次第に変異していく夫に取り込まれていく妻! おかしみと不気味さが奇妙な味を奏でる芥川賞受賞作

文芸・カルチャー

2016/4/15


『異類婚姻譚』(本谷有希子/講談社)

 『異類婚姻譚』(本谷有希子/講談社)は、『死んでいない者』と共に第154回芥川龍之介賞を受賞した中編小説である。著者の本谷有希子氏は、自ら「劇団、本谷有希子」を立ち上げて劇作家、演出家、女優として活躍し、コンスタントに小説も発表し続けているという多芸ぶりである。しかも、劇作家として鶴屋南北戯曲賞、岸田國士戯曲賞、小説家として野間文芸新人賞、大江健三郎賞、三島由紀夫賞と30代でこれだけの賞を受賞しているのだがから多芸である上に、並外れた多才ぶりというほかない。

 そんな著者ではあるが、演劇にも小説にも共通する作風が存在する。人間の中に潜む悪意を浮かび上がらせ、観客や読者の心をえぐるエキセントリックな作風だ。しかし、本作ではそうした強烈な負のインパクトは希薄である。主人公と彼女の夫、主人公の弟と同棲中の女性、初老の女性とその夫という3組が登場し、その日常がゆるゆると語られていく。著者のこれまでの作品を知っている者にとっては、牧歌的とも言える雰囲気が漂っている。しかし、単なる地味な文芸作品かなと思いながら読み進めていくと、徐々に異様な雰囲気が立ちこめてくるのだ。

 ある日、自分の顔つきが夫に似てきたことに気がつく妻の「私」。知り合いの老婦人からも長年連れ添った夫婦の顔がそっくりになる話を聞かされ、なんとなく気になった「私」は夫にその話をするが、彼は全く興味を示そうとしない。夫は稼ぎがよい反面、家では何もしない。テレビのバラエティを見ながら無為に時間を過ごすだけである。前妻とはそのぐうたらさが原因で別れたらしく、再婚当初はそれを隠していたが、秘密を打ち明け て以降は傍若無人なまでの無気力さを謳歌していた。そんな時、老婦人から長年可愛がってきた猫がトイレ外での粗相をし始め、それが一向に直らないので山に捨てる決心をしたと打ち明け られる。「私」は彼女に協力して猫を捨てる山を探し始めるが、そうこうしている内にも夫の怠惰さはますますひどくなっていく。

 一見、倦怠期の夫婦のあるある的な日常を描いているようであり、実際、そう言ってしまってもあながち間違いではない。無気力さにあきれ、心配する「私」に対して放たれる夫のひとことなどは、身につまされる人もいるのではないだろうか。しかし、この物語は、それだけでは終わらない。日常はいつの間にか幻想的な事象と結びついて、不気味な姿をあらわにする。夫の顔が次第にゆるんできて人間の形ではなくなるなどといったくだり は、単なる比喩だと思っていると、そうした非現実な表現がどんどん日常を侵食していくのだ。何が比喩で何が現実なのかも曖昧になってくる、特に、主人公夫婦をたとえた 「蛇玉」のイメージは強烈だ。そして、現実はますます歪み、最後は完全なファンタジーとして物語は閉じられる。

 読み終わってみると、このリアリズムから逸脱していく幻想性が、実に味わい深く感じられるのだ。本作品の底流をなしているのは、誰もが持っている日常に対する漠然とした不安だ。それをファンタジーという形で現実から切り離すことによって、我々は、それをおとぎ話として、安全な位置から楽しむことができ、同時に自分の不安と客観的に向き合う機会にもなる。本書に同時収録されている短編小説、『〈犬たち〉』『トモ子のバウムクーヘン』『藁の夫』などにも同じような傾向が見受けられるのである。

 この趣向は、毒と悪意にまみれた今までの本谷節とは異質なものである故に、物足りないというファンもいるだろう。しかし、逆に言えば、今までになかった新たな可能性を示した作品でもあるのだ。心をえぐるような本来の作風も魅力的であるが、不気味さの中にも優しさがあるような本書の魅力も捨てがたい。でき得るならば、今後もひとつの作風にこだわらない著者のさまざまな側面が見たいものである。

文=HM