初めてのエッセイ連載に挑んだ和牛、2年8カ月分の“思い”が単行本に!『和牛の一歩ずつ、一歩ずつ。』試し読み連載もスタート! 和牛インタビュー

文芸・カルチャー

公開日:2021/3/15

 大人気漫才コンビ・和牛の水田信二と川西賢志郎。2人が2018年春から1カ月交代で執筆してきた雑誌『ダ・ヴィンチ』での連載「和牛の一歩ずつ、一歩ずつ。」の単行本が3月1日に発売された。刊行を記念して『ダ・ヴィンチ』4月号に2人のインタビューを掲載。この記事では、連載期間中の思いや、漫才師としての“いま”についてなど、本誌には掲載しきれなかったエピソードを含めご紹介します!

――これまで、どんな思いで連載と向き合ってきましたか?

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川西 「何を書いたらええんかな」って毎回手探りです。読者のみなさんに、初々しさを楽しんでもらえたらいいなって思って書いてきました。

水田 連載があると、漫才を書くのとは違う視点で物事を考える機会が定期的にやってくる。それがありがたいですね。ただ、ちゃんと締め切りを守れるような人間じゃないので、その都度苦しみましたけど。

川西 まるで自分が被害者みたいな言い方やん(笑)。

水田 原稿を書くときは「これ以上はっきり書くと怒る人もいるやろな」「でも、伝わらないと意味がないし」みたいな、さじ加減を意識しています。

川西 水田くんは、自分の信念や考え方で、人から「変わってるな」と思われるようなことを書いてクスッと笑わせるスタイルやけど、僕は微笑ましさとかほっこりする感じで笑ってもらえたらええなって感じ。連載が始まってしばらくして「自分の文章って“ちびまる子ちゃん”みたいやな」って思った(笑)。

――エッセイ連載を始めてから、生活に変化はありましたか?

川西 連載を始めてから「次はこんなこと書けるかな」っていうスマホのメモが増えました。原稿もスマホで書いていて、いくつかの文章を貼り合わせて仕上げているので、自然とスマホ内にメモが増えましたね。

水田 僕はカフェに行く機会が増えました。エッセイとか書く人はおしゃれな場所で書いているイメージがあったので、カフェのテラス席に行って原稿を書こうかなって。でも、たいてい何も思い浮かばなくて、人がいない近所の公園で、買ってきたコーヒーを飲みながらスマホで原稿を書いてました。

川西 そういえば水田くん、コロナ自粛になってから、よく公園に行ってたよね。この前、水炊きしたって言うてなかった?

水田 家で作って、ほかほかの状態で公園に鍋ごと持っていって後輩芸人と食べた。換気の心配もないし、ソーシャルディスタンスも取れるので(笑)。

 今年1月に、漫才の聖地・なんばグランド花月でトリを務めた2人。漫才の実力は折り紙付きだ。昨年来、コロナ禍で活動が制限されることもあったなか、2人がいかにモチベーションを保ち、漫才とどう向き合っているのかを聞いてみた。

――ずばり、いま現在の芸人活動への思いをお聞かせください。

水田 コロナの影響で劇場の入場制限があったりしましたけど、モチベーションが落ちることはなかったですね。

川西 駆け出しの頃出演していたインディーズライブは、お客さんが10人いれば上々みたいな感じだったので、お客さんの入りはあんまり気になりませんでした。お客さんが少ない日って“限られた人数で笑いを共有できた”みたいな感覚も生まれます。だから完全に劇場が閉まらない限り、楽しみ方はいくらでもあるんです。

水田 劇場に来るお客さんは笑いたいから来てくれるので、こっちも笑わせることだけを考えて、いままで通りやるだけです。

――最後に、あらためまして書籍『和牛の一歩ずつ、一歩ずつ。』が、今後のお2人にとってどんな存在になりそうかを聞かせてください。

川西 文章って完全な一人の仕事ですよね。だから、この本を読めばダイレクトに僕らを知ってもらえると思っています。

水田 本や連載をきっかけに、劇場に僕らを見に来てくれる人がいたらうれしいですね。「テレビで見たことないけど、エッセイが面白いから漫才見てみよう」って思われたらええなって。

取材・文:澤井 一 写真:網中健太
ヘアメイク:石神あずさ スタイリング:神山トモヒロ

わぎゅう●ボケ担当の水田信二(写真左)、ツッコミ担当の川西賢志郎(写真右)によって2006年に結成された漫才コンビ。水田の独特な視点を生かしたネタが“へりくつ漫才”と称されて話題になり、16年、17年、18年にM‐1グランプリで3年連続準優勝という大記録を残した。ネタの完成度に定評があり「チケットが取れない芸人」との呼び声も高い。

『和牛の一歩ずつ、一歩ずつ。』
試し読み連載始まります。こちらからどうぞ!