国家は〈彼ら〉の何を恐れたのか? ミステリーの手法で歴史の闇を掘り起こす『アンブレイカブル』柳広司インタビュー

小説・エッセイ

公開日:2021/2/11

柳広司さん

柳 広司
やなぎ・こうじ●1967年生まれ。2001年『贋作「坊っちゃん」殺人事件』で朝日新人文学賞受賞。09年『ジョーカー・ゲーム』で吉川英治文学新人賞・日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)を受賞。「ジョーカー・ゲーム」シリーズ他、『新世界』『象は忘れない』『太平洋食堂』など著書多数。

 

「韓国映画を最近よく観ているのですが、光州事件のような近過去の歴史や権力の腐敗のような今も続く社会問題に切り込みながら、すごく面白いエンターテインメントに仕立て上げている作品がたくさんあるんですね。映画にできるんなら、小説にだってできるはずだ。そういう思いが出発点にありました」

 大正末期から終戦までの20年間、数十万人もの人々に「反国家的」というレッテルを貼り、獄中へと送り込んできた治安維持法。累計130万部突破の人気シリーズ「ジョーカー・ゲーム」の時代にも通じる最新作は、治安維持法の犠牲となった実在の文化人に光を当てた連作集だ。

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「太平洋戦争中、多くの作家や言論人が治安維持法と特高警察によって殺害されました。けれども彼らはいずれも小説家や川柳作家、哲学者、編集者など、身に寸鉄帯びぬ一般市民に過ぎなかった。国家は彼らの何を恐れたのか? 逆に言えば、彼らはどんな力を持っていたのか? そのあたりにも興味がありました」

 だが、ひとつの事件だけでは、治安維持法の変容と多面性は到底語れない。

「直接的には接点のない4つの事件を、それぞれに異なるタッチで描いて並べる。さらにスパイ的要素やミステリーの手法を凝らすことで、大人も楽しめるエンターテインメント小説にしたかった。『ジョーカー・ゲーム』シリーズはフレデリック・フォーサイス寄りですが、今回はジョン・ル・カレ作品のような内面描写に寄せた物語を目指しました」

小林多喜二、鶴彬、三木清――獄中に送られた文化人たち

 1話目「雲雀」で描かれるのは小林多喜二。銀行員という本業の傍ら『蟹工船』の執筆に熱中していた多喜二は、実際に船に乗った労働者たちの目にどう映っていたのか? 悲劇のプロレタリア文学作家として語られることが多い彼の知られざる一面が、同業者としての敬意も含めて描かれている。

「プロレタリア文学という枠組みを外した小林多喜二を書いてみたかったんです。半径3メートルのことを書く作品ばかりだった日本の文芸界で、多喜二はもっと広い画角をとって社会を見ていた特異な作家。労働者を主人公にした小説なんて、それまでの日本の小説にはありませんでしたから。テーマも文体も新しかったし、何よりも隠されていたものを世に表すだけの力があった。エッジが立っていてエンターテインメント性もある『蟹工船』がいい例ですよね。多喜二の新作が載った掲載誌は発禁になりましたが、口コミで評判を呼び重版がかかりました。当時の社会でいかに求められた小説だったのか、という証明だと思います」

「小説を読むということは、あの人の、小林多喜二の目でこの世界を見るということだ」。学問とは無縁の人生を送ってきた男は多喜二の小説を読んで蒙を啓かれる。異なる視点で自分の居場所を見直せば、社会の構造も見えてくる。それに気づかせてくれるのもフィクションの効用だ。

「多喜二は治安維持法が成立したタイミングで活躍し始めた作家です。彼が『一九二八年三月十五日』という小説を書いたことで、特高が何をしているのかが明るみになった。と同時に、それが特高の恨みを買う原因にもなってしまうのですが」

 多喜二を罠に陥れようと暗躍する内務省のクロサキは、全話に登場するキーパーソンでもある。のどかさと不穏さが入り交じる危うい空気の中で、物語は小さな希望を灯して終わる。
 続く「叛徒」は川柳作家・鶴彬を巡る短編だ。「手と足をもいだ丸太にしてかえし」など苛烈な作風で知られる鶴を巡って、特高と憲兵の駆け引きが繰り広げられていく。

「『叛徒』は形式的には特高と憲兵がただ会話をしているだけの短編ですが、読者を飽きさせない工夫を随所に凝らしています。今の時代から見ると憲兵と特高は混同されがちですが、昭和10年頃までは職域が明確に分けられていたんですね。両者の真ん中に鶴を立たせたら、面白い構造になるはずだ、と思いました」

 上官に質問をすることが「事件」となった時代、思うがままを口にして特高から目をつけられていた鶴。では憲兵が彼を付け狙う目的とは?
 緊張感みなぎる会話劇から、敗戦へと突き進む当時の社会情勢も見えてくる。謀反を起こす叛徒は誰なのか? 「文化人は勲章でも与えておけばしっぽを振ってついてくる」。クロサキの痛烈な皮肉の先には、苦い結末が待ち受けている。

未来を取り締まる法律は常に危険をはらんでいる

 3話目「虐殺」は同業者が次々に消えていく事態に怯える編集者が、友人である男に助けを求めるところから幕が開く。

「これは大規模な言論弾圧事件として知られた横浜事件を題材にしています。当初は弾圧に屈せずリベラルな雑誌を作り続けていた編集者たちを構想して『連帯』というタイトルで書く予定だったのですが、調べていくほどに実はそうではなかった、という事実が見えてきたんですね。では、なぜ彼らは身に覚えのない罪で投獄されたのか? その謎めいた構造をミステリー的手法で浮かび上がらせた結果、『虐殺』というタイトルになりました。彼らは戦わなかったからこそ、こんな形で事件に巻き込まれたとも言える。けれどももしも真っ向から戦っていたら、また違う展開があったかもしれない。これまで書いてきた小説の中で、この短編が最も自分でも意表を突かれた展開になったかもしれません」

 真実かどうかは重要ではない。点と点を力技で繋げてしまえば、罪はいくらでも捏造できる。反知性主義に裏打ちされた治安維持法の持つ暴力性が、ここでも丹念に描かれる。

「治安維持法は予防拘禁、つまり犯罪を起こしそうだから逮捕するという法律でした。けれども法とは起きたことに対して設定されるものであり、未来を法律で縛ることは近代法の概念から外れる。未来を取り締まる法律は、常に暴走する危険をはらんでいます。今の日本では共謀罪がそれに当たるでしょう。異なる時代を舞台にしても、書き手が今の時代をどう見ているかは、常に作品に映し出されるものだと思います」

 最終話「矜恃」ではスポットが当てられるのは三木清。京都帝大を卒業後、渡欧してハイデガーに師事。帰国後は文壇で華々しく活躍していたはずの三木がなぜ獄中に送られたのか。彼に密かに焦がれてきた意外な人物の視点から、その天才性と波乱の半生が語られていく。

「三木清という人間の複雑さ、思想の深さについては、高校生のときに著作を読んだときからずっと個人的な思い入れがありまして。傲慢かもしれませんが、私が小説に書くことで、三木をもう一度光の中に出すことができたら、という思いもありました」

『幸福を武器として闘う者のみが斃れてもなお幸福である』。巻頭に記されたエピグラフは、すべての〈敗れざる者〉たちへの思いを込めて三木の著作から引用した。

「逮捕され、拷問をうけて悲惨な死を遂げた。それは事実ですが、彼らの人生はそれだけではなかった。獄中に送られるその前まで、あるいは獄中でなお、彼らは国家が恐れるほどにキラキラと輝きを放つ存在だったんです。彼らはそこで、確かに生きていた。そして大日本帝国が滅んでも、多喜二や鶴、三木の業績や生きた証は滅んでいない。司馬遼太郎が小説に書いたことで坂本龍馬がヒーローになったように、私が書くことでヒーローとしての小林多喜二や三木清を提示できたら嬉しい。そんなヒーロー像を書くこともまた、小説家の仕事だと思っています」

取材・文:阿部花恵 写真:川口宗道