武田信玄が美少年に送った“弁解の恋文”――歴史を変えた男と少年の秘密の恋

社会

2017/5/24

『なぜ闘う男は少年が好きなのか』(黒澤はゆま/ベストセラーズ)

「美人」という言葉はもともと「美しい男性」を意味していたという。かつて、世界中で男性が「美」の対象とされていた時代があった。そして、彼らを愛したのもまた、同じ男性だったのである。

 WEBメディア「cakes」で圧倒的な人気を誇った連載コラムを書籍化したのが『なぜ闘う男は少年が好きなのか』(黒澤はゆま/ベストセラーズ)だ。歴史に残る英雄たちの傍らで寵愛を受けた美少年たちのエピソードに読者はドキドキしながらも目が離せなくなってしまうことだろう。

 本書では古代から19世紀に至るまでの男色の歴史を、偉人たちを中心に紹介していく。男色の風習は世界各地で記録されているが、面白いのは豪傑として知られている人物ほど美少年を前にすると女々しく、人間らしい姿をさらけ出してしまう点だ。織田信長と共に本能寺で散った小姓、森蘭丸は有名だが、歴史を掘り下げれば他にも美少年に狂った武将は数知れない。

 たとえば武田信玄は春日源助という十代の美少年を愛し、浮気を疑われたときには弁解の恋文を送っている。その文面からは狼狽が伝わり、かなりへりくだった態度で機嫌を取ろうとしているのが微笑ましい。信玄の美少年好きはすさまじかったが、そこは流石に名将だけあり、教育者としても優秀だった。彼の小姓から武将にまで取り立てられた者も多い。驚くべきことに真田幸村の父、真田昌幸もまた、信玄の小姓だったのだ。

 独眼竜で知られる伊達政宗は、片倉小十郎重長という小姓を抱えていた。重長は順調に成長をして勇猛果敢な武将へと出世する。二人の絆が分かるのは重長が30歳のとき、大坂夏の陣でのエピソードである。徳川軍として参戦した伊達軍の先鋒を望む重長に、なんと政宗は頬にキスをし、「お前以外、誰を先鋒にするというのか」と涙したというのである。

 信玄も政宗も、身内にすら容赦がなかった戦国武将として語り継がれているが、美少年にだけは深い慈しみを見せている。そして、こういった英雄の姿は日本だけの伝承ではない。

 前漢の高祖(劉邦)から平帝までの13人の皇帝のうち10人は同性愛経験者だったと記録に残されている。また、古代ギリシャの哲学者ソクラテスは「ガチムチ」だったらしく、誰もが恋する美少年アルキビアデスの心すら奪ってしまう。しかし、後に政界進出したアルキビアデスの引き起こした敗戦責任を負わされて死刑になってしまうのだ。

「ブルータス、おまえもか」の一言で知られているローマ皇帝、カエサルは受け手であり仕手でもあった。「すべての女にとって理想の男、すべての男にとって理想の女」という褒め言葉すら贈られている。

 特異なケースを挙げるとすれば、15世紀フランスの貴公子ジル・ド・レだろう。ジャンヌ・ダルクの右腕であり、『Fate/Zero』をはじめとするさまざまな創作物にも登場するジルは、少なくとも150人の少年を殺めた快楽殺人者「青髭」として悪評高い。実際にはなかなかの美男子だったらしいが、古代ローマ・ギリシャの文献を読み漁り、男色に目覚めていったという。そんなジルはジャンヌを女性としてではなく、男性として愛していた可能性が唱えられている。男装の麗人だったジャンヌに、ジルは古代人と同じ耽美を見出したのかもしれない。そして、ジャンヌの死によってジルの倒錯は行き場所を失い、凶行へと突き進んでいったのだ…。

 やがて、19世紀になるとキリスト教的な同性愛を善しとしない価値観が世界に広まり、男色の文化は廃れていく。それにしても、どうして名のある英雄に限って男色を好んだのだろうか。その背景には男尊女卑の倫理観と、戦場という特殊な状況があった。戦場では女性がいないし、深い関係にある部下ほど大将の考えを深く理解して分身のように働いてくれる。権力者のノウハウを学ばせるため、自分の子供を進んで小姓に差し出す武将もいたという。男色は官能の世界であったと同時に、極めて効率的な戦乱の風習でもあったのである。一筋縄ではいかない男色の歴史の一部を、男性も女性も本書から学んでみよう。

文=石塚就一