こじらせぎみの東京生活!? 地方出身者が東京人になるということ

生活

2015/8/17

 約10年間の東京生活にピリオドを打ち、私は今年に地元・福岡に戻ってきた。東京では、職場と自宅の往復を繰り返し、ただただ時間に追われて苦しかった。一方で、思い返してみれば、東京の夜景そのままにキラキラとした日々だったように思う。東京という日本の中心地でキャリアウーマンを気取って働いていたのは誇らしかった。幾種類もの電車をスマートに乗り継いで、丸の内の高層ビルや渋谷のスクランブル交差点など、さも“東京人”のように歩き回るのは楽しかった。お洒落で都会的な最先端の人間になれたように思った。『東京を生きる』(大和書房)のタイトルを見たとき、著者・雨宮まみさんも私と同じなのかと思った。

 同じ福岡出身で東京を拠点とするライター、雨宮まみさん。『女子をこじらせて』(ポット出版)で“こじらせ女子”を生み出し、この言葉は流行語にもなった。今年36歳になるという雨宮さんは18歳で上京したため、東京生活が福岡生活を超えたそうだ。エッセイ『東京を生きる』によると、それは「ずっとずっと待っていた瞬間だった」という。

 確かに、人生の大半を東京で暮らすと、田舎臭さを脱ぎ捨てられ “都会の人間”の称号を得られたようで、地方出身の人間としては非常に憧れるところである。が、雨宮さんの場合、私のように平凡な人間の陳腐な感覚とは、なんだか少し違うようだ。

「はずかしいことをして逃げ出してきた故郷に、帰りたくないだけ」

「福岡の街に対して、恨みと憎しみに近い気持ちを持っていた」

 雨宮さんは出身地を嫌っていた。「お洒落な街だ」といわれる福岡で「お洒落じゃない」人間として排除されたからだという。その詳しい内容はわからない。雨宮さんの中でまだ消化されないまま澱と化し、語りたくないものがあるようだ。

 雨宮さんは、大学進学のために東京へやってきた。憧れたものはみな東京にあり、東京という都市の殻をまとって、全身で“東京の人”になりたかったのだという。いったい、彼女の東京への憧れとは何だったのか。

「いつか才能によって、嵐のようにめまぐるしい波乱万丈な人生に巻き込まれてゆくのだと信じたかった」

「東京で“勝つ”とは、どんなことなのだろうか」

 彼女は、東京に夢を見たようだ。そして、刺激を求めた。楽しいもの、わくわくするものと同時に、自分を叩きつぶしてくれるような圧倒的なもの。叩きつぶされて、小さなプライドや見栄や虚勢をすべて捨てて、生まれ変わりたかったのだという。確かに、自分を知る人がいない場所なら、情けなく幼く感じていた自分を脱ぎ捨て、新しい自分を始められる。新しい土地にはそういう魅力がある。

 でも、そう東京は甘くなかった。実際には叩きつぶされることなどなく、ただ黙殺されるだけ。それでも刺激を求めて続けないと、楽をしたら罰が下るのではないかと雨宮さんは考えている。その真面目さが彼女を苦しめているように思える。「現実が好きじゃない」という彼女は、「幻想を見る以上に楽しいことが、この世にどれだけあるだろうか」と豪語する。

 貯金もないのに、おいしいものを食べて、好きな服を買い、本を買い、上等なタオルや石鹸を使い…。「どこまでが分相応で、どこからが分不相応なのか、私にはわからない」「どんなふうに生きれば、呼吸しやすくなるのだろうか」と綴る。雨宮さんにとって、東京もまた人生の半分を暮してもそう易々と受け入れてはくれない場所のようだ。彼女はまだ東京での生き方を探し続けている。

 一方で、最近、地元・福岡を見直すことがあったらしい。結婚パーティで久しぶりに会った高校の同級生から、「懐かしい。会えてよかった。(中略)活躍見てるよ」という言葉を聞き、心の奥底にわだかまっていたものが消えたのらしい。憎んでいたのが自分だけだったこと、帰る場所があったことに気付いたのだそうだ。

 それほど根性もなく東京生活をリタイアした私は、確かに刺激はないけれど、穏やかな時間の中で非常に健康的な生活を送っている。地元に戻った理由はいろいろあるのだが、東京の時間の流れの速さにまいってしまったのも理由のひとつ。息抜きをするなら今のうちと思ったからだ。

 でも、まだ東京を諦めきってはいない。22時を過ぎても人がうごめく会社のフロア、終電ギリギリまで飲むビール、夜中になっても車が走る明るい交差点…。あの場所にまだ何かがあるような気もするのだ。

 東京に疲れたら、一度地元に帰ってみてもいいのではないだろうか。夏季休暇、年末年始の休暇だけではダメなら、半年でも一年でも。なんなら数年、地元に引っこんでみればいい。芸能人よろしく、仕事は東京で生活は地方で。…などと単純な私は考えてしまうのだが、地方出身で東京暮らしのみなさん、いかがでしょう?

文=林らいみ