「勇敢(かりぶ)」「雄(らいおん)」「響(りずむ)」…、なぜ「キラキラネーム」は生み出されるのか?

出産・子育て

更新日:2015/3/5

大自然と生きやすさの欠乏がキラキラネームを生み出した

 では、現代で欠乏しているものとは何なのだろうか。本書によると、ふたつある。ひとつは大自然。都市化される中で自然に飢えている現代人は、動物、植物、季節、海、空、天体など大自然への欠乏感から、駿、陸、海、空、花、杏、月などを名前に入れる。同時にスケール感や優しさへの欠乏から、大や優も人気だという。

 そして、現代で欠乏しているもうひとつが、生きやすさだという。これは、日本人の二極化に起因しそうだ。金銭的、能力的、モラル的に両極端に層が分かれつつある現代で、“別世界の住人”ともいえる異なる立場の相手に自分の価値観を認めてもらうのは、非常に困難。そうなると「自分たちだけの価値観で押していこう」という居なおりに近い考えが起こってくる。本書では、珍奇ネームをつける親は、愚かでも無神経でも無教養でもなく、ふつうの人たちばかりだというが、そんな“一見ふつうの親”が、なぜ「読めないかもしれない」「男女を間違えられるかもしれない」「人を不快にさせるかもしれない」ような名前をつけようとするのか。「そういう名前がカッコいいから」という、相談者が口にする本音に大きなヒントがあると、筆者は考える。

 人は多かれ少なかれ、無力感を抱えて生きている。その無力感を払拭するためには、ふたつのアプローチがある。ひとつは、努力をする、難関を突破する、何かを成し遂げるなど、「自分はこういう力を持っている」という優越感を追求すること。試合で活躍しているスポーツ選手や、秘境に立ち入る冒険家などにカッコよさを感じるのは、このアプローチによるものである。

advertisement

 そして、もうひとつの払拭のしかたは、他人に自らと同じような劣等的な感覚を味わわせること。他人を威嚇したり、攻撃したりして、無力感を肩代わりさせるのである。本書によると、珍奇ネームをつけるのは、無意識ではあるが、親が抱える無力感や劣等感の代償行為に等しいとする。二極化で生きづらく、努力が報われない境遇に置かれた親は、「自分はこうありたかった」「自分にはこれがない」という悲鳴にも似た思いを、子どもに珍奇ネームを抱えさせるという形で肩代わりさせる。同時に、名づけの基本を無視することで「世の中の常識なんかに(自分は)左右されない」とのメッセージを無自覚で発しているのだ。珍奇ネームをつける親は、自分の名づけに自信を持っており、外部の目は気にしていないように見えるが、じつは誰よりも人の目を気にしている、と分析する。

 珍奇ネームは、現代社会全体で抱えるべき問題であり、現代に生きる私たちへの警告だと本書は強調している。二極化が解消され、今より社会や個人のあり方に柔軟性が認められる世の中になったとき、珍奇ネームはしぜんと影をひそめていくと予言している。

文=ルートつつみ