“関西の視聴率男”やしきたかじんの真実とは―ルーツ、コンプレックス、歌への想い

テレビ

公開日:2014/10/19

 今年1月3日、タレントで歌手のやしきたかじんが食道がんのため亡くなった。享年66歳だった。大阪での活動にこだわり続けたローカルタレントの代表格でありながら、その巧みなトークは関西のみならず全国の人々に知られているという、極めてまれな存在感を持つ芸能人だ。しかし一方で庶民的な感覚を売りにしながら、橋下徹が大阪府知事選に立候補するのを後押しするなど、関西政界のフィクサー的な役割を果たすなど、とらえどころのない人物でもあった。果たしてやしきたかじんとは一体何者だったのか。

 角岡伸彦『ゆめいらんかね やしきたかじん伝』(小学館)は、“関西の視聴率男”と呼ばれたたかじんの知られざる素顔を描いたノンフィクションである。

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 本書を読んで感じるのは、如何にたかじんが己の中にジレンマをかかえ、悩み苦しみながら生きてきたか、ということだ。

 例えば第1章「ルーツ」において明かされる彼の出自。

 たかじんは1945年、大阪市西成区に生まれる。かつて屠畜場があり、皮革産業で栄えた西成は、あらゆるマイノリティを吸収してきた下町である。たかじんの父親も、第二次世界大戦前後に朝鮮半島から大阪に渡ってきた在日韓国人であった。様々な背景を持った人間たちが暮らす町で、長屋に住むたかじんはそれこそ落語にでてくるような近所同士の交流と団欒の中で育ったと言う。著者は子供時代のたかじんの生活環境と、彼のタレント活動を結びつけてこう分析する。

「身近に起こったことを面白おかしく話すたかじんのしゃべくりは、テレビ・ラジオの視聴者やリスナー、コンサート会場の聴衆を魅了した。その原点は、さまざまな人びとが軒を接して暮らす西成の下町にあるのではないかと私は思った。」

 しかし、たかじんは芸能界に入ってから、西成や家族について周囲に語ることはなかった。時事問題や社会問題を題材にしたバラエティ番組で、自分をさらけ出して痛快なトークを繰り広げてきたたかじんも、日朝・日韓関係や在日コリアンに対する差別をテーマにした回で自分の出自については口にしていない。気の許せる友人にのみ「実は親父は韓国やねん」と泣きながら打ち明けるエピソードが書かれているが、自身の生まれというものに深く悩み、大きなコンプレックスを持っていたのかが良くわかる。

 第3章「タレント開眼」以降、繰り返し触れられる“歌手”か“タレント”か、という問題も、たかじんの抱えたジレンマのひとつである。

 中学2年生のとき、ラジオで聞いた洋楽に衝撃を受け音楽に目覚めたたかじんは、酒場の契約歌手を経て、1976年にレコードアルバムとシングル『ゆめいらんかね』を発売しデビューする。しかし、たかじんの歌手としての活動は決して順風満帆ではなく、一時は引退を考えるなど浮き沈みを続けた。一方、ラジオのDJとしての出演を切っ掛けに、どんどん喋りの才能を開花させていく。「舞台に上がったら、十五秒で客をつかめ」「話は七割はほんまやけど、三割は盛れ(誇張せよ)」など、数々の話術のエッセンスを駆使し、率直かつ軽妙なトークで人々を虜にしたたかじんは、やがてテレビにも進出し、「たかじんのそこまで言って委員会」など多くのレギュラー番組を持ち高視聴率をたたき出す。

 テレビタレントとして関西ローカルで不動の地位を築いたことと、大好きな音楽で思ったように認めてもらえない悔しさ。たかじんの中にある二つの相反する感情は、たかじん自身の苦渋を深めるばかりか、身の回りで世話をする者たちの人生も振り回していくことになる過程が本書で描かれている。

 歯に衣着せぬ物言いで世の常識に風穴を空ける名司会者、というのが一般的なやしきたかじんのイメージだろう。しかし本書から伝わるのは、アンビバレントな気持ちの間でつねに葛藤し、自身を孤独に追いやっていく悲しい人間の姿だ。“関西の視聴率男”は、実は相当に悩める人だったのかもしれない。

文=若林踏