美少女たちの「死亡遊戯」が描き出すヤバい「生存戦略」! 第18回MF文庫Jライトノベル新人賞《優秀賞》『死亡遊戯で飯を食う。』

文芸・カルチャー

公開日:2022/11/26

死亡遊戯で飯を食う。
死亡遊戯で飯を食う。』(鵜飼有志:著、ねこめたる:イラスト/KADOKAWA)

 これはヤバい。マジでヤバい。とにかくヤバいといった感想が、読み始めてすぐ浮かぶくらいヤバい小説が、第18回MF文庫Jライトノベル新人賞で《優秀賞》を受賞した『死亡遊戯で飯を食う。』(鵜飼有志:著、ねこめたる:イラスト/KADOKAWA)だ。

 目を覚ますと見知らぬ洋館のベッドに寝かされていて、おまけにメイド服を着せられていた少女が、起きて部屋を出て食堂に降りると、そこにもメイド服を着せられた5人の少女たちがいた。誘拐に遭ったのか? 誰かの世話をするために集められたのか? 答えはNO! 最後に目覚めた【幽鬼】という名の少女も入れた6人は皆、自分たちの意思でその洋館に連れて来られた。引っかかれば確実に命を失う危険なトラップをくぐりぬけ、洋館から無事に脱出して巨額の賞金を手にするために――。

 つまりはゲーム。それも命をかけたゲームを生き抜いて、賞金を稼ぐ少女たちを描く物語だから、「死亡遊戯」で「飯を食う」という訳だ。これのどこがヤバいのかといえば、賞金を出す側が期待しているのがゲームの中で少女たちが惨たらしく死んでいくこと。最初のゲームが繰り広げられる「ゴーストハウス」のエピソードでは、少女たちは飛び出してきた矢に貫かれ、丸鋸に切り刻まれてひとり、またひとりと死んでいく。続く「キャンドルウッズ」というエピソードでは、300人を超える少女たちが殺し合って、たった●人しか生き残らない。

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 まさに血みどろのデスゲーム。いや、そこで血まみれにはならないある種の工夫がされていて、アニメになってもビジュアル的にはレーティングをクリアできそうなところが面白いが、死の場面を繰り返し浴びせられるという意味でのヤバさは残る。そんな死の連続に感覚が麻痺し、命をゲーミングマシンから吐き出されるコインのように、バラまかれてこそ輝くものだと思えてくるところにも、この物語が持つヤバさがある。

 負けることは死ぬことを意味するこのゲームで20回以上勝ち抜いてきた幽鬼が、理不尽で不条理なこのシステムを壊すために挑み続けているといったドラマでもあれば、彼女に味方することで反権力の立場になったフリをできただろう。大人気となったアニメ『リコリス・リコイル』にも、平然と人を撃ち殺す少女の暗殺者たちが登場するが、相手が悪人といったところに“救い”があるように。

 ところが、幽鬼にそうした正義感は欠片もない。師匠ともいえる女性が90回以上勝ち抜きながらたどり着けなかった99連勝を達成したいという我欲。それだけが原動力になっている。勝つためには他の参加者を殺すことも厭わない。そんな幽鬼が、少女たちが惨たらしく死んでいく様を中継で見て、金を賭ける大人たちより正しいはずがない。いわゆる正義の軸が存在しない世界観を浴びせられて、誰に気持ちを寄せて読めば良いのか迷った果てにたどり着く境地を考えると恐ろしくなる。

 それとも、今はこれくらいヤバいとは思われないのだろうか。衣笠彰梧氏の『ようこそ実力至上主義の教室へ』(KADOKAWA)が大人気となっているのは、感情ではなく利益をより重んじなければ生き残れない今の社会で生きている人たちの気分に沿うものだからなのかもしれない。トップに立つためには誰かを押しのけるのは当然。たとえ仲間を作ったとしても、目的の達成のために必要だからで、ライバルになるようなら蹴落として沈めて息の根を止める。そんな意識が普通になっているのかもしれない。

 だとしたら、『死亡遊戯で飯を食う。』は最適だ。何が何でも生き残るための心構えでありテクニックに存分に触れられる。トラップだったら注意深く観察したり慎重になったりして乗り切れば良い。生きづらかったら自分が生きていられる場所に行けば良い。殺してまでも生き残ることは許されないが、殺されないで生き延びるための方策なら必ずある。そう信じる気持ちを物語から得よう。

 第1巻でふたつのゲームを生き延びた幽鬼は、刊行が準備されている第2巻でプレイヤーにとっての壁として、なかなか越えられないと噂の30回目のゲームに挑む。舞台は温泉、それも露天風呂。そこに必然とも言える格好で少女たちがバトルを繰り広げるビジョンのとてつもないヤバさにたどりつく前に、まずは第1巻をお試しあれ。

文=タニグチリウイチ

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