キリスト、アダム・スミス、吉田松陰、宮沢賢治…童貞偉人たち82人の物語

社会

公開日:2016/8/5

『童貞の世界史 セックスをした事がない偉人達』(松原左京、山田昌弘/パブリブ)

 30歳まで童貞を貫くと魔法使いになれるという。これを聞き着々と魔力を身に付けつつある人もいる一方で、やはりフツーの人間でありたいともがいている人も多いだろう。そう、この噂、たかが都市伝説と馬鹿にしてはいけない。『童貞の世界史 セックスをした事がない偉人達』(松原左京、山田昌弘/パブリブ)によると、こうした考え方は最近に限ったものではないらしいのだ。

 室町時代に勃発した応仁の乱。一説によると、一方の大将であった細川政元は妻を持つことなく女人禁制を守った結果、空中に浮かんだり空を飛べたりと、魔法を使えるようになったという。また、細川政元もハマった修験道の祖で超自然的な力を持つとされた役小角も、生涯不犯だったとか。インドでも苦行者は女性と接触するだけで体に蓄えたエネルギーを一瞬にして失うと考えられている。つまり、魔法使いになるために童貞であることは世界共通の必須条件とされてきたといっても過言ではない。

 こうした世界の童貞を紹介する『童貞の世界史 セックスをした事がない偉人達』は、あらゆる文献をつぶさに読み解き、古今東西の偉人82人の性愛事情にまじめに取り組んだ書である。当然のことながら、偉人を揶揄するものではないし、卑猥な表現などひとつも出てこない。そして、こんなデリケートな問題にもかかわらず、イエス・キリストなど偉大なる宗教の祖にまで斬り込んでいるところがスゴイ。

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 さて、そもそもなぜ本書に登場する偉人達はセックスをしたことがないのか。その理由は次の8つに分類されている。

(1)性的魅力に乏しい、性愛に対し消極的など
(2)性愛方面の欲求が乏しい
(3)性愛への恐怖感・嫌悪感がある
(4)肉体的に虚弱、健康上の理由
(5)宗教上の理由から性愛を遠ざけた
(6)自らの使命には妨げになると考えた
(7)家族間の関係が非常に密接で、他者の入る余地がない
(8)早世した恋人に操を立てた結果

 (2)~(8)は本人達がそもそもセックスを望まなかった傾向にあるので、あれこれ口をはさむ必要はないだろう。読者のみなさんが興味を持つのは「(1)性的魅力に乏しい、性愛に対し消極的」だった人ではないだろうか。つまり、セックスしたくてもモテなくてできなかった偉人達である。

『人魚姫』『みにくいアヒルの子』の著者は“デンマークのオランウータン”

 例えば、デンマークの世界的童話作家であるアンデルセンは生涯独身だった。風采が上がらず“デンマークのオランウータン”とひどいあだ名を付けられることもあった彼は、恋をしても失恋続きだったという。また、潔癖で純粋な価値観を有していたため、心が通じ合う相手でなければ、事に及ぶのを潔しとしなかったのではないかと著者は推測する。その結果なのか、彼の創作童話作品は自らの実らなかった愛を昇華させたものとも言われている。

オシャレさんなのにモテなかったアダム・スミス

『道徳感情論』や『国富論』を著したイギリスの経済学者、アダム・スミス。彼も名声と財産を手に入れながら独身だった偉人の一人である。54歳になっても子供を持ちたいという望みを漏らしていた彼は、絹のスーツやビロードのコートをまとい、女性の気を引き付けるだけの男性的魅力を備えていたこともわかっている。だが、彼もまた恋をしても成就せず、ある伝記作者は生涯童貞だったことを示唆する。なんとも寂しい人生のように思えるものの、彼の場合は家族・親族のおかげで決して孤独ではなく、幸せな一生を送ることができたようだ。

 というわけで、常人にはできない立派なことを成し遂げた偉人が、常人が当然のように行う営みを成し遂げたくとも成し遂げられなかったことがわかる。神様はちゃんと平等なのだ。ただ、この(1)の恋愛弱者という理由で童貞だった偉人は少数派であることを喚起しておきたい。実は(2)(3)(5)(6)を理由とする偉人が多い。宮沢賢治は(3)だし、冒頭にあげた細川政元や歴代ダライ・ラマは(5)、吉田松陰は(6)である。そして、ざっと見たところ(2)が最も多い。「わたしは芸術の中に充分過ぎる妻をもっている」と発言した彫刻家・画家のミケランジェロなどだ。自分の仕事に夢中で女性に興味をもつ暇はなかったらしい。逆にいえば、それだけ打ち込んだからこそ歴史に名を残す偉業を成し遂げられたのではないかと思う。

 また、本書も(1)の恋愛弱者が意外にも少ないことに触れ、その理由を外的要因にあるとする。「偉人と呼ばれるだけの名声を勝ち取っている場合は、なおさら周囲からの誘惑やお膳立て、あるいは圧力が通常より強い事は想像に難くない」とのこと。つまり、たとえ本人が恋愛弱者であろうとも、それだけの金と名声がある人物を女性は放っておくはずがないのだ。童貞であっても偉人になれる。それは真実だろう。だが、偉人になれば童貞を脱する可能性は格段に高くなるともいえる。

 童貞を捨てたいなら偉人になればいい。というとあまりにも酷だが、究極の目標を胸に秘めつつ、何かに打ち込むことは決して悪くないのではないだろうか。うまくいけばこれほど幸せなことはないし、たとえうまくいかなくても、一心不乱になるあまり悶々とした思いを捨てることができるだろう。「童貞であるかどうかなど関係ない!」と声を大にして言える日がやってくるかもしれない。

文=林らいみ