが、心理描写を中心に書くことでした。風景描写はほぼ書いていない。人間の生活のなかに直結するものを著してみたかったから。読者の心に直接電源を差し込み、接続するような小説にしたかった」

 風景は描かれていないけれど、語り手の見るもの、心の風景は極めて映像的に浮かびあがっていく。妻・早希が自分と自分の性愛に関心がないことへの失望を抱き、理沙とのセックスに溺れる純志、そんな夫と理沙の不倫に気付き、怒りを募らせる一方で、“愛の名前でレイプされ続ける”ような夫の愛に悩み、ひそかにつながる芽依汰との穏やかな時間にほっと息をつく早希。4人それぞれの想いが饒舌に重ねられていくなかで、自分のなかにあるもの、理解しがたいもの、気付けなかったことが読む者のなかで接続していく。

「人がいろんな角度から見ているものが、世の中というものをつくっている。人って同じものを見ていても、見ている角度はすべて違うんですよね。それが誤解や憎しみを生んだりもする。けれど、その違いが重なり合うことで、人生というものは、ダイナミックな波も生んでいく」

 互いの子供たちのために──理沙と純志の関係をやめさせたいと、早希と芽依汰はひそかに策を練る。けれど2組の夫婦の間に響く不協和音はどんどん高まっていく。なのに、この小説は心地よいのだ。それは誰がどんな行動をとっても、公平な視点があるからなのだと、ふと気付く。

「今、誰もが皆、犯罪者を見つけたいんですよね。ひとりを叩き潰すことで、自分たちが救われる構図が生まれている。離婚、不倫にしても、どちらかが悪い、ということではないと僕は思うんです。だから僕の最近の小説には悪者が誰もいない。この4人も誰かひとりが悪いわけじゃない。全員がちょっとずつ悪い」

“誰の人生なの?”って励まし続け、書いていた

「ラストについては悩んだのですけれど、“この作品を手に取ってよかった”と読者に思ってもらいたいなと。そこに向かっていった感じです」
“なぜこのような人生を生きているのか”。小さな絶望を抱えた4人の内のひとりが見た、天井に波打つ光。辻さんが向かった道筋のあちこちに、やさしい神が宿っている。

「僕もシングルファーザーとなり、子供と2人で生きているなかで、“なんでこうなっちゃったんだろう”って時々思うんです。そんなとき、天井におぼろげに現れてくる光に癒される瞬間がある。そしてね、僕の仕事場には、天井に天使がいるんです。それをその人物にも見せたかった」

 天井にある天使のレリーフ。慈愛に満ちた表情の天使は、この小説のなかを翔びかっている。そしてその天使は、理沙と芽依汰の娘、二希と、早希と純志の娘、ミミにも宿る。

「人って、幼稚園児くらいまで皆、無垢で。その象徴として描いた二希とミミは、大人たちが悩んでいる問題を無力化する力を持っているんですよね。“あなたたちが苦しんでいることって、私たちから見たらそんなにすごい問題じゃないよ”って。大人の抱く悩み、苦しみ、悪意を打ち消し、浄化させていく」

「二希とミミが生まれたとき、この物語は動きだした」というストーリーは、漂流をしているなかに現れてくる陸地を目指してつき進む。

「“これが答えです”という、愛の陸地をつくることが、作家の仕事だと思いました。この4人の後ろには、自分を重ねる読者の方がきっといると思う。読み終わったとき、“愛ってなんだろう”って、皆さんが、それぞれの人生に重ね、答えの出せる小説になったと思います」

 そこには、この時代を生きる人へのエールも──。

「登場人物たちは悩み、苦しむけれど、“誰の人生なの?”って、書きながら4人を励まし続けていました。1回しかない人生、周りを気にして苦しむことはない。自分の愛を、気持ちを信じ、行動してほしい、と。それは僕からのメッセージでもあり、さらに自分自身に向けられたことでもあると感じました。日常のなかで抱く、救われたい、という僕自身の気持ちが、この小説には込められたのだと書き終えて気付いた。救われない話なのに、救われていく話。これは、そんな物語です」

取材・文:河村道子 写真:宮本敏明