湿地帯で発見された青年の死体。容疑者は、6歳で家族に見捨てられた「湿地の少女」…全世界1500万部突破! 映画公開中の『ザリガニの鳴くところ』

文芸・カルチャー

更新日:2022/12/3

ザリガニの鳴くところ
ザリガニの鳴くところ』(ディーリア・オーエンズ:著、友廣純:訳/早川書房)

 湿地と沼地とは違う。沼地の水は暗く淀み、外界とは断絶し死に満ちている。しかし湿地は川の流れで外の世界と繋がり、生き物たちが暮らし、たくさんの命がめぐり続ける。湿地とは生命が輝く場所なのである。

 1969年、ノースカロライナの湿地帯でひとりの青年の死体が発見される。容疑者として名が挙がったのは「湿地の女」と呼ばれる、6歳のときに家族に見捨てられ、独り湿地で生きてきた女性カイア。町の人々は湿地に住むカイアを蔑み、距離を置いた。『ザリガニの鳴くところ』(ディーリア・オーエンズ:著、友廣純:訳/早川書房)は、幼い頃から湿地で暮らし、孤独に生きるカイアの人生の物語である。

“湿地と沼地とは違う”

 こうして始まる『ザリガニの鳴くところ』は、ひと言で表すには難しい小説だ。殺人事件の真相をフックにすればミステリー小説であり、構成としては法廷サスペンスでもある。そして父親のドメスティックバイオレンス、ホワイトトラッシュ(貧乏白人)として町の人々から白眼視されるなど、社会問題を描いた小説とも言える。また少女カイアのサバイバル小説でもあり、幼馴染であるテイトとのラブストーリーとも取れる。そんな様々な要素に読者はついつい目を奪われてしまう。しかし本書を読み終えれば、それらを覆い隠すほど畏敬とでもいうべき感情を主人公カイアに抱き、最後のページを開いたまましばらく放心することになる。

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 物語は主人公であるカイアの少女時代と、殺人事件が起こった1969年を交互に描かれていく。母との温かい記憶、父との冷たい記憶、そして顔を思いだせない兄弟たちの記憶。幼馴染の少年テイトとの甘い記憶、船着き場の燃料店のジャンピンとメイベル夫婦の温かな記憶…。それでも6歳から家族に捨てられたカイアが独りでこの湿地で学んでいったのは、水鳥や昆虫といった自然の摂理からなのである。

 幼馴染のテイトはカイアを眺めながら思う。

“彼女が生きるこの惑星と彼女のあいだには、何の隔たりもないのだろう”

 カイアにとって湿地とはそれ自体が家であり世界であり、自然の営みが自分の考えであるのだ。

 印象的なシーンがある。カイアがテイトから文字を習う場面で、カイアが生まれて初めて読んだ言葉だ。

“世の中には野生から離れて生きられる者もいれば、生きられない者もいる”

 カイアはどちらなのか。

 動物学者である著者のディーリア・オーエンズは本作を69歳で書き上げた。カイアの目を通した自然豊かな湿地の描写や、季節の移ろい、そして細部まで詳細で瑞瑞しいまでの生き物たちの描写は、動物学者の著者ならではの大きな魅力である。と同時に、カイアの眼差しの先には、美しさと併せて湿地に生きる動物や昆虫たちの生きるための本能をも映しだす。自然とは時に無慈悲で残酷なものであるが、ゆえに純粋で揺るぎない。カイアの目を通して映しだされた自然の理を読者は心に刻むことになるだろう。

 本作は2020年に翻訳が刊行され、2021年の本屋大賞翻訳小説部門の1位を獲得。現在、本書を原作とした同タイトルの映画が11月18日より公開中である。

文=すずきたけし

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