歴史小説シリーズ第3弾の舞台は平安時代 『はなとゆめ』冲方 丁

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2013/11/6

 前2作で江戸の武士の世界を描いてきた冲方丁さんが新作の題材に選んだのは、なんと平安朝の女流作家・清少納言。今なら「いいね!」の嵐を獲得しそうな元祖ブロガーが、屈指の名作随筆『枕草子』を生んだ背景には、ある傑出した女主人との出会いがあった。現代人の共感をも呼ぶその理想的な主従関係とは。

うぶかた・とう●1977年、岐阜県生まれ。96年に『黒い季節』で第1回スニーカー大賞金賞を受賞しデビュー。2003年『マルドゥック・スクランブル』で第24回日本SF大賞、10年『天地明察』で第31回吉川英治文学新人賞、第7回本屋大賞など、12年に『光圀伝』で第3回山田風太郎賞を受賞。著作多数。

清少納言って
こんな人だったの?

 春はあけぼの。

 やうやう白くなりゆく山際、少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。

 

 日本人なら誰しも目にしたことがあるだろう『枕草子』冒頭の一文だ。夜が明けはじめた時刻の、ほんの一瞬の美しさをここまで鮮やかに切り取った名文を他に知らない。

 情景描写の最高峰ともいうべきこのセンテンスをものした清少納言という女性は、一体どんな人物だったのだろうか。

「そうですねえ……。今の言葉で表現するなら、バツイチ子持ちのネガティブ女といったところでしょうか」

 新刊『はなとゆめ』で清少納言の半生を描いた冲方丁さんは、文学史上に燦然と輝く女流作家の素顔をこう表現した。

「なんだか意外ですよね。清少納言なんて今の目で見れば才能の塊みたいな女性ですが、書き残したものを精読すると、宮廷に出仕するまでの彼女というのは、なんというかこう……うずくまって『私なんてどうせこのまま一生を終えるのよ』といじけて生きていたような、そんな印象があるのです」

 清少納言が最初の夫である橘則光を通わせるようになったのは10代半ばを過ぎた頃、当時としては適齢期だ。そして、すぐに則長という息子を授かる。だが、幸せな結婚生活は10年と続かなかった。

 子を夫に取られ、生活には困らないとはいえ無聊の日々を強いられた彼女にとって、唯一の楽しみは文や和歌を知人たちと交わすことだった。

 だが、そのやりとりが、彼女に思いがけぬ人生の転機を運んできたのだ。

「たとえるならば文はブログ、和歌はツイッターのようなもので、コミュニケーション・ツールとして欠かせませんでした。今でもネット経由で才能が発見されることがままありますが、当時も彼女の文章が口コミで伝わって、それが中宮定子に女房として仕えるという結果に繋がります。たとえるなら、アルファー・ブロガーとして有名になった家庭の主婦が、超一流企業の広報ウーマンに抜擢された、といえばイメージしやすいでしょうか」

愛が政治だった時代に生きた女たちの闘い

 平安文化が最高潮に達しようとしていた一条天皇の御代、宮中で何よりも求められていたのは後宮を華やかに彩る才能ある女性だった。

 彼女たちに期待されたのは、后である女主人とそのサロンを完璧に演出すること。

 今と違い、一人の天皇に複数の后がいた時代、天皇の愛を得て次代の天皇を産み、出身一族の地位を安泰にすることが后となる女性の最大の役目だった。狭い貴族社会において、“天皇の寵愛”というのはすでに政治だったのである。

「一条天皇の後宮において、それを完璧にやってのけたのが藤原定子という女性です」

 14歳で3歳年下の天皇の元に入内し、25歳という若さで死ぬまでの11年間、定子は一条天皇の愛を一身に集めた。

「一条天皇の愛が彼女にとっては人生の全てでした。だから、年下の男の子の心を捉えて離さぬよう、不退転の決意で臨んでいきます。その過程で彼女は特異な才能を発揮しました。人の持つ隠れた才能を見抜いて、開花させること。つまり、プロデューサー的な能力に秀でていたのです」

 そう、中宮定子は単なる深窓の姫君ではなかった。自身が持つ魅力をさらに増幅させてくれる人材を見抜き、育てる力を持っていたのである。

「『枕草子』を読むと、中宮定子がいかに周囲の人々の能力を伸ばしていくことに長けていたかがよくわかります。日常生活のなかで、その相手が得意とすることを見つけ、そっと背中を押してあげる。それを繰り返していくうちに、女房たちはどんどん成長していきました」

 小説にはこんなエピソードが取り上げられている。

 ある日、定子の御前に殿上人たちが集い、楽を奏していた。やがて日も暮れ、燭台に火が灯されたが、うっかり格子を下げ忘れていたために定子の姿が御簾越しにあらわになってしまったのである。当時、貴い身分の女性にとって姿を見られることは最大のタブーだ。

 だが、定子はまったく慌てず、持っていた琵琶を膝の上に立ててさり気なく顔を隠した。

 清少納言は、その仕草を見て白居易の漢詩の一節を思い出した。定子は、貴婦人としてのピンチを、有名な詩のワンシーンを再現することによって切り抜け、清少納言はそれを言葉にすることによって女主人の教養、機転、感性をその場の人々に知らしめたのである。

 主従の連携プレー、ここに極まれりだ。

「毎日こんなことをやっていたんだから、感心するしかないですよね(笑)。でも、こうして日常を一流の舞台のような高いレベルにまで仕上げ、宮廷の中心が誰であるのかを世間に知らしめるのが、彼女たちの仕事でした」

 一見優雅な場面は、女たちにとってはまさにしのぎを削る闘いの現場だったのだ。

 本作において、清少納言の回想という形で語られるのは、そんな彼女たちのたおやかだが強烈な想いの数々なのである。