谷崎は萌えブタ!?「谷崎潤一郎メモリアル」イベントレポート

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/20

キャラクターの心理は「どうでもいい」

【川上】 阿部さんにとって『春琴抄』で大切なのは「内容」よりは小説の「構造」ですか?

【阿部】 先ほど奥泉さんが言っていた嫌悪を抱いてしまうところと、それを形式によって説得させられてしまう。相反するところを『春琴抄』の場合は分離できない、分けられないものとして書いてある。

実は『春琴抄』ではキャラクターの心理はどうでもいいものなのではないかと思うんです。なぜならこの物語では確定的なものは何一つ無いんです。谷崎本人だと思われる語り手が春琴のことが記してある『鵙屋春琴伝』という冊子と、春琴と直接関わりがあった人に話を聞いて再構築するという体裁なんです。

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さらに、この語り手は、こう聞いたけど、本当はこうなのではないかという推測もたくさん入れてくるし、むしろそちらの方が濃度が高いんです。ということは物語の中で意思がもっとも強く出ているのは語り手その人なんです。『春琴抄』は語り手にコントロールされた世界であって、それ以外の人は、語り手のために召喚された素材にすぎないんです。だから、春琴と佐助の心理を読み解こうとしても「真実」には辿りつけない。

でも、読者の心理として、春琴と佐助の心理を読み解いてしまう。そしてその「読み解いてしまう」という運動そのものを作品化したのが『春琴抄』なのではないかと思うんです。かなりねじれた作品です(笑)。

【奥泉】 だから、僕はキャラクターの表層の言葉を読みたくない。召喚されたものは物語ではない。作者が『鵙屋春琴伝』というテクストを超えて呼び出したものというのは、ストーリーではなく、それは「言葉」あるいは「声」なんだよ。僕がシビれているのは、そういうものを呼び出しているところなの。

  • 谷崎潤一郎

谷崎は「萌えブタ」!?

【阿部】 最近の言い方をすると『春琴抄』は2次創作です。語り手自身が『鵙屋春琴伝』という小冊子を2次創作として構成したものがこの『春琴抄』だと思うんです。今は「薄い本」という言い方がありますけれど(笑)。

かつて中上健次は、谷崎のことを「物語の豚」と呼び「敵」と見ていました。それは乗り越えるべき壁として「敵」「物語の豚」と書いたわけです。それを今風に言うと「萌えブタ」というふうに言えると思います。

【川上】「萌えブタ」でいいの?(笑)。

【阿部】 いいと思います。語り手は「萌えブタ」として、春琴に萌えているわけです。でもそれを直接表現できないので、作品化する。佐助とか出てきますけど、本当は佐助とかどうでもよくて、あくまでも語り手が「俺は萌えてるぜ!」というところを表現したいがために書いているんですよ。

【川上】 語り手は佐助を自分の依りどころにして萌えているんですよね?

【阿部】 そうですね。ブタなんです。ブタの話です!

【奥泉】 だとすればね、このブタはものすごく様々な音色を持つブタですよ(笑)。

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