江戸時代の子育てネットワークとは?「乳」の重要性とその社会的問題点を探る

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/12

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『江戸の乳と子ども: いのちをつなぐ(歴史文化ライブラリー)』(沢山美果子/吉川弘文館)

できることなら子どもを母乳で育てたいが、事情あってやむなく粉ミルクにしている母親は少なくない。母乳と併用している人もいるだろう。現代では、母乳の代用品が普及しているため、母乳が出なくても子どもを育てられる。

しかし、粉ミルクのような代用品がない江戸時代では、母乳が出ないことは深刻な問題だった。『江戸の乳と子ども: いのちをつなぐ(歴史文化ライブラリー)』(沢山美果子/吉川弘文館)によると、江戸時代の史料には、「母の乳」「人乳」「女の乳」という言葉は出てくるものの、母と乳を直接結び付ける「母乳」という言葉は見られないという。命を繋いでいくために、「乳」でさえあればよかった。そんな事情から、「乳持」という言葉に象徴されるように、乳は交換や売買が可能な“モノ”となっていた。

浮世草子の生みの親である井原西鶴は、自身の作品のいくつかで、乳の重要性と、それがもたらした社会的な問題を描いていると、本書は解説している。

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問題の1つめは、乳が出ないという困難に遭ったときに階層差が表れること。豊かな階層では、乳が出ないときに、子どもを里子に出したり乳母を雇ったりして乳を確保する。しかし、貧しい階層ではそれができず、場合によっては捨て子という選択肢を取らざるを得なかった。

2つめは、貧しい階層で乳が出ない困難を解消する際に、都市と農村で違いがあること。貰い乳や我が子を亡くした女の乳を貰うといった人的ネットワークによって解消を試みるときに、都市では礼を支払わねばならなかった。

3つめは、「ほし殺し」について。下層女性や世帯を維持することができない都市下層民夫婦の生活の糧となっていた乳母奉公は、奉公に出る女自身の子どもの養育困難をもたらすと共に、「ほし殺し」という、豊かな階層から養育費を受け取りながらも預かった子どもを餓死させる問題を生んだ。

当時、命を繋ぐ乳は、金と同等以上の価値があった。そして、乳は豊かな層に搾取されていた。階層的なシステムは、当時も今も変わらないように思われる。

本書は、藩の人口増加政策や妊娠・出産管理政策など、広い視点でさらに深く乳をめぐる諸問題を掘り下げていく。

本書はすべての母親に対して「母であれば母乳が出るのは当たり前、母乳を与えるのが良い母親だという常識から解放され、それぞれの状況にあった自分なりの選択をしていくためのささやかな手がかりにしてほしい」と願っている。

文=ルートつつみ