人々の暮らしと共に蔓延していく穢れ! 小野不由美『残穢』の恐怖

文芸・カルチャー

2016/1/27


『残穢』(小野不由美/新潮社)

 小野不由美氏はデビュー以来、恐怖の物語にこだわり続けてきた作家だ。少女小説作家時代に書かれた「悪霊シリーズ」(小野不由美/講談社)からして、すでに、少女小説の枠を越えた恐怖へのこだわりを見ることができる。一般小説のフィールドに移行した後は、まず、ミステリーとホラーの融合を試みた『東亰異聞』(小野不由美/新潮社)を発表する。そして、次に書き上げたのが、日本ホラー小説の金字塔である『屍鬼』(小野不由美/新潮社)だ。この作品は、吸血鬼が人を襲って次第に仲間を増やしていくという一見、オーソドックスな吸血鬼譚の体裁を装っている。しかし、やがて、狩る者と狩られる者の立場は逆転し、吸血鬼たちは無残に殺されていく。その恐怖の反転が衝撃的だった。著者のホラーはこの時点でひとつの頂点に達するが、ここで留まることはなく、さらに新たな道に踏み出していく。その代表的な例が、2012年に発表された『残穢』(小野不由美/新潮社)だ。

 物語は、著者自身がモデルと思われる作家の元にファンの女性から手紙が届くところから始まる。それは、怖い話を知っていれば教えてほしいという自著での呼びかけに応えたものだった。彼女の話によると、マンションの部屋で自分以外誰もいないのに時折、背後で物音が聞こえ、振り返ると着物の帯が床を這うのが見えるというのだ。しかも、調べてみると怪異に悩まされているのはその部屋だけではなく、他にもいくつもあることが分かってくる。しかし、マンションの過去をいくら調べても自殺者や不審死などといった因縁めいた話はでてこない。さらに調査を続けていく内に怪異はマンションだけでなく、近隣地域一帯に広がっていることが分かってくる。つまり、その怪異はマンション由来のものではなく、マンションが建つずっと以前からこの地に根付いていたのだ。

 本作は普通の小説とは違い、ルポルタージュの形式を取っている。実話のごとく描いているために、展開が地味で派手なホラー描写も皆無だ。そのため、血の惨劇のようなものを期待していた読者にとっては、肩透かしを覚えるかもしれない。実際、小野不由美のファンの中からも物足りなかったという声が、少なからずあるのも確かだ。しかし、その一方で、これまでのどんなホラー小説よりも怖かったという意見も多い。読み手によってこのような意見の違いがあるのは、本作の恐怖の提示の仕方が通常のホラー小説とは異なることに由来する。

 ホラーと言えば、亡霊なり殺人鬼なりの恐怖の対象が主人公の身に迫り、それに対して、主人公が何らかのリアクションを起こした結果、ハッピーエンドなり、バッドエンドなりの結末を迎えるのが通常のパターンだ。しかし、本作では物語はそのように収束していかない。怪異について調べれば調べるのほど真相は拡散し、結末は遠のいていってしまうのだ。作中で判明することは、怪異がそこかしこに蔓延しているという事実だけである。話が進むにつれて、人に災いを為すものは決して特別な存在ではなく、すでに日常に溶け込んでおり、人々と共存していることが示唆されていくのだ。霊感のある人はその声を聞き、姿を目撃する。そして、時としてそれは、気まぐれのように人の命を奪っていく。この世界観は非常に恐ろしいものだ。

 多くのホラー映画に登場するような派手な怪物は、観ている間は怖くても物語が閉じれば現実とは別の世界の話なのだと切り離して考えることができる。しかし、本作で描かれている怪異はあまりにも日常的な存在故に、本を読み終わった後も現実と虚構の切り離しが容易ではない。つい、作中に書かれたことが、現実の世界でも起こりうることだと無意識の内に考えてしまう。読後にも尾を引く恐怖なのだ。

 独自の恐怖の形は文学的にも高く評価され、第26回山本周五郎賞に輝いている。そして、『残穢-住んではいけない部屋-』のタイトルで竹内結子主演の映画が1月30日から公開される。この卓越した作品がどのような形で映像化されるのかは非常に興味深いところである。

文=HM