「2015年本屋大賞」にノミネートされた『鹿の王』って?

文芸・カルチャー

2015/2/6

鹿の王』は、昨年、“児童文学のノーベル賞”と言われる「国際アンデルセン賞《作家賞》」を受賞した上橋菜穂子氏の3年ぶりの新刊。本作は、昨年9月の発売から4ヶ月で25万部を突破。今年に入ってからもなお勢いは止まらない。もうひとつ注目すべきは、上橋氏が1996年から2007年までに発表したファンタジー大作「精霊の守り人」シリーズのドラマ化だ。綾瀬はるか主演で、2016年春からの3年にわたる放送に向け制作が進められている。いま、なぜこれほどまで上橋氏の作品が求められるのか? 「命」をテーマに、作家デビュー25周年を迎えた上橋氏の真骨頂ともいえる『鹿の王』を手にとり確かめてもらいたい。(DN編集部)

 

壮大なスケールで紡ぐ命の物語

鹿の王』は、生き残った者たちの物語である。まるで漆黒の闇の中に、ひとつ、またひとつと灯りがともるように、命の在り処が見えてくる。

ひとつめのともしびは、独角の頭ヴァンだ。故郷を支配下に置こうとする帝国に勝ち目のない戦いを挑んできた誇り高い男は、とらえられ、奴隷の身に落とされた岩塩鉱で、人々が謎の病で死に絶える中、生き残る。共に戦った仲間たちは、とうに討たれ、皆、死んだ。すなわちヴァンは、いつ死んでもおかしくない窮地を2度くぐり抜け、2度生き残った男なのだ。

帰る場所も、生きる意味も見失っていたヴァンの前にともった、ふたつめのともしびが、同じく岩塩鉱で生き残った幼子ユナだ。寄る辺ないこの子を見捨てるわけにはいかない。偶然めぐりあった小さな産声が、この男の希望になる。

なぜ戦士と幼子が生き残ったのか。何が生と死を分けているというのだろう。この謎に挑む3つめのともしびが、帝国側の医術師ホッサルだ。病は人を選ばない。どんなに生きたいと願っても死んでいく者もいれば、死にたいと思っていたのに、生き残る者もいる。人間の意志とは関係がない。その容赦ない、理不尽さが浮かび上がらせるのは、王様であろうと、奴隷であろうと、人間は肉体が滅びれば生きてはいけないという至極当たり前の事実だ。ほかのすべての生き物と同じ、ひとつの肉体、ひとつの命に過ぎない。それなのになぜ人は争い、殺し合うのか。異なる文化、宗教、価値観がひしめきあい、権謀術数をめぐらせてはしのぎを削る、『鹿の王』で描かれる世界は、私たちが今、生きているこの世界の写し絵でもある。

ヴァンは、病を得たことによって、獣のように冴えた感覚が目覚め、肉体が変容し始めていることを感じ、怖れおののく。「肉体」という、人間が自分ではコントロールしきれないもうひとつの宇宙を持ちこんだことで、『鹿の王』が描き出す世界の深度は、また、ぐいぐいと大きく広がっていく。読みながら、宇宙・人間・素粒子をめぐる旅を描いたイームズの『パワーズ・オブ・テン』を思い起こしたのは、自分の生きる世界を推し量る尺度、スケールが内側に、外側に何度も伸びたり、縮んだりするからだ。

人間とは何か。命とは何か。この問いをもう一度、森羅万象のあらゆる命の中に解き放ってみせる。このまなざしこそ作家であり、人類学者でもある上橋菜穂子ならではの真骨頂。2014年に「児童文学のノーベル賞」と呼ばれる国際アンデルセン賞作家賞を受賞。日本ではまどみちお以来、20年ぶりの快挙である。3年ぶり待望の新刊は、物語を読む醍醐味を存分に味わわせてくれると共に、私たちもまた、ある意味「生き残った者たち」であり、様々な価値観がひしめきあうこの世界をどう生きていくのかを問いかけてくる。

文=瀧晴巳

■『鹿の王』(上橋菜穂子/角川書店)