緊張の入校日。一三三〇期甘粕教場、始動――吉川英梨『警視庁01教場』第1章までをまるごと試し読み#3

更新日:2023/11/30

警察小説を軸に新しい挑戦を続けるミステリー作家・よしかわ。その待望の新シリーズ『警視庁0ゼロ1ワン教場』(角川文庫)が、2023年11月24日(木)に発売となりました。
刊行を記念し、プロローグから第1章の終わりまでまるごと読める試し読みを掲載! 全4回の連載形式で毎日公開します。
気になる物語の冒頭をぜひお楽しみください!

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書き下ろし新シリーズ始動!
吉川英梨『警視庁01教場』大ボリューム試し読み#3

 八時四十五分、閉ざされた校門の前に、塩見はデスクを並べた。高杉は両手に重ねられた椅子を八つも持って運んでいる。
 すでに校門の前には、リクルートスーツ姿の新入生が列を作っていた。
 正門の脇にある交番で立番をしていた警察官が、教官助教に挙手の敬礼をする。彼は学生だが、現場の交番の警察官と全く同じ活動服を着て、警察学校の警備にあたる。警察学校の敷地内にあるこの交番は、練習交番、略して練交と呼ばれる。
 仁子が椅子に座り、書類箱を開けた。塩見はそのデスクに『甘粕教場』と書かれた垂れ幕をセロテープで張り出した。仁子の脇に立つ。
「準備できたかー」
 高杉が、全部で十六人いる教官助教たちを見渡した。彼は教官になったばかりだが、指導者としてはベテランの最年長だから、一三三〇期の主任教官だ。仁子が無言なので、塩見が代わりに言う。
「甘粕教場、準備OKです」
 うし、と高杉はうなずいて声を張り上げた。
「練交当番! 校門を開けていいぞ!」
 三人いる練交当番のうちの二人が、校門を開ける。新任巡査たちがなだれ込んできた。自分の教場の列に我先にと並ぼうとする。高杉が声を張り上げた。
「ここはセール会場じゃないんだぞ! 騒がず走らず、自教場の列に黙って並べ!」
 校門が開いた瞬間に走り出してしまうのは、なにかの条件反射だろうか。ついこの間まで高校生だったのだ。
「初々しいですね」
 塩見は腰をかがめて、隣に座る仁子に耳打ちした。同意の声はなかった。ちらりと塩見を見上げてはきたので、無視したわけではなさそうだ。えらく不愛想な人だ。
 甘粕教場の一番乗りは女警だった。もじもじしながらデスクの前に立つ。
「事前面談のときに教えた通りに名乗りなさい」
 仁子がぴしゃりと言った。思い出したか、女警はピンと背筋を伸ばした。
「一三三〇期甘粕教場、したです!」
「階級」
 美羽はきょとんとしている。仁子が塩見を見上げた。指導しろということだろう。塩見は後ろに並ぶ学生たちにも聞こえる声で、叫んだ。
「教官の前に来たら、期、教場名、氏名、それから階級を大きな声で言うこと!」
 目の前の美羽が言い直す。
「一三三〇期甘粕教場、真下美羽巡査です!」
 よし、と仁子が頷いた。口角も上がる。
「一番乗りだね」
 仁子の表情にほっとしたのか、美羽の口元も緩んだ。美羽は教場一、小柄だ。身長は採用下限ギリギリの百五十四センチしかなかった。ショートカットにノーメイクの顔を見ていると、中学生がリクルートスーツを着ているようにも見える。十か月後に交番に立たせるには不安な見てくれだが、鍛えていくしかない。
 仁子は任命書を出した。美羽の氏名と階級、日付が右側にあり、中央に大きな文字で『会計監査副場長に任命する』と記されている。左端には、仁子と塩見の氏名となついんがある。
 教場は四十人いて、それぞれに係が決められている。授業の準備をする授業係、柔道係や剣道係、体育係などの他、保健係や、卒業アルバム用の写真を撮る写真係もいる。
 係のうち、三役と呼ばれるのが、場長と二名の副場長だ。場長は教場の学生たちをまとめるリーダーだ。二人いる副場長は、教場の金銭管理をする会計監査と、当番の管理をする勤怠管理の二種類ある。採用試験で数学の点数がトップだった美羽に、会計監査副場長を任命した。
 仁子は寮の部屋を示した紙を渡した。場所を説明するが、美羽はあたりを見渡し、わかったようなわからないような顔だ。
「女子寮は学生棟のロビーを入って右手だ。入口に先輩期の学生が案内に立っている」
「はい、わかりました」
 走っていったが、やはり学生棟の前で右往左往している。
「副場長、ちょっと頼りないですね」
 小声で仁子に話しかけた。仁子はもう次の学生を相手していた。
「一三三〇期甘粕教場、かわれん巡査です!」
 彼は両親ともに警視庁警察官だという二世だ。事前面談では警察職務をよく理解していたし、組織のことや学校のこともわかっている様子だった。勤怠管理副場長に指名したが、猫背気味でふにゃふにゃしている。
 塩見は背後に立ち、背中をまっすぐにさせた。途端にぴんと腰があがり、背筋が伸びた。すると身長が塩見を超す。塩見は百八十センチちょうどだが、川野は百八十五センチくらいはありそうだ。
 書類を受け取ると、逃げるように学生棟へ走っていった。もう猫背になっている。手足の関節が外れたような変な走り方だった。
「なんだあいつは。こんにゃくか」
 隣の高杉が言った。塩見は笑ったが、仁子はくすりとも笑わなかった。次に前に出て名乗る学生を、仁子はにらみつけるように見上げていた。観察する目つきのようでもある。前髪、まゆと上から順に学生をチェックしているようだ。あれは指名手配犯を捜す、見当たり捜査員の目つきか。
 逃亡している犯人は整形をしている場合があるし、髪型は変化している。歳を重ねて印象が変わっている手配犯も多いから、見当たり捜査員は、人の顔をイメージではとらえないと聞いたことがある。しわや傷の有無、ほくろの位置、歯並びなどで本人かどうか断定する。仁子はそうやって人を認識するクセが抜けないのかもしれない。
 塩見は周囲の教場の様子を見た。昔は軍隊のように初日から厳しかったというが、最近の若者はすぐに逃げ出してしまうので、教官も助教も強くはあたらない。高杉の学生を見る目は優しく、右隣の教官もひようひようとしている。学生たちはほどよい緊張感の中で列に並んでいる。
 甘粕教場の列だけ緊迫していた。だらりと背筋が曲がっているのがいても、仁子の前に立った瞬間にみな硬直する。それほどに仁子の視線は厳しかった。
 仁子の前に、すらりとして背筋が伸びた、かんろくのある女警が立つ。
「一三三〇期甘粕教場、やまはる巡査です!」
 彼女は五十二キロ級の女子柔道選手だ。警視庁がスカウトしてきた。顔だちも整っているせいか、抜群のオーラがあった。だが髪の毛を耳にかけている。
「加山巡査。頭髪違反だ」
 仁子が自分の耳を指さした。小春は「えっ」と右耳を触る。
「ベリーショートにしてきましたけど」
「耳にかけてはダメ。学生棟の二階に床屋があるから、そこで今日中に髪を整えてきなさい」
「床屋って。美容院はないんですか」
「ない」
「男みたいな髪型にされるのは……」
 塩見は遮った。
「ここは警察学校だ。教官に逆らうな。女警で頭髪違反者はお前だけなんだぞ」
 小春は周囲をせわしなく見た。恥ずかしそうにうつむく。
 仁子が柔道係の任命書を読み上げている最中も、小春はずっと耳や髪を触っていた。根は真面目なのだろう。反省するだけでいいのに、自己嫌悪に陥ってしまうタイプだ。仁子はフォローする様子もなく、「次」と小春を手で追っ払った。
「一三三〇期甘粕教場、じまはる巡査です」
 独特なイントネーションだった。喜島はあま諸島にあるかいじま出身だ。沖縄県人のように顔が濃い。ニキビが頰に残って赤かった。警察学校本館の五階建ての建物を見上げ、圧倒されている。警視庁の始祖は、さつ藩出身のかわとしよしだ。警視庁の地方出身者の中で薩摩はやは多い。
「君は自治係ね。教場の巡査たちになにか異変があったら、すぐ知らせること」
 自信のなさそうな返事をして、喜島は学生棟へ行った。
「大丈夫ですかね、喜島」
 自治係は通称『チクリ係』だ。門限破りをしたり、違反品を学校に持ち込んだりした学生を見つけたら、すぐさま教官助教に報告する。学生が最も嫌がる係がこのチクリ係だが、見て見ぬふりができる人間にとってはラクな係でもある。
 ひときわ目立つ男が、甘粕教場の列の一番前に出た。
「一三三〇期甘粕教場、しばふう巡査です!」
 よく通るいい声だった。十五度腰を曲げ敬礼した。柴田は東京消防庁の元職員で、二年前まで消防車に乗って火消しをしていた。三か月間休職したのちに、退職した。一年間の休養の間に警視庁の採用試験を受け、今日、警察学校の校門をくぐった。甘粕教場最年長の二十五歳で、リーダーである場長だ。
 休職の原因がなんだったのかは、採用試験や面談の記録には残っていない。プライベートなことなので事前面談でも聞きづらい。仁子がくだろうと思っていたら、彼女は何も言わなかった。
「卒業までの十か月間、場長として教場をよろしく」
 仁子が任命書を渡した。柴田は、消防礼式にのつとり、任命書を受け取った。警察礼式とほぼ同じなので違和感はない。
「甘粕教場、全員が入校しました」
 仁子が主任教官の高杉に報告した。片付けを始める。塩見は声をかけた。
「全員が無事にそろいましたね。気になる学生はいましたか」
 塩見は柴田が気になる。プライベートなこととはいえ、なにが原因で消防を休職し、退職にいたったのか。原因は把握しておくべきではないかと思っていた。
「やはりそこがわからないと、現場に出すのは怖いですよね」
「そうですね。デスクの片付けを任せていいですか」
 塩見はちょっと答えに窮する。
「あ、ええ。もちろんです」
「学生棟へ様子を見に行ってきます」
 仁子は行ってしまった。他の教場の教官助教は、穏やかに雑談しながら片付けを始めていた。塩見は取り残された気分だ。
 高杉がれ馴れしく肩を組んできた。
「よう、警視庁25教場!」
「なんすかソレ」
『53教場』をまねているのだろう。きようすけという教官が率いていた教場のことだ。53教場は警察学校の伝説だ。高杉は長らく53教場で助教官を務めていた。塩見は53教場の出身者ではないが、五味からは刑事捜査を学んだ。退職危機もあったが、五味と高杉にずいぶんと助けてもらった。
 五味は去年の春に本部の捜査一課に戻っている。
「53教場は俺がつけたあだ名だからな。お前のところも」
「まさか、甘粕教官の名前からとってます?」
 にこ、だから25というわけだ。
「と思ったんだが、あれは本当に25、ニコニコ仁子ちゃんかぁ?」
 高杉が疑わし気に学生棟を振り返る。仁子が中へ入っていくのが見えた。
「愛想がねえ。ニコニコどころか、ありゃ鉄仮面だな」

 初日が無事終了した。学生たちに公務員の宣誓書類に署名なついんさせ、心構えを話し、学校内の施設を見学させた。午後は講堂に移動し、校歌である『警視庁警察学校府中校の歌』を練習させた。夕方には明日以降のスケジュールを確認し、早々に解散だ。
 学生たちは今日から学生棟にある各寮の部屋で生活する。寮は個室になっているが、物の置き場所は全て決まっていて、布団の畳み方やゴミの出し方にも厳格なルールがある。食堂やの利用方法についても覚えなくてはならない。
 二千人近い学生を収容できる学生棟は、迷路のようなつくりだ。あちこちに地図が張り出されているが、迷子になってしまう学生はいる。学生棟での細かいルール説明や指導は、先輩期の学生たちが行う。教官助教は、今日はもうお開きだ。
 塩見は一三三〇期の十六人の教官助教たちに呼びかけた。
「遅刻もトンズラもなく平和に一三三〇期のスタートを切ることができました。まずは一杯といきますか。十八時半から、飛田給駅前の居酒屋『しよく』を予約してます!」
 教官助教連中は大喜びだ。警察官は酒飲みが多い。みなそそくさと更衣室へ向かった。警察制服からスーツに着替える。
 高杉が人数を確認してきた。
「一人追加で、十七人は無理かな」
「どなたがいらっしゃいますか?」
「五味チャンだよ! 五味がいなきゃ始まらないだろ」
「五味さんは無理でしょう。いまや捜査一課の係長ですよ」
 係長の下には、五、六人編制の六つの班がある。各班が管内の捜査本部に散らばり、捜査にまいしんしている。係長は毎日捜査本部を回り、苦戦している捜査本部があれば自ら捜査に赴くこともある。
「相当に忙しいはずです。捜査一課の係長は警視庁一多忙と言われていますからね」
「やっぱ無理か……でも誘うだけでも」
 仁子が、驚いたような顔で話しかけてきた。
「五味さんて──もしかして、捜査一課六係の五味京介先輩のこと?」
「おー! ニコちゃん、五味のこと知ってんのか。捜査一課だったんだもんな」
 高杉はいきなりニコちゃん呼ばわりだ。仁子がとがめることはなかった。
「私が新米刑事だったころに指導してくれたのが、五味先輩なんです」
「そーかそーか。それならニコちゃんも53教場の仲間だな」
 高杉が仁子に53教場の意味を教えている。
「連絡だけでもしてみましょうか」
 塩見はスマホを出し、五味に電話をかけようとした。仁子が慌てて止める。
「五味先輩は忙しいだろうし、私は飲み会に行かないから」
「えー。ニコちゃん来ないの」
 高杉が口をとがらせる。
「ごめんなさい、用事があるので」
 仁子は逃げるように教官室を出て行った。

(つづく)

作品紹介

警視庁01教場(角川文庫)
著者:吉川 英梨
発売日:2023年11月24日

多彩な人間ドラマ! 驚きをいくつも秘めている号泣教場小説!
甘粕仁子は見当たり捜査員だったが、犯人追跡中に大けがを負い戦線離脱。警察学校の教官になった。助教官の塩見とともに1330期の学生達を受け持つが、仁子の態度はどこかよそよそしい。やがて学生間のトラブルも頻発。塩見は、教官、助教官の密な連携が不可欠と感じる。そんな矢先、警察学校前で人の左脚が発見される。一体誰が何の目的で? 教場に暗雲が立ちこめる中、仁子が人知れず抱えていた秘密が明らかに――!

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