凪良ゆう「ブレることが、BL時代を含めた私の作風」『滅びの前のシャングリラ』発表までの苦悩とは?

小説・エッセイ

公開日:2021/4/10

本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』5月号からの転載です

凪良ゆうさん

 彗星のごとく現れた、とはこのことだ。2019年8月に刊行された『流浪の月』が第17回(20年)本屋大賞を受賞し、凪良ゆうは一躍、最注目の存在となった。しかし、彼女はこの1冊をもって突然世に現れたわけではない。BL作家として、10年以上のキャリアを積んできた。過去を武器に未来を切り開いた、その道のりの全てを語る。

 2006年にBL小説誌で中編「恋するエゴイスト」を発表し、翌07年に文庫刊行した『花嫁はマリッジブルー』で本格デビュー。その後、著作が年間ランキング本(『このBLがやばい!』内のコーナー「BL小説ザベスト」)で1位を獲得するなど、凪良ゆうはBL小説界のトップランナーとして活動してきた。BLの著書は実に、43作にも及ぶ(デビュー作の電子出版本を合わせると44作!)。

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「さっき著作リストをいただいて、自分でもびっくりしています。BLはとにかく冊数を出さなければ、編集さんにも読者さんにも“書けない”とみなされて存在が忘れられてしまう。月に1冊出してる作家さんもいらっしゃるので、BLの中では、私は寡作の方ではあると思うんです。でも、よくよく考えたら私も、新装版も入れると年に8冊出したことがありました(笑)」

 そんな彼女が一般文芸に進出して発表した3作目の小説が、本屋大賞を受賞した『流浪の月』(19年)だった。そこにはBLで培ってきた経験と技術、心細く震える個人と個人の関係性を見つめる視線の切実さが、ふんだんに注ぎ込まれていた。

「私自身の人生からBLでの経験から、これまでの全てが繋がって『流浪の月』が生まれたんだと思っています」

 まずは人生の部分を本人に掘り下げて語ってもらうと……「小説家になりたい」と思ったことは、一度もなかった。なりたかったのは、マンガ家だ。

「うちは3人姉妹なんですが、私もそうだし10歳上と5歳上の姉もマンガが大好“きでした。自分の趣味ではないなと思うマンガも、姉たちが買ってくるから片っ端から読んでいくうちに、マンガの奥深さを知りました。そうするうちに自分でもマンガを描くようになり、マンガ家になりたい、好きなことを仕事にしたいと思うようになったんです」

 氷室冴子の少女小説をきっかけに、小説を読むことも日常になっていたが、表現したいと思ったのはやはりマンガだった。『花とゆめ』に掲載されていた男性同士の恋愛もの、今でいうBL作品にも惹かれてはいたが、自分で描いたのは王道の少女マンガだ。

「中高生の頃は『マーガレット』にずっと投稿していましたが、片っ端から落とされました。投稿すると、原稿の返却と一緒に編集部からの真剣な評がついてくるんですね。最後に×(落選)をもらった作品は、高校の先生と生徒が恋をする話。他の男性との結婚式の当日に、先生がウェディングドレスのまま男の子のところに走ってくるっていう、べたべた展開を最後に描いたんですが、そこで男の子とくっつくわけではなくて、“大人なのに振り回してごめんね”と謝って、そのまま旦那さんのところに帰ってしまう(笑)。×と一緒に“無理がありすぎる。この女の気持ちがわからない。普通こんな展開にはなりません”と容赦なくダメ出しされた講評を見た時、心が折れてしまったんです。私には才能がないんだなと思って、10代半ばで諦めました」

 道が閉ざされたと感じた途端、無意識のうちにマンガから距離を取るようになってしまった。趣味の二次創作(こちらはボーイズラブ)でペンを握ることはあったが、時間を追うごとにそこからも少しずつ遠のき、あんなに好きだったマンガや小説を読むこともほとんどしなくなった。

「音楽と映画にハマっていました。滋賀から京都へ引っ越したのも、ライブハウスと映画館が近かったからなんです」

 そんなある日、インターネットで「最後にハマった小説」のニュースを見つける。

「田中芳樹さんの『銀河英雄伝説』です。“昔これ大好きだった!”と思いながら記事をつらつら読んでいるうちに、大好きだった気持ちがブワッと蘇ってきて、昔やっていたような二次創作をしたくなったんです。ただ、マンガは10年以上描いていなかったから、ちょっと手を動かしてはみたもののまともに絵が描けず、これはダメだなと分かりました。だけど表現は何かしらしたかったから、マンガのかわりに小説を書き始めたんです」

 小説を書いたのはこの時が人生初だったが、一発でハマった。

「当時はまだ結婚していて専業主婦だったんですが、書くことがめちゃくちゃ面白くて、家事を一切しなくなっちゃったんです。ある時さすがに怒られて、“そんなに書くのが好きだったら、プロになれば?”と。向こうからすれば時間と労力をせめてお金に換えろ、と喧嘩腰なところもちょっとあったと思うんですが、私としては“そうか、プロになったら1日中書いてもいいんだ!”と(笑)。二次創作で書いていたものは男性同士の恋愛ものだったので、当時たくさん出ていたBL雑誌を調べて投稿先を決め、初めてオリジナル小説を書きました。3作目で賞をいただき、プロとして一歩を踏み出すことになったんです」

黒さと白さ(甘さ)を少しずつミックス

 デビュー直後は、苦しい時期が続いた。書きたいと感じているものと、書かせてもらえるもののギャップが大きすぎたのだ。

「当時、BLでは花嫁ものが流行っていました。最初の本(『花嫁はマリッジブルー』)は花嫁というお題と、タイトルにもその二文字を入れるという縛りがあったんですが、“男性同士で結婚!?”と。編集さんからは“BLなので明確なハッピーエンドが必須。ほわっとしたあいまいなハッピーエンドでは困ります”とも言われました。そうか、そういう世界なんだ、と……。もともと私が熱心に小説やマンガを読んでいた頃は、男性同士の創作物の世界はJUNE(ジュネ)と呼ばれていたんです。10年以上ブランクが空いて戻ってきたら、呼び名がJUNEからBL(ボーイズラブ)に変わっていた。呼び名が変わっただけではなくて、甘い世界になっていたんですよね。男性同士が恋愛をしていたら現実に起こり得る、厳しいこととか辛いこととかはほぼ書かれなくなっていたんです」

 凪良にとって小説を書くことは、「登場人物たちの心情に寄り添いつつ、自分の心の内側を整理する」という行為でもある。

「書いていることはあくまでも登場人物の心情であり彼らが使う言葉なのに、私自身の心の中で散らかっていたものの仕舞い場所がすーっと分かっていく感じがするんです。でも、シリアスなものが締め出された世界では、そういう作業をすることができない。1冊目は何とか頑張って書いたんですが、その調子でずっと続けていたら、私はすぐダメになっていたと思います」

 しかし、幸運が訪れる。デビュー作を刊行したレーベルが、「BLACK」をその名に冠した兄弟レーベルを立ち上げることになったのだ。第2作『恋愛犯〜LOVE HOLIC〜』(08年)は、そちらのレーベルから刊行された。

「編集さんに“シリアスなものが好きです”とずっと伝えていたら、“BLACKレーベルだったら、あなたの好きな重苦しいものも書いていいですよ”とゴーサインをいただけたんです。甘々だった花嫁ものの反動で、思いっきりえぐいストーカーの話を書きました(笑)」

 誰かを強く思い焦がれる苦しさ、思いが成就してしまうことの罪悪感や加害性、誰かと分かり合うことの途方もない難しさ……。男性同士の恋愛模様の中に、あらゆる人間関係に通ずる普遍性が宿っている。「2作目が本当のデビュー作だと思っています」と作家は言う。その後は2つのレーベルを掛け持ちし、「白さ(甘さ)」と「黒さ」を行ったり来たりしながらキャリアを重ねていった。そして、デビュー版元以外にも執筆の場を得るようになった11年、転機となる作品『真夜中クロニクル』を発表する。

「その本を書いた時に初めて、コメディだったら完全にコメディで甘め、シリアスだったらめちゃくちゃシリアス、というふうにパキッと“色分け”できないものを私、本当は書きたかったんだなと分かったんです。これをきっかけにだんだん“黒”と“白”がミックスされていくようになり、縛られていたものが解放されていくのを感じました。ありがたいことにどこのレーベルさんでも自由に書かせてもらえるようになって、ミステリーっぽいものもあれば伝奇ファンタジーやSF、熊に食い殺されるホラーまで、なんでもござれの作家になりました(笑)」

 一般文芸に進出後の凪良の作品群と、ダイレクトに呼応しているように感じられるのも、『真夜中クロニクル』からだ。18歳と11歳で出会ったひとりぼっちの2人が、26歳と19歳となり、ついに結ばれる。その瞬間の「好きだ。もうずっと昔から、俺にはお前だけだ」というセリフには、恋愛という関係性や感情、言葉に縛られない切実さが感じられるのだ。

「BLの中で私の作品は、恋愛色が薄いし、萌えが薄いようなんです。もやっとする言葉で今まで一番よく言われたのが、“うまいけど萌えがない”。私の小説は心情描写が分厚いので、丁寧に感情の流れが追えるぶん、隙がないみたいなんですよね。BLとしては落第、と言われることも少なくありませんでした。そういう反応もある一方で、『真夜中クロニクル』を出した頃から、読者さんがものすごく濃く応援してくれるのを感じるようになったんですよ。例えば、便箋1冊まるごと使って小説の感想をくださる方もいました。私が書いた小説を、自分の人生にとって本当に大切なものとして受け取ってくださる方がいる。読者さんがいなかったら、私はここまで書き続けることはできなかったと思います」

家族で一緒にいるよりも他人同士で一緒にいる方が

 BLを書くことは、楽しかった。自分の内奥と繋がる切実さも、作品の中に滑り込ませることができていた。しかし、「男性同士の恋愛を描くこと」「明確なハッピーエンドであること」というBL特有のルールは、想像力を縛るものでもある。そんな中、講談社の文庫レーベル「講談社タイガ」から執筆依頼を受けた。書き下ろした小説のタイトルは、『神さまのビオトープ』(17年)。一般文芸への初進出となった本作は、全4編の「連作ミステリー」という新境地に挑みながら、BLで培ってきたエッセンスが詰め込まれている。

「一般で書かせてもらうなんて、これが最初で最後だろうと思ったんです。だったら後悔しないように、持ち球は全部投げるぞという感覚でした。まず、恋愛ものはBLで10年以上書いてきた蓄積があるので、その要素は入れつつもBLでは書けない愛の形を書こうと思い、生者と死者という主人公カップルの設定を決めました。私の中にあるなけなしのミステリーっぽさをかき集めて1編目を書き、2編目のロボットが出てくる話は、BLで書いた『ショートケーキの苺にはさわらないで』(15年)と『2119 9 29』(17年)というアンドロイドもののエッセンスを持ってきている。それから、自分はBLでこれまで何を書いてきたかというと、男性の同性愛者というマイノリティについて描いてきたんですよね。そうした蓄積が如実に反映されているのは、3編目だと思います。4編目はBLの『美しい彼』(14年)がベースになっている、と言える。それまで自分がBLで書いてきた中で、これは面白いと思ったり切実だと感じたことを、この1冊に全部入れたんです」

 主人公のうる波は、4つの事件の後でこう思う。〈もともと幸福にも不幸にも、決まった形などないのだから〉。その先に現れる決断は、率直に言って、度肝を抜かれるものだ。と同時に、ここから凪良ゆうの第2章が始まったとも思うのだ。

「ハッピーかアンハッピーかは見方によって変わる、曖昧でグレーな終わり方にすることは、最初から決めていました。一般で書くものであれば、それができる、してもいいはずだ、と……。間違った存在として居続ける、世の中が突きつけてくる型からはみ出し続けることを選ぶ、うる波の決断は、のちに書く『流浪の月』での更紗の決断にも通じるんだろうなと思います。そういう人が、私は好きなんだと思うんです。彼女たちの強さに、憧れがあるんだと思う」

 BLも書き続けながら、一般文芸で発表した第2作が『すみれ荘ファミリア』(18年)だ。まかない付きのおんぼろ下宿で繰り広げられる群像ストーリーは、『神さまのビオトープ』でも描かれていたモチーフがより膨らんでいった印象がある。先回りして言うならば、凪良が一般文芸で発表してきた作品群は恋愛の代わりに、そのモチーフがクローズアップされている。それは、家族だ。そして、家族以外の人間との間で繋がる、疑似家族的な関係性だ。

「一般で書かせてもらった作品は、家族で一緒にいるよりも他人同士で一緒にいる方が生きやすい、というテーマは一貫しているような気がします。家族って、私にとっては怖いものなんです。ニュースを見ていると、身内絡みの事件が本当に多いですよね。身内って離れようと思ってもなかなか離れられないから、関係が煮詰まっていくしかないのかもしれない。つい最近も子供の自殺が増えているというニュースがありましたが、コロナ禍のせいで家族がみんなおんなじ家の中にいるからではないのか、と想像したりしました。コロナ禍の今だからこそ家族の絆が……と声を上げるのもいいんですが、その意見をあんまりフィーチャーしてしまうと、その中に入れない人たちが悲鳴すらあげられなくなってしまうし、悲鳴も耳に届かなくなってしまう。家族というものは、声高にいいものだって言わないほうがいいと私は思うんです」

 社会学では、家族には2形態しかないとされる。生まれ育った家族を指す「定位家族」と、男女が結婚し子供をもうけて作る「生殖家族」だ。しかし、現代社会において、家族の種類はもっともっと多様化しているのではないか? BLも含めた凪良の作品群は、そのことを描き続けているようにも感じる。

「そこは私自身の人生が、色濃く出ている部分でもあるんだと思います。うちはもともと母子家庭だったんですが、私が小学校4年か5年ぐらいの時に母親が出奔して、私はその後ずっと児童養護施設で育っているんです。子供のころから、周りは他人ばっかりでした。自分自身が社会学的な家族という輪の外で育ってきている人間なので、そこを否定されてしまうと、私はこの世界にいてはいけない人なのかなとか思ってしまうじゃないですか。でも、そんなことはないので。普通に私も存在しているし、他人同士の暮らしの中で誰かとくっついて離れて、別の誰かとくっついて離れて……と、点、点、点で繋がって今の自分ができている。考えてみれば、私はそういうことをずっと書いてるんだろうなと思います」

凪良ゆうさん

極限状態の中だから書けた「ごく普通」の幸せ

「作家としての自分には両手があるんですが、BLは右手だけで書く感じでした。一般は、両手で書く感じなんです。両手を使わなければ登れない壁も、一般で書くならば登れる」

 一般文芸では初となる単行本刊行作『流浪の月』は、9歳の少女・更紗と19歳の青年・文の物語だ。世間は2人の同居生活を「誘拐」と決めつけ騒いだが─。15年後の再会で、2人は自分たちの関係を問い直す。

「BLで昔『あいのはなし』(13年)という話を書いたんですが、それは男性2人の、少年時代の“誘拐”と大人になってからの再会の話でした。ただ、BLは恋愛がテーマのジャンルなので、自分の本当に書きたかったものが書けなかったという心残りがあったんです。東京創元社さんから“単行本で勝負作を”というお話をもらった時、『あいのはなし』をベースにした物語を書き切ってみたいと思いました。私は、『流浪の月』は“2人の物語”ではなくて、“1人と1人の物語”だと思っています。世の中に2人の関係を受け入れてもらうか受け入れてもらえないかという悩みは、とうの昔に通り過ぎている。更紗も1人で立ってるし、文も1人で立っている。1人ずつが一緒にいる、言ってしまえばただそれだけの話なんです」

 同年末に一般文芸で刊行された『わたしの美しい庭』は、編集者の意向を汲み「白さ」を意識した作品となった。しかし、登場人物たちが抱える「マイノリティ」としての痛みはこれまで同様、切実だ。例えば、第一編「あの稲妻」の主人公・桃子は、22年前に事故で亡くなった初めての恋人のことを、今もずっと好きで忘れられずにいる。その可能性に思いを馳せることができないある人は、事情を何も知らぬまま「いくらなんでも、そんなおめでたい女がいるわけないでしょ」と言う。それは、無自覚な暴力だ。あなたのすぐ隣にいるかもしれない、とこの小説は小さく叫ぶ。

「気軽に“そんな人いないよ”と口にした言葉によって、傷ついてしまう人がいる。その人はきっと傷つけられたということは自分からは言わず、ただ静かに去っていくだけだと思うんですね。作中で“穏やかな断絶”と表現したのは、そういう意味でした。みんながみんなと仲よくできるなんてことは絶対ないので、それでいいとは思うんですよ。でも、去られる側は本当にそれでいいのか、悲しくないのか。そうやって世界が細かく細かく分断されていくことを、どうやって止めることができるのか考えながら、『わたしの美しい庭』の終盤を書いていきました」

 そして現在までの最新作が、『滅びの前のシャングリラ』(20年)だ。1カ月後に地球が滅亡することが決定づけられた世界で、人々が何を選び誰を愛すかを描き出す。

「ノストラダムス世代なので、地球滅亡ものはいつか挑戦したかったんです。文体もできるだけ軽めに、エンターテインメントを意識して書いていきました。それまでの作品は他人同士の暮らしがテーマだったんですが、この作品ではほぼ身内でがちっと固まっています。もしも平和な世界のままだったら、あの家族は、家族にはならなかった。極限状態の中だったからこそ、家族の姿を真正面に近い視点から書けたんです。お話の設定自体は大きいんですが、書いている内容はごく普通の家族のことなんですよ。ごく普通の家族の中にあるごく普通の幸せに、この作品で初めて、ちょこっと触れることができました」

 実は、『流浪の月』は賛否両論にさらされ、『滅びの前のシャングリラ』は多くの人にすんなり受け入れられる……と想像していたそうだ。現実は、逆だった。

「『流浪〜』のイメージを持っている方にとっては、『シャングリラ〜』は劇薬すぎたようなんです。小説って本当に難しいなと思い、去年の前半あたりはほんのちょっと、挫けそうになりました(苦笑)。でも、こんなふうに作風がブレることが、BL時代を含めた私の作風なんですよね。一般でもっと作品を書いていくうちに、ゆっくりかもしれないけれど、読者さんも受け入れてくれるような気がするんです。そのためにも、そろそろ新しい長編に取り掛かりたい。次は自分にとっては初めて、男女のオーソドックスな恋愛の話を書く予定です。オーソドックスなものだからこそ、楽しんでもらうには筆力がいる、必死で頑張らなければと思っています」

 新作に挑む際は怖い、と言う。それでも挑むのは、小説を書くことは、自分が選んだ人生を生きる、ということだからだ。

「小説を書いている時は私、ダメ人間になるんです。小説の世界の中にがっつり入り込むと、なかなか出られないし、出たくなくなってしまう。ご飯は茶漬けで済ませて、1カ月に2回ぐらいしか人と会わなくなるんです。“孤独な人だね”みたいなあわれみの目で見られることが結構多いんですけど、そうじゃないと小説が書けないんだったら、じゃあもう私はかわいそうな人でいいですって感じです(笑)。だって、書くことは苦しいことでもあるけど楽しいし、生きてるって実感できるんですよ」

凪良ゆう
なぎら・ゆう●滋賀県生まれ。2006年、「小説花丸」に「恋するエゴイスト」が掲載されデビュー。以降、各社でBL作品を刊行。17年、一般文芸に初進出した非BL作品『神さまのビオトープ』を刊行。20年、『流浪の月』で本屋大賞を受賞する。21年、最新作『滅びの前のシャングリラ』が「キノベス!」1位を獲得。

取材・文:吉田大助 写真:山口宏之

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