「私にだって攻撃の順番は回ってくるんだよ?」都合のいい女たちが自力で這い上がる姿が心地よく美しい名作『恋と地獄』

マンガ

公開日:2023/2/22

恋と地獄
恋と地獄』(今井大輔/COMIC ROOM/双葉社)

 言葉は時代と共に移り行く。

 昭和の高度成長期、日本にフランスブームが訪れていたころ、カップルは当時の若者のあいだで「アベック」(フランス語で「with」という意味)と呼ばれていたそうだ。ゼロ年代、私が中高生のころは、「コギャル」(高校生のギャル)の中学生版「孫ギャル」という言葉をよく耳にした気がする。

 めまぐるしく時代は変化して、ほとんどの流行語、若者言葉は消えた。しかし2000年頃登場した「美白」など、今も残り、多くの人たちが口にするだけではなく化粧品メーカーのプロモーション用語になったものもある。

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 時代が変わっても使われ続けている言葉のひとつが「都合のいい女」だ。恋愛や結婚生活で言う通りに動いてくれて、嘘をついても信じてくれる、男性にとって便利な存在を指す。反対に「都合のいい男」という言葉も存在するわけだが、現実でもフィクションでも都合のいい女や男たちはいつも振り回されたあげく不幸になるのがお約束だった。

恋と地獄』(今井大輔/COMIC ROOM/双葉社)にもさまざまな都合のいい女たちが登場する。1巻にはふたつのエピソードが掲載されており、それぞれの主人公は既婚の同僚にもてあそばれていると気付きながらも不倫関係を続けるリノと、夫とのコミュニケーション不足とセックスレスに悩むシホだ。

 彼女たちは私たちの身近にいそうな人物であり、私たち読者は読み進めるにつれてステレオタイプの「都合のいい女」の末路を連想する。都合のいい女から脱する方法はひとつだけだ。リノの場合は不倫をやめること、シホの場合は夫との関係を諦めること。実際に彼女たちはそうするのだが、同時に自分を「都合のいい女」扱いした相手の男を許さず、誰も予想だにしない方法で彼らを破滅させる。

 地獄に落ちた男たちは油断していた。リノやシホをなめていたツケはあまりにも大きいが、それまでの彼らの行動がひど過ぎるので同情の余地はない。むしろ結末までたどりついたとき、カタルシスを感じる読者のほうが多いのではないだろうか。リノやシホは気の弱い女、男に歯向かえない女、つまり「都合のいい女」とカテゴライズされていたが、彼女たちはそこから自力で這い出すことのできる、たくましい人物だったのだ。

 本作では彼女たちが相手を地獄に突き落とす決断に至るまでの心情も丹念に描かれる。たとえば中盤、シホが友人に「家庭をうまく回すための不倫」を勧められたとき、シホの同僚の三井という男性が現れる。彼を見て「これはシホと三井が不倫をする展開になるな」と思った読者もいるのではないだろうか。この場面はいわゆる壮大なフリであり実際にどうなるのかは読んで確かめてほしいのだが、その後三井は、シホから夫に関する相談を受けてこうアドバイスする。

ちゃんと怒るんだよ
ガマンしないで 素直に
ちゃんと怒りな

 恋愛や結婚生活でぞんざいに扱われていると感じたとき、ちゃんと怒れる人は都合のいい女にならない。シホは怒る。夫どころか三井すら予想しなかった凄まじい怒りで計画を練り、かつては愛し、今も恋人だったころに戻りたいと願っていた相手である夫を、プライベートのみならず社会的にも破滅させるのだ。

 都合のいい女扱いされているなと感じた主人公が他に浮気相手を作って終わる物語であれば、本作はここまで強烈な余韻を残さないだろう。読み終えた一部の読者はあることに気付くかもしれない。彼女たちの行動が正しいのか間違っているのか、それぞれのエピソードがハッピーエンドなのかバッドエンドなのかを自分たちは気にしなくなっているということだ。

 私は、本作を読むのにベストな時期は、ストレスがたまっているときや、理不尽な目に遭って腹が立ったときだと思っている。本を閉じたときにはまるで大好きなスポーツを楽しんだあとのような快感が待っているだろう。

文=若林理央

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