橋下徹市長にオススメ 三浦しをんが教える“文楽”の楽しみ方

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/26

 橋下徹大阪市長の“文楽批判”が、賛否を呼んでいる。
橋下が批判を行ったのは、先月26日に国立文楽劇場で『曽根崎心中』を観劇した後のこと。2009年の府知事時代にも、文楽観劇後に「二度と見に行かない」と発言していたが、今回は「ラストシーンがあっさりしすぎ。ファン獲得のために演出を考え直すべきだ」と批判。翌日にも、「人形劇なのに(人形遣いの)顔が見えるのは腑に落ちない」と不満を漏らし、挙げ句はTwitter上で瀬戸内寂聴と論争にまで発展した。

しかし、橋下が批判するほど、文楽は“つまらない”ものなのだろうか。橋下同様、文楽初心者にとって、とても参考になる本がある。2012年の本屋大賞も受賞し、いまもっとも大衆から支持を集めている作家のひとりである直木賞作家・三浦しをんの著書『あやつられ文楽鑑賞』(単行本:ポプラ社、文庫:双葉社)だ。

この本は、「あやつられるように劇場に行ってしまう」ほどに文楽の魅力にハマってしまった三浦によるエッセイ。まず、「文楽とはなんぞ?」という方に説明すると、文楽は人形浄瑠璃と同じ。人形を動かす「人形遣い」、台詞や情景描写を語る「大夫」、音楽を担当する「三味線」の三業から成り立っているのだが、三浦は「文楽は人形の動きを見るものであると同時に、語られる義太夫や、奏でられる三味線を聴くことにも、かなりのウエイトが置かれる舞台芸術」という。ここが演劇鑑賞とは大きく異なる点だろう。その理解もなくストーリーだけを追えば、「ラストシーンがあっさりしすぎ」といった感想になってしまうのかもしれない。

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また、上演される演目は、何百年も前につくられた古典。そのため、文楽ファンの三浦でさえ、「ドラマの作法も現代の劇とは違う。登場人物の発想や感情や行動にも、ときどき「それでいいのかよ!」とたじろいでしまう」と綴っている。受け身で漫然と鑑賞して、いきなり面白い! となるのは難しいらしい。だからこそ、「あらかじめチラシのあらすじぐらいは読んでおくとか、自分から少しの歩み寄りをすることも必要」なのだ。2度目の観劇なのであれば、橋下にもこのあたりは心構えてほしかった気もするが……。

では、肝心の文楽の楽しさとは何か。三浦はこう書いている。
「時代を経ても不変な人間の心と、時代を経ると人間の心ってけっこう変わるんだなという部分とが、そのまま刻印されている。(中略)「伝統芸能」に触れる楽しみとは、時代とともに変わる部分と変わらない部分がある「人間の心」の実相に迫る楽しみではないか、と私は思う」

このほかにも本書には、表情豊かな人形のかわいさや、それを操る人形遣いの鍛錬の技、喜怒哀楽から景色までをも言葉で表現する大夫のすごさなど、三浦ならではの視点で、文楽を楽しむための手掛かりがたくさん収められている。

古典芸能は、現代人にとってはとっつきにくい部分が多いのはたしか。しかし、長く残ってきた文化には、それゆえの理由がある。現代の価値だけで「面白いか、面白くないか」を判断すれば、あらゆる伝統文化はこの国から消えてしまうかもしれない。何より、文楽座の発祥は大阪。大阪が誇れる伝統として文楽の楽しみ方を探るのは立派な市長の役目だろう。まずは本書と、文楽の世界を三浦が生き生きと描いた青春小説『仏果を得ず』(双葉社)を読んで、理解を深めてみてはいかがかだろうか。