谷崎は萌えブタ!?「谷崎潤一郎メモリアル」イベントレポート
更新日:2017/11/20
谷崎は「印刷機」になりたかった!?
【川上】 谷崎ついてよく語られるのが「女の人にはモデルがいる」とか「セクシャル」「フェティシズム」とかなんだけど、そういう物語の要素を取り出しても実はしょうがない。
【阿部】 足フェチとか大した事ではなくて、谷崎がほんとうになりたかったものは「印刷機」なんですよ。谷崎が生まれたのは活版印刷所なんです。これが実は非常に大きな意味を持っているような気がするんです。
【川上、奥泉】 印刷機ですか!?
【阿部】『春琴抄』の中でも弟子をバチで叩いて血を流させる場面があるんですけど、ここは肌色に赤を乗せるというところが書きたいところのような気がします。『刺青』という作品がありますけど、あれも刺青そのものを書きたいのではなくて、「印刷機」の欲望として肌に色を乗せたいのかなと。
奥泉さんは苦手だとおっしゃいましたけど、佐助が自分で目を突く、あそこがクライマックスです。肌の白い春琴と田舎者で色黒の佐助の、白と黒の関係であったのが、佐助は黒目に針を刺す、その瞬間、黒目が白く反転するんです。色がぐるっと反転する。それで盲目になった佐助は、先程も言った「萌えブタ」的な妄想の世界にぐっと行くんです。
谷崎文学の「盲目性」とは?
【阿部】『春琴抄』の中ではいろんなものが「こうでした」と断定されない。物語の中では春琴と佐助は、子供がいるのにも関わらず、夫婦関係であるということも認めないし不確かなまま。この「認めない」「不確かさ」というのは谷崎潤一郎という作家が持つ「盲目性」というところに結びついていると思います。
「盲目性」について谷崎が書き続けるということは、もう考えるまでもないことで、小説というジャンルが原理的に持っている限界が「盲目性」なのではないかと。つまり小説は活字を通して想像していくしかないジャンルなので、そもそもすべてが不確かなんです。
その小説が持つ「盲目性」を物語っているのが『春琴抄』なんです。
【川上】 そこで『春琴抄』の帯にある阿部さんの「読書体験とは何かを知りたければ、即刻『春琴抄』を読むべきだ」につながるんですね。“小説を読む”ということそのものが『春琴抄』に構造化されているんですね。
【奥泉】『春琴抄』=小説を読むことだと。それにしても『春琴抄』は、谷崎はノって書いているよね。この作品は谷崎の中だけでなく近代文学の中でも突出した切れ味を見せている作品だと思います。