生きている者が幸せじゃなければ意味がない! 最愛の妻を亡くした蛭子能収さんの取った行動に込められた意味とは?

文芸・カルチャー

2016/6/8


『ヘタウマな愛(新潮文庫)』(蛭子能収/新潮社)

読者諸氏は蛭子能収と聞いて、どんな表情を思いだすだろうか。大抵の人はテレビで見る、にこやかな「えびす顔」を思い浮かべるはず。その一方で新作映画『任侠野郎』では伝説の任侠として、凄みを効かせた迫真の演技を見せている。このようにさまざまな「顔」を持つ蛭子さんだが、泣き顔だけはピンと来なかった。しかし『ヘタウマな愛(新潮文庫)』(蛭子能収/新潮社)でその印象は一変。本書は2001年8月に亡くなった前妻の貴美子さんとの愛や思い出、涙を綴った一冊である。

第1章では、貴美子さんが倒れてから入院、そして葬儀を終えるまでの7日間が一気に描かれている。ある日、平和島競艇にいた蛭子さんの元へ、娘から貴美子夫人が倒れたとの連絡が入る。急ぎ病院へ駆けつけるも、既に夫人は昏睡状態。担当医師からこのまま亡くなるかもしれないし、助かっても植物状態となる可能性が高いと告げられる。それを聞いた蛭子さんは涙が溢れだし、止めることができなかった。それまで両親が死んだときでさえ泣かなかったといい、人前で感情を顕わにすることを恥ずかしいと思っていた蛭子さんが、他人である医者の前で涙を流し続けたのだ。

先にも書いたように、小生は本書を読むまで蛭子さんの涙というものを想像できなかった。勿論、役者として芝居で泣きの演技は何度もあったとは思う。だが、ここに描かれる涙は彼自身の魂からあふれ出た涙だ。それは30年分の、貴美子さんへの嘘偽りのない愛の証だろう。小生も母を癌で亡くしている。鎮静剤で眠ったままの母に対し、ただ不安なままにその呼吸と心電図を見比べることしかできなかった。蛭子さんも同じで、掛ける言葉が何も出てこなかったそうだ。

しかし夫人が生死の境を彷徨っているこのとき、実はマンガの締め切りが迫っていた。ここで驚かされるのは、蛭子さんのマンガを描くことへの真摯な姿勢で、翌日の朝にはもう描き始めている。やはり彼は漫画家なのだ。蛭子さんは貴美子さんと同棲中に伝説の漫画誌『ガロ』で入選してデビューする。そのときは二人で飛び上がるほどに喜んだそうで「その時ほどはしゃいだことは後にも先にもなかった」と述懐。該当ページに添えられた蛭子さん自身の挿絵も、実に良い表情で描かれている。もしかするとマンガを描くこと自体が、病床の夫人への応援だったのかもしれない。

入院3日目も朝からマンガを描き、午後にようやく仕上がり病院へと向かう蛭子さん。しかしその夜、貴美子さんは意識が戻らないままに亡くなる。蛭子さんは自ら車を運転して、彼女を自宅に連れ戻った。涙で前がよく見えないまま走っていたそうで、それ以来、すっかり涙腺が弱くなってしまったという。

その後、貴美子さんの仏壇は、蛭子さんの仕事場に置かれた。しかし、手を合わせることはない。代わりに時折、横に飾った貴美子さんの写真に語り掛ける。盆や彼岸にも墓参りはせず、気が向いたときに草むしりに行く程度。そもそも戒名すらないのだ。あれだけの涙が嘘のような、あっさりした態度のようにも思える。だが、彼にとっては自然なことだという。

「生きてる者が幸せじゃなければ意味がない」と語る蛭子さん。故人を想うことは哀しむことではない。その人は心の中で今も生き続けるのだ。だからこそ、自分たちの幸せを見せることこそが、何よりの供養だろう。そして現在、蛭子さんは再婚を果たし、新たな幸せを築いている。 実をいえば、小生は母を亡くしたショックを未だに引きずっていた。だが蛭子さんの生きかたを知り、いろいろなことを考えさせられた。だから今は一所懸命に生きて、幸せになろうと思う。そうすればきっと、母も笑顔でいてくれるはずだから。

文=犬山しんのすけ