国際アンデルセン賞〈作家賞〉受賞第一作 ――『鹿の王』刊行記念 特別対談 上橋菜穂子×夏川草介

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公開日:2014/10/6

希望とは絶望的な状況の中で決して絶望しないこと

夏川:昔からずっと考えているんですけど、神様って何だろうと。柳田國男が好きで民俗学というものから神様とは何かということを探ろうとしたこともあったんですが、いまいちピンとこなかった。自分の中の結論としては、人間を助けてくれて、極楽浄土に連れていってくれるような神様はいないとハッキリとドライにそう思っているところがあって。人も、木と同じようにある程度大きくなったら、そのまま枯れて消えていく。そういう自分が、救いを求めている患者さんに「天国に行けますよ」と言ったところでたぶん説得力がないだろうし、じゃあそれ以外に何を頼りにやっていけばいいんだろうと。だから上橋さんにお会いしたら、神様というのをどんなふうに考えていらっしゃるのか、ぜひ聞いてみたかったんです。

上橋:同じですよ、夏川さんと。人って、自分の人生がこれで良かったのか、それとも間違っていたのか。自分では判断できないところがあるんじゃないか。その時に絶対的な存在から「間違いなかった」「佳き人生だった」と言ってもらえたら安心して死を迎えられるんだろうなって。でもそういう人の気持ちに沿うような神というのは、私もどうも想像ができない。ただ、たとえば「亡くなったおばあちゃんが見ていてくれるよ」と言われれば、もしかしたらそういうことはあるかもしれないと思う。でも、実際に何が人を救っているのかといえば、やっぱり人ですよね。もし自分はひとりだと感じてしまったら、人は幸せと感じられないのではないかって。

夏川:僕も、今のところそれしか答えが見つからない。『神様のカルテ』の1巻でも書いているんですが、最後に患者さんの敵になるのは孤独なんです。ひとりだと思ってしまった時に手も足も出ないまま苦しんでいく人がたくさん出てくる。

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上橋:だからヴァンにはユナちゃんがついていないとダメなんですよ(笑)。『鹿の王』は、幸せは、ひとりではない、と思えたときに胸に湧き起こるものだと気づく物語であるのかもしれません。

夏川:あのおチビさんがヴァンの生きる原動力になっているんですね。『鹿の王』には絶望的な状況の中で何ができるのかということが描かれていて、しかもとんでもない能力を持った人は出てこない。ごく普通の人たちがそれぞれに積み上げていくんですね。絶望的なのに、決して絶望はしない。

上橋:容赦ない現実を突き付けるだけで終わってもいいのだけど、物語って「そうであってほしい」という願いを書くものだと私は思っているところがあって、夏川さんの『神様のカルテ』もそうですよね。つらい状況を描いているはずなのに何度もあの世界に戻りたくなるのは、その向こう側に、ものすごく明るい、あたたかいものが一緒にあるからだと思うんです。現実の向こう側にある願いを想像できなくなったら、人は不幸ですよ。どんな状況であれ、こうであったらいいなと祈り続けることが人の強さであり、書くことの意味かもしれないと思っています。

夏川:3年ぶりの長編ということですが、構想も3年ですか?

上橋:いえ、この前に8つくらい書きかけてはやめを繰り返していて。実はサエが主人公の話もあったんですけど。

夏川:えっ、そうなんですか。

上橋:アボリジニの犯罪者をアボリジニに追わせた、という話を、私の知り合いのおじいちゃんから聞いたことがあって。彼は優秀なトラッカーだったんです。狩人だから足跡を追うのが非常にうまいので。でも、同胞を追わねばならないというのはつらかったと。

夏川:恐ろしい話ですね。

上橋:ええ。それが頭にあって、サエを主人公にした話を書きはじめたけれど、どうしても書けなくて。

夏川:その話もいつかぜひ読みたいですけどね(笑)。

上橋:いやいや、それを言うなら夏川さん、砂山次郎が主人公の話を書いて! 大好きなんです、あの人。砂山ブレンドを、ぜひ飲みたいと思うくらいに(笑)。

取材・文=瀧 晴巳 写真=冨永智子

 

紙『鹿の王 上 生き残った者』

上橋菜穂子 KADOKAWA角川書店 1600円(税別)

帝国との戦いに敗れた〈独角〉のヴァンは奴隷に落とされ、岩塩鉱に囚われていた。ある夜、ひと群れの不思議な犬たちが岩塩鉱を襲い、謎の病が発生する。生き残ったヴァンは、同じく生き残りの幼い少女ユナを拾い、身を隠す。いっぽう、帝国では鷹狩の場が犬に襲われ、同じ病が発生。医術師ホッサルは治療に奔走する。謎の病はかつてオタワルを滅ぼした黒狼熱なのか。ふたりの運命が交差する時、見たこともない世界が眼前に現れる。
 

紙『鹿の王 下 還って行く者』

上橋菜穂子 KADOKAWA角川書店 1600円(税別)

なぜ同じ病で死ぬ者と生き残る者がいるのか。治療法をめぐり、さまざまな噂が飛び交うなか、それを国と国とのかけひきに利用しようとする者も現れる。謎の病から生き残ったヴァンだが、それ以来、体に不思議な変化が起こっていた。心と体が〈裏返る〉。感覚が獣のように研ぎ澄まされ、心ではなく体が感知する世界にそのまま没入していったら自分は一体どうなるのか。命とは何か。生きるとは何か。激しく美しい生と死の物語、完結編。
 

〈登場人物紹介〉
ヴァン
物語の主人公。強大な帝国に飲まれていく故郷を守るため〈独角〉の頭として戦ったが敗れ、アカファ岩塩鉱で奴隷となっていた時、不思議な犬の群れに襲われるが、九死に一生を得る。

ホッサル
物語のもうひとりの主人公。15歳でオタワル〈深学院〉の助教となり、現在は医術房の主幹。「魔神の御稚児」と呼ばれる名医。オタワルの医術とは考えが異なる、祭司医と対立する。

サエ
跡追い狩人の頭マルジの娘。跡追い狩人の中でも素晴らしい腕を持つ女性。その腕を見込まれ、岩塩鉱の生き残り、ヴァンとユナの追跡を命じられる。

ユナ
岩塩鉱でヴァンが拾った元気のいい幼子。犬に噛まれ、感染症にかかった者たちが死滅した岩塩鉱で屈強なヴァンだけでなく、なぜこの子が助かったのか。謎をはらんでいる。

トマ
北方のオキ地域に住む青年。怪我をして動けなかったところをヴァンに助けられる。これが縁となり、ヴァンは、オキに身を寄せ、飛鹿の飼育に手を焼く人々を助けることに。

トゥーリム
「アカファの生き字引」と言われるアカファ王の懐刀。今は東乎瑠帝国の属国となったアカファの進むべき道を模索している。

マコウカン
ホッサルの従者。再び発生した謎の病は、かつてオタワルを滅ぼした黒狼熱なのか、原因を究明しようとするホッサルに命じられ、サエとともにヴァンとユナを追跡する。

ミラル
ホッサルの助手で恋人。優秀な研究者として感染症を治療するための新薬の開発に奔走するとともに、姉さん女房的な懐の深さでホッサルを支える。

紙『神様のカルテ』

夏川草介 小学館文庫 552円(税別)

信州松本にある「24時間、365日対応」の本庄病院に勤務する内科医・栗原一止は激務の日々を送っている。かねて入院中の安曇さんは「手術不能」と診断され、大学病院に拒否されていた。地方医療の厳しい現実とそれを支える人々のあたたかさを描いたベストセラー。
 

紙『神様のカルテ2』

夏川草介 小学館文庫 657円(税別)

大学病院の医局からの誘いを断り、本庄病院に残ることにした一止。そんな折、一止とは大学の同窓生で「医学部の良心」と呼ばれた進藤辰也が東京から赴任してくる。しかし、進藤の評判は散々なものだった。失意の一止を新たな試練が襲う。深化する人気シリーズ第2弾。
 

紙『神様のカルテ3』

夏川草介 小学館文庫 714円(税別)

本庄病院に大狸先生の教え子で腕も確かな小幡先生が赴任してくる。しかし彼女は治ろうという意志のない患者は急患であっても診察しない。抗議する一止だが、彼女の医者としての覚悟を知り、自らの医師としての在り方に疑問を持ち始める。岐路に立つ人気シリーズ第3弾。