舞台は警視庁刑事部から警察学校へ――吉川英梨『警視庁01教場』第1章までをまるごと試し読み#2

更新日:2023/11/30

警察小説を軸に新しい挑戦を続けるミステリー作家・よしかわ。その待望の新シリーズ『警視庁0ゼロ1ワン教場』(角川文庫)が、2023年11月24日(木)に発売となりました。
刊行を記念し、プロローグから第1章の終わりまでまるごと読める試し読みを掲載! 全4回の連載形式で毎日公開します。
気になる物語の冒頭をぜひお楽しみください!

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書き下ろし新シリーズ始動!
吉川英梨『警視庁01教場』大ボリューム試し読み#2

第一章 鉄仮面

 しおけいすけは顔のかゆさで目が覚めた。恋人の髪が塩見の頰をくすぐっている。シャンプーの甘い香りがした。手探りでスマホを取る。午前七時三十五分だった。
「やばい、寝坊だ!」
 布団から飛び起きた。歯ブラシをくわえてトイレに駆け込み、口をゆすぐついでに顔も洗った。タオルで顔をきながら、クローゼットを開けてスラックスを引っ張り出す。
「なあにもう、朝から騒がしいなー」
 恋人が布団の中でまどろんでいる。
「今日だけは絶対に遅刻しちゃいけないんだ」
 ワイシャツのボタンを閉めながら、ベッドサイドの引き出しを足の指で開けて、靴下をまさぐる。
「早く起きて、もう出るから」
「無理。まだ寝てたい」
 腰に白い腕が伸びてきた。ぎゅうっとしがみついてくる。
「どうせ遅刻でしょー。テキトーに言って半休取っちゃえばぁ?」
「ダメダメ。今日は一三三〇期の入校日なんだ! 死んでも警察学校に行く!」
 塩見はジャケットを羽織った。
「がんばれぇ、一三三〇期の塩見助教~」
 恋人がひらひらと手を振る。
「そういえば、教場名は?」
「甘粕教場だ!」

 官舎を出る。こうしゆう街道沿いにある、古びた団地風の建物だ。あじもとスタジアムを背に西へ走る。調ちようとびきゆうという地域だが、いくつかの交差点を過ぎて北へ曲がるころにはもうちゆうあさちように入っていた。
 警察学校が見えてきた。
 塩見は、警察学校の助教官をやっている。もう二期送り出して、それなりに助教官として経験は積んだと思っている。もともとは捜査一課の新米刑事だった。階級は巡査部長だ。ひとつ上の警部補への上司の推薦はもらっているが、指導者としての経験を積むため、警察学校に異動してきた。今日入学する一三三〇期の卒業と同時に、塩見は警部補昇任試験を受けて本部の捜査一課に戻る予定だった。
 警察学校の正門は全開だった。教官助教をはじめ、百人近くいる職員が出勤してくる時間帯だ。警察学校には常時、二千人近い警察官の卵たちが全寮制の学校で生活をしている。
 塩見は正門の目の前にある本館に飛び込んだ。教官室へ急ぐ。
「おはようございます!」
 紺色の警察制服を身に着けた指導者たちが集っていた。デスクに座り、書類をチェックしている教官、書類を運ぶ一般職員、統括係長に報告している主任教官などで、朝から活気があふれる。
 今日から塩見が担当する一三三〇期は全部で八教場ある。警察学校ではクラスのことを『教場』と呼ぶ。最近は、一組二組とかA組B組みたいに呼び分ける警察学校もあるようだが、警視庁の警察学校は担任教官の名前を冠してクラスを呼ぶ。
 塩見は、甘粕仁子教官が率いる甘粕教場の、助教官だ。
 甘粕仁子教官はすでにデスクに着いていた。声をかけようとして、背後からヘッドロックをくらう。
「おうい塩見、初日から社長出勤か!」
 背後の大男にぶるんぶるん体を揺さぶられる。
「す、すみません、たかすぎ助教」
「違う!」
「失礼しました、高杉教官!」
 ようやく太腿くらいありそうなごつい腕から逃れた。身長百八十六センチ、体重九十二キロの巨体が迫る。高杉てつというベテラン教官だ。もともと、海上自衛隊の自衛官だった。塩見は学生時代に逮捕術を習っていた。長らく助教官だったので、つい「高杉助教」と呼びたくなる。去年、警部補に昇任して警察学校を出た。所轄署の生活安全部にいたはずだが、「やっぱり警察学校の方が性に合う」とこの春に戻ってきた。
「今日から高杉教官だからな。塩見助教よ」
 しっかりマウントを取る様子はゴリラみたいだ。もう五十歳になるはずだが、若々しくて目も輝いていて、初めて会った六年前と変わらない。
「教官より遅く来ちゃだめだろう。教場時代の優等生はどうした。最近たるんでるんじゃないのか。変な女に引っ掛かったな」
 大笑いしながら高杉は教官室を出て行った。体も顔も大きいが声もでかい高杉に絡まれると、嵐に巻き込まれた気分になる。塩見は乱れたワイシャツとジャケットをぴんと引っ張った。ネクタイの襟元を引き締めながら、直属の上司の横に立つ。
「おはようございます! 甘粕教官」
 塩見は背筋を伸ばす。
「おはよう。今日からよろしくお願いします」
 甘粕教官は書類に目を落としたまま、答えた。塩見を振り返りもしない。確か彼女は、『仁子』という変わった名前だった。彼女も捜査一課にいた人だ。にこちゃんと呼ばれてかわいがられていたと古巣の同僚から聞いたことがある。ロングヘアの派手な女性だと聞いたが、いまはベリーショートで男性のような髪型をしていた。警察学校の女子学生たちの見本となるためだろう。学生たちには厳しい頭髪の規定がある。襟足を刈り上げた五分刈りを推奨され、女性警察官はショートカットが鉄則だ。髪を耳にかけてはいけない。しかも仁子はノーメイクのようだ。顔色があまりよくない。
 塩見は隣の自席に座る。
「いよいよ今日から始まりますね。一三三〇期。どんな学生たちが来ますかね。実は僕、高卒期を持つのは初めてなんです」
 塩見は大卒期だったから、半年間の修業で卒業配置についた。高卒期はカリキュラムが十か月間ある。卒業は来年の二月だ。
「甘粕教官は確か──」
「私は高卒期よ。十か月しごかれて現場に出た」
 そして二十四歳で刑事研修を終えて、二十六歳のときに本部捜査一課に呼ばれたと聞いた。優秀でやり手の女性だ。見当たり捜査員として活躍していた。去年のちょうどいまごろ、お台場で指名手配犯ともみ合って大けがをしなければ、いまでも仁子は現場の最前線で活躍していただろう。
 仁子は一週間も死線をさまよっていたらしい。半年以上入院し、リハビリを経て警察官に復帰した。刑事をやるにはまだ肉体的にも精神的にも厳しいだろう。体ならしとして、警察学校の教官を希望したそうだ。
 仁子とは二週間前の三月中旬に初対面を果たしている。学生たちの事前面談や、係決めなどがあるので、教官助教は学生たちの入校前から共に動き出す。塩見はまだ仁子と業務上の会話しかしたことがない。お台場の追跡時の状況を聞いてみたいが、まだそこまで親しくなってはいない。
 仁子が立ち上がったとき、A5の小さなノートが落ちた。
 塩見は呼び止め、ノートを拾った。甘粕教場の学生たちの顔写真が貼られた手作りのノートだった。顔の特徴やほくろ、傷の有無、身長や体格などが手書きで記されていた。学生の顔を早く覚えたいからだろうが、こんなものを作る教官を初めて見た。
「すごいですね、これ」
 無言でノートをひったくられた。
「見当たり捜査員時代のクセなんだ、こういうノートを作っちゃうの」
 仁子はノートを隠すように懐に忍ばせ、無理に口元だけで微笑んだ。やはり顔色は悪く、唇も色を失って乾いている。

(つづく)

作品紹介

警視庁01教場(角川文庫)
著者:吉川 英梨
発売日:2023年11月24日

多彩な人間ドラマ! 驚きをいくつも秘めている号泣教場小説!
甘粕仁子は見当たり捜査員だったが、犯人追跡中に大けがを負い戦線離脱。警察学校の教官になった。助教官の塩見とともに1330期の学生達を受け持つが、仁子の態度はどこかよそよそしい。やがて学生間のトラブルも頻発。塩見は、教官、助教官の密な連携が不可欠と感じる。そんな矢先、警察学校前で人の左脚が発見される。一体誰が何の目的で? 教場に暗雲が立ちこめる中、仁子が人知れず抱えていた秘密が明らかに――!

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