芥川賞受賞作家・田中慎弥「私は、もっと、読まれたい。」

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/26

 芥川賞受賞の際、石原慎太郎の名を挙げ、「もらっといてやる」と発言して一躍時の人となった田中慎弥。

「ただ言いたいことを言っただけ。そこがどうしても分かってもらえないところで、あれで石原さんと険悪になったという意識はないですし、おそらく石原さんも、お目にかかったことはないですが、思っていらっしゃらないはずです」

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5度目のノミネート。芥川賞は新人賞の意味合いが強く、回数を重ねすぎると新人としての鮮度を失う。今回の『共喰い』がおそらく最後のノミネートになると憶測した田中は、そこに、石原氏は自分の作品を評価しないだろうという推測を重ね(実際は評価)、受賞したらという希望的観測のもと、あの場を面白がらせるコメントを1年前から考えていたのだという。「作家というのは言いたいことを言うもの。作家同士というのは、そういうものだろう、と」

新刊『田中慎弥の掌劇場』(毎日新聞社刊)は1編が1600字というサイズもあって、“初田中”と言いたくなるようなバラエティとフレーバーに富んでいる。例えばサラリーマンの男が日曜日、家人が出払ったあとの一人の時間を楽しむ「うどんにしよう」は、読書していた目が“あれ!? いま見慣れないものが……”と、あわてて前行に引き戻されるホラーの一点豪華主義作。

「ストーリーではなく一言でビックリさせよう、そういう気配のないところにポンと放り込んで話を終わらせてやろう、とは思っていましたね。(中略)

今回は新聞での読み切り連載で、日頃熱心に小説を読んでいるわけではない人たちも目にするので、切り替えなきゃいかんと思いました。エンターテインメントとまではいかなくても、ストーリー的なもので読ませたり、オチをつけるというのは本当はよくないんですが、読者が要求しているんだったら、それもやってみよう、と。結果、起伏があったり読みやすかったりするものになったんじゃないでしょうか。そして、こういう書き方、やってみたら嫌いじゃなかった(笑)。(中略)
私はエンターテインメントの読者にもっと読まれたい。その逆で、純文学の読者にもっと読まれたいと思っているエンターテインメントの作家もきっといると思う」

現在、文芸誌で1000枚になる長編を連載中。
読みやすさと文学性に関係はあるのか。エンターテインメントと純文学に境界はあるのか。田中の新作を読み継いでいけば、このすぐれて日本的問題になんらかの答えが見いだせるかもしれない。
「私はデビューが30代になってからなんで、作家に耐用年数があるとしたら、まださほど使い減りしていない。次に出す作品が1番いいはずだと思いながら、常にそれを目指して書いていきたいですね」

取材・文=温水ゆかり
(『ダ・ヴィンチ』7月号「2012上半期BOOK OF THE YEAR」より)