“お母さん像を崩していきたい” ブルーの「赤兎馬」は、カップやきそばにも高級料理にも合う包容力。小説家・本谷有希子さんインタビュー

文芸・カルチャー

PR公開日:2022/4/28

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 長引く自粛生活の影響もあり、お酒の飲み方も変わりつつある今日このごろ。しかし、年齢や生活環境によっても、お酒とのつき合い方は変化するものだ。劇作家・演出家としてはもちろん、『異類婚姻譚』『嵐のピクニック』(ともに講談社)などで小説家としても活躍する本谷有希子さんも、「子どもが小さいときはセーブしていたので、今、お酒がよりおいしく感じます」と、お酒との関係の変化を語る。年齢や経験とともに、本谷さんがお酒に求めるようになったものとは? お話をうかがった。

(取材・文=三田ゆき 撮影=干川修)

飲食を描写すると、登場人物に血が通う

──本谷さんの作品には、ビールやワイン、ハイボールなど、いろいろなお酒が登場します。お酒はお好きですか?

本谷有希子(以下、本谷) 好きですね。夕方になると飲みたくなります。もともと劇団をやっていたので、若いころは本番があると毎日打ち上げに出て、お酒を飲んでいました。大人になってからは、そういった無茶な飲み方はしなくなりましたね。ビールやハイボールを経て、最近は「けっきょく焼酎のお湯割りだよね」というところに行き着いた感じです。

 作品中では、お酒に限らず飲食を描写することが多いのですが、それは作品中に登場する人物たちを立体的にするためです。芝居でも、ただ立って発語している役者よりも、食べたり飲んだりしている役者のほうがリアルに感じられますよね。飲食の情報が入ると、“キャラクター”から“人間”になっていくという感触があるんです。芥川賞をいただいた『異類婚姻譚』なんて、ほぼ全編、飲食しているシーンなんですよ。飲食を描写すると血が通っていく感じがありますし、外食のときになにを注文するか、家で晩酌をするならなにをアテにどんなお酒を飲む人なのかということは、社会的な肩書きを形容するよりも、ずっとその人のことを表している気がする。私自身が、彼らが飲み、食べるものを、その人物についての想像をふくらませるとっかかりにしているところもあります。

──「薩州 赤兎馬」の味わいは、どのような印象でしたか?

本谷 まずはじめに、飲みやすいと思いましたね。よくお酒の味わいについての表現で言う「口の中で広がる」って、こういうことだったのかと実感しました。口の中でふわっとふくらんで、そのまま舌の上を流れていって、体の中に落ちていく。おいしいな、飲みやすいなと素直に思いました。香りもすごくフルーティーで上品です。

──どんなお料理を合わせたいと思われますか?

本谷 実は、自宅で食事をしながら飲むことはあまりなくて。外食のときに焼酎のお湯割りを飲みたいなと思うのは、どんな料理でも合うからです。以前は、和食じゃないと焼酎に合わないと思っていたし、「このお店でこの食事が出てきた場合、焼酎って合うのかな?」「わかってないなって思われそう」などと考えてしまっていたのですが、最近は、洋食でもワインではなく焼酎で、一見合わなそうなものでも、ひとまず「焼酎のお湯割りで」って、なんの遠慮もなく楽しめるようになりました。一周回って「この人わかってる!」って思ってもらえているような気さえする(笑)。でも、そんなふうになれたのは、いろんな食事を経験してきたからですね。バーに入ったときや、焼酎がメニューに載っていないときでも、「お湯割り飲みたいんですけどないですか」って聞けば、意外と出てくるんですよ。

──組み合わせの妙を楽しまれているんですね。小説でも、『嵐のピクニック』あたりから作風が変わってきたように思いますが、「試してみる」「書いてみる」ということは、いつも心がけていらっしゃるのですか?

本谷 心がけているというよりは、同じことをやっていると飽きてしまう性分なんです。執筆中も、「これ、もうやったことある」「知ってる感じだ」と思ったとたん、書き続けられなくなってしまう。作品に対しては、「なにを入れ込めば自分の知らない感じになるか」ということを、常に探っている状態ですね。一方で、食事については案外保守的です。たとえば中華料理屋さんに入ると、チャーシュー麺と青菜炒め、チャーハンみたいな、お決まりの感じになっちゃう(笑)。最近は小さくリベラルになろうと思っていて、頼んだことがないものを注文してみることもあります。そうやって試したものが、そのまま定番になることもありますね。

 お酒についても、同じことが言えると思うんですよ。20代のころの自分が焼酎のお湯割りを飲んだとしても、今のように感じてはいないはず。小さいときは好きじゃなかった食べ物が、今はすごくおいしく食べられることってありますよね。煮物とか、昔は「こんなのお弁当に入ってなくていいよ」って感じだったのに、今は「味が染みてておいしいな」なんて言いながら真っ先に食べてる(笑)。焼酎のお湯割りも、自分が大人になったことで、しっくりくるようになったんでしょうね。味覚も、経験で変化するものなのだと思います。焼酎のお湯割りにたどり着くまでに私自身の経験が積み上げられていなければ、どんなにおいしいお酒でも、おいしいと思えなかったかもしれない。経験にともなって、小説観、芝居観、創作観も変わってきました。食事についての感性や、お酒に関する感覚も、変わってきたんだなと思いますね。

──心身ともに大人になると、やはり上質なものはいいなと思うようにもなりますね。

本谷 そうですね。最近は、繊細な味や味わいの奥深さなど、以前は感知できなかったことがわかるようになりました。食事はもちろん、エンタメもファッションも、派手ではなくても本当にいいものを選びたいなと思いますね。昔みたいに、表面的に「おいしい」と思うもの、「おもしろい」と思うものを受けつけなくなってきたんです。お酒だって、もう「酔えたらいい」というものじゃない。食事がおいしく感じられて、体にちゃんと染みていくものがいいなと思います。

 けっきょく「日々なにに触れているか」ということが、“自分”というものに表れてくる年齢になったということでしょうね。日々口にしているもの、接している人、触れている文化といったすべてが、自分自身や生き方に反映される。だから、変なものを入れたくないんですよ。とはいえ、高級志向になったわけではありません。昨日も家族で、地域の小さな定食屋さんに行ってね。そういうお店、大好きなんです(笑)。「薩州 赤兎馬」は、こんなお店のコロッケ定食にも合うだろうな、と思いながら食事をしました。いくらいいものだとしても、上質なものばかりになってはつまらない。そこにうまく大衆的なもの、みんなに浸透しているものを合わせていくのがおもしろいなと思います。お酒だって、「いいお魚にしか合わせません」となると、おもしろくないでしょ。お酒も作品も、「これとこれを組み合わせるの!?」っていうミスマッチなものを掛け合わせたときにこそ、奥深くなるような気がします。

包容力のある「薩州 赤兎馬 20度」のように、「お母さん」のイメージの幅を広げたい

──夏季限定、爽快感のある軽やかな青いボトルの「薩州 赤兎馬 20度」のお味はいかがでしたか。

本谷 寒い季節は焼酎もお湯割りで楽しんでいましたが、炭酸で割って飲みたい季節になってきました。「薩州 赤兎馬 20度」のように、すっきりさわやか、清涼感のある味わいは、気温の高い季節に合うな、もっと飲みたいなと思いました。香りにも、春夏っぽい季節感がありますね。季節の変わり目、あたたかくなってきて、植物のにおいが濃くなるときのような印象です。フルーティーで、よりふわっと広がっていく香りですね。黒いラベルに赤文字の定番「薩州 赤兎馬」がひとりでもじっくり楽しめるお酒だとすると、ブルーのボトルの「薩州 赤兎馬 20度」は、軽やかで飲みやすいし、アルコールも控えめなので、みんなで屋外で飲むのも楽しそうだなと思います。定番の「薩州 赤兎馬」と限定の「薩州 赤兎馬 20度」、どちらも家に常備しておきたいですね。

──華やかな香りと爽快な味わいの「薩州 赤兎馬 20度」。食べ物を合わせるなら、どんなものがいいでしょう?

本谷 そうだな、さっぱりと、ネギのたくさん乗った冷ややっことか……特別に用意するものじゃなくて、日々の食卓に載るようななんでもないものと合わせたときにおいしいお酒って、いいなと思います。創作をする上でも、たとえば小説の中に「めっちゃ」とか「マジ」といった現代口語的なものを入れ込めるかどうかで、作品の世界観の強度がわかると思うんですよ。書いている小説の中に、「めっちゃ」という言葉を入れたら軽薄になりそうだから使いたくない、そういった言葉を排除したいという気分になるときは、私の場合、知らないうちにシリアスな筋書きになっていたり、すごく感傷的な文章になっていたりするんです。でも、自分がふだん使っている言葉を入れられない、入れちゃうと成立しないような小説は、小説として弱いんじゃないかと思うようになりました。

 お酒も、どれだけのものと組み合わせることができるか、どれだけ包容力があるかというところが大切なのかなと思います。「高級料理じゃないと合いません」っていうお酒は、やっぱりそれほどの強度じゃないでしょう? 人間だってそうですよね。いかに他者や違う価値観を認められるかということが、私は大切だと思っています。その点、この「薩州 赤兎馬 20度」は、カップやきそばだって合うだろうなと思える包容力! 相手を選ばないお酒ですね(笑)。

──今後、お酒とどんなふうにつき合っていきたいと思われますか?

本谷 自分とお酒については「なるようになるかな」という感じです。今は自分のことよりも、娘が大人になったとき、どんなふうにお酒とつき合っていくだろうということのほうに興味がありますね。楽しくお酒を飲める大人になってほしいと思います。

 家で夕飯を作るときに、たまに料理をしながら一杯だけお酒を飲むんですよ。それを娘が見ているのって、すごくいいなと思っていて。自分の記憶を振り返ってみると、「“お母さん”はお酒を飲まないもの」というイメージがあるんですよね。そういう一般的な「お母さん像」を崩していきたくて、あえてそういう姿を見せていこうという部分もあります。青いボトルの「薩州 赤兎馬 20度」とカップやきそばの話をしましたが、それと同じだと思うんですよね。この特集記事で、どなたかが「すごく高級な食事と合います」と言ってくださって、一方で私が「カップやきそばとめちゃくちゃ合いそうですよ!」とか言っていると、読んでいる方は、気兼ねなく好きなものと組み合わせることができるじゃないですか(笑)。そういうのって、広がりがあっていいなと思います。

 子どもができてからは、自分だけがお酒を飲むのではなく、その光景を娘が見ているというところまで意識するようになりましたね。「それにも合うの!?」という楽しみを与えてくれる包容力の大きなお酒のように、お母さんがお酒を「楽しんで」いるところ、「楽しんで」家事をして、「楽しんで」日常生活を送っているという光景をいきたいなと思います。

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